「くっ……早い」
時間に余裕がないことを知り、急ぐ小雛の速度にどうにか食らいついていくことしができない曽我部は、小雛が戦闘を始めてようやく、その背中に追いつくことが出来た。
第十階層のメインモンスターは硬質な身体を持つことで知られるガーゴイル。
力自慢の戦士系職業(クラス)を持つ中級探索者であってもその強固な防御力を前に苦戦を余儀なくされ、
しかし、小雛はその石のように堅いガーゴイルのほとんどを一刀の下に切り伏せていた。
それは小雛が持つ小刀────忍刀【艶色】の鋭い切れ味がそれを可能とさせていた。
曽我部もその小刀の経緯は知っている。
自身が捏造だと訴える事件、その渦中の中心にいるあの男が打ったとされる武器。
その胡散臭いにもほどがある男から弁償として譲られた武器が小雛の握る小刀である。
(あれをほぼ無償で譲るなんておかしいだろ)
あれだけ強力な武器をたかが撮影機の弁償に当てるなど通常は考えられない。
市場に出せば軽く四桁万円の価値はくだらないからだ。
それはあの小刀の持つ切れ味と敏捷性が付与される効果に対する見込み価値だ。
もし仮に他の効果があるとするならば、さらなる価値の上昇は免れない。
(よっぽどくだらない効果でなければ下手したら億は行くかもな)
曽我部はそう考え、それをただも同然に譲ることに対しての不信感をより一層強くした。
(【変態仮面】……上級探索者であることは間違いないと思うが……)
上級探索者は全体のごく一握りの数しかいない。
その中からなら特定が可能かと考えて探ったことはあるが、しかし、それらしい人物の特定には繋がらなかった。
ダンジョン発見以降、探索者の登録制度は半年以内に国策として行われた。
時期を考えれば漏れは考えられない。
全ての上級探索者のデータが閲覧できるわけではないが、それでもデータベース上に存在する探索者との照合は曽我部はもちろん、ネットの特定班と呼ばれる者たちも躍起になって行っていた。
しかしそれでも得られた【変態仮面】の情報の結果は────正体不明。
探索者ギルドのデータベース上にも存在しない、正に都市伝説的な存在、七不思議と呼ばれるに値する人物像であった。
AIで作られた捏造の配信だというスタンスを貫く曽我部であっても、実際に目の前に物質的に存在する小雛の武器を見て、歯噛みをするしかなかった。
第十階層を隈なく探していく中、二人の位置は次第に奥へ奥へと進んでいく。
それに伴って現れる魔物の数は増えていく。
数的に小雛一人ではすぐに戦闘を終わらせることができなくなり、小雛が相手にできない魔物を曽我部が相手取る機会が増えた。
曽我部にとっても第十階層は限界到達階層であり、当然その魔物も曽我部にとっては強力な相手に相違なかった。
小雛のように一刀で切り伏せる事などできないし、余裕のある相手ではない。
時間を稼ぐために敢えて力を抜いて戦うなどできる相手ではなかった。
小雛が三体のガーゴイルを倒す間に曽我部は一体を倒すのが精いっぱい。
曽我部の負担を減らすように小雛が多くのガーゴイルを引き付ける立ち回りをしていなければ、曽我部は今頃負傷を余儀なくされていたかもしれない。
敵対関係にある筈の自分にも気を遣う小雛の甘さに曽我部は感謝した。
◆
「数が多いっ」
小雛が自分を囲うガーゴイルの数に苦戦を強いられていた。
普段はもう少し落ち着いて戦うが、今は時間制限が設けられているため、やや強引な戦い方になっていた。
おまけに曽我部の実力は忍刀【艶色】を握る前の小雛よりも劣っているために小雛の戦闘に十分について来れていないのが余計な負担になっていた。
宙に飛ぶガーゴイルを踏みつけ囲いを脱出する小雛。
数体のガーゴイルの群れを散らすように動き回り、各個撃破を繰り返す。
本来、遊撃や不意打ちを得意とした立ち回りをする小雛の職業(クラス)である【忍者】は対多数の戦いに向かない職業である。
そのため無茶な探索を続けて敵を引き付ける結果になった段階で小雛の長所は大きく削られることとなってしまった。
この階層での理想的な小雛の立ち回りは隠密行動から暗殺といった忍者らしい立ち回りだ。
しかし、それも静かに行動をすることを知らない曽我部によって望めぬものとなっている。
今も曽我部は過剰なほどに気勢を上げて戦っており、大声や剣を床や地面に叩きつけるといった騒がしい行動によって無駄に魔物を引き寄せてしまっていた。
スキルの火力やその身体能力には目を見張るほどのものが見られるが、絶望的なまでに戦い方が下手だった。
能力任せの戦い方。
小雛が苦手とする部類の探索者だった。
粗方の魔物を葬り、ようやく二人の下に静けさがやってきた。
「はぁはぁ……曽我部さん、もう少し音を抑えて戦ってください。無駄に大声を挙げすぎです。それに壁や床の間合いも意識して気を付けてほしいです」
自身の強みを活かせずに、まるで前衛の
「俺はこれが本領だからいいの。小雛ちゃんこそ体力大丈夫?もう少し温存して戦わないと見つける前にへばっちゃうんじゃないの?」
「……ぐぬぬ」
誰のせいでこうなっているのかと。
そう文句を言いたくなるも配信の手前、喉まで出掛かったその言葉を小雛はなんとか呑み込んだ。
────こいつマジで言ってんの!?
────お荷物のくせに生意気だ
────女のケツに隠れてる奴がいばんじゃねぇ
厚顔無恥を晒す曽我部に視聴者が代わりに怒ってくれているのが小雛にとっては救いであった。
しかしそんな中でも無慈悲なコメントは現れる。
────必死過ぎwww
────曽我部がガーゴイル引き受けてくれなかったら今頃死んでんじゃね?この女
────武器に頼ってる女如きが文句垂れてんなよ
────どうせ身体でも売って身の丈に合わないその武器手に入れてんでしょ?だったらもう少し頑張れよwww
────女って人生楽勝でいいよなぁ
「……ひどい」
戦いが終わって余裕が生まれた小雛がようやく片目を覆うスクリーンクラスのコメントをONにして流れるそれらのアンチコメントに目が行ってしまう。
数としては小雛を応援するコメントの方が多いことには変わらないが、心無いコメントというのは見たくなくてもどうしても目が行ってしまうもの。
耐性がある小雛であっても全く響かない訳ではないのだ。
「残り時間あと30分しかないけど、もう諦めたら?ダメでも俺とデートするだけなんだし。そんなに無茶する必要ないと思うけど」
曽我部は自分が嫌われているという自覚が薄い。
探索者になり、配信者として一角の人間になったことで周囲からちやほやと持ち上げられるようになってからは、学生時代に感じていた劣等感は影を潜め、反発のように自尊心の跳ねあがった曽我部に、自分の人となりが嫌われるという自覚が薄かった。
ネットに見る自分のアンチコメントも只の嫉妬であり、己に非があるとは捉えていないのだ。
それ故に彼女の見せる心の壁には気付かないし、それを指摘するコメントにも目を通さない。
そんな曽我部に対しても小雛は態度をはっきりと示せない自分が悪いと思い、諦めの気持ちが湧いていた。
残りの体力も心許なく、探す範囲はまだ半分以上ある。
残り30分以内に扉を見つけろというのは無理があった。
「楽しみだなぁ小雛ちゃんとのデート。夜景の綺麗なレストランを知ってるんだ。小雛ちゃんも楽しみにしててよ」
既にデートをするつもりでいる曽我部のその顔に、小雛の中に強い嫌悪感が生まれる。
自分の身体を舐めまわすような曽我部のその視線に思わず身震いした。
一体に何を想像しているのか。
考えるのも嫌だった。
呼吸が整い始めたが、初めよりも身体が重い。
曽我部を庇って魔物を引きつけ過ぎた弊害だった。
この先はまたガーゴイルの数が増える傾向にある。
今の体力と、精彩を欠く動きの中、曽我部を抱えてどこまで戦えるか。
下手を打つとそこで死んでしまう可能性のあるダンジョンの中で、これ以上の攻略は無謀と言える。
デートと言っても街中を少しぶらついて買い物と食事をするだけ。
それ以上のことは力尽くでも阻止すればいい。
小雛は諦め、自分が失敗したことを受け入れた。
男性との交際経験の無い小雛は夢に見た異性との初めてのデートが望まぬ相手になることに一抹の悲しさを覚え、心に冷たいものがポツリと落ちた。
(デート、初めてだったんだけどなぁ)
その時、少し離れた所から小雛の耳に騒がしい声が届いた。
────『大・剛・豪・爆裂キィィィィイイイイイイッック!!』
男の声の直後、爆弾のような破裂音と、何かが大きく崩れる雪崩のような音が──ゴゴゴ──と響き渡った。
「な、なに……?」
「い、イレギュラーか!?」
困惑する小雛と怯えを見せる曽我部の後、更に女の声が続く。
────『ちょっと!ここは十階層よ!加減しなさいよ!魔物が集まってきたら他の探索者に迷惑かけちゃうでしょ!?』
────『全て倒せば問題ない』
────『マナーの話をしてんのよ……この脳筋馬鹿。ってかなんであんたまた裸になってんのよ!?』
────『ありゃ?四散した瓦礫で服弾け飛んだかな?……お?お前もなんだか所々服が破れて色っぽく──『見んな!』──ふぎゃっ!!』
────『あんたいつもいつもいい加減にしなさいよっ。自分がなんて呼ばれてるか知ってる?【エロキメラ】よ!?』
────『マジそれ名付けた奴殺す。まぁまぁ落ち着けって。その振り上げた踵ゆっくり下ろせよ。パンツ見えてr───ってうわっ!悪かったって!謝るから!』
ダンジョンの中とは思えないような痴話喧嘩に小雛も曽我部もポカンと呆けた。
────『ほらっあっちにあいつの店の扉があるぞ!』
────『そんなのに乗るわけ……ってあら、ほんとに。十階層にあるなんて珍しい……ってこら!話はまだ終わってない!待ちなさい!ゆきt────』
騒がしかった男女の痴話喧嘩の声が次第に遠ざかっていき、その乱痴気騒ぎがようやく収まる。
「なんだったんだ?」
夫婦漫才のような男女のやり取りが過ぎ去り、曽我部が困惑に首を傾げていた。
「今の……」
「なんだか気も削がれたし、もう帰ろうぜ小雛ちゃん……小雛ちゃん?」
しかし、小雛に曽我部の声は届かない。
今さっき聞こえてきた言葉に引っかかりを覚えた小雛が思い出すように男女のやり取りを頭の中で繰り返す。
────『ほらっあっちにあいつの店の扉があるぞ!』
その言葉を思い出し、小雛が勢いよく立ち上がる。
「小雛ちゃん?」
「あっち!!」
水を得た魚のように元気を取り戻した小雛が急いで駆ける。
「お、おい!」
慌てた様子で追いかけてくる曽我部を気に掛ける事すらせずにひたすらに走る。
不思議な程に魔物に出くわすこともなく走ることができた。
徐々に曽我部との距離が開いていくが構わない。
「あった!!」
遂にそれを見つけた。
シンプルなつくりの木造扉。
【DD】ショップへの入口だった。