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第34話 苦戦、窮戦、尚も止まらぬ渇望

 湊の掛け声と同時に曽我部が先んじて動く。


 抜き身の剣を引っ提げて、一直線に津久見へと駆ける。


 常軌を逸した探索者の速度は常人では目で追うのも難しい。


 しかし、予備動作を見逃すことのなかった津久見が肩口を狙った曽我部の剣を半身を翻すだけの最小限の動きだけで回避に成功した。


 「─────ッ」


 加減を誤って殺す事を危惧したためか、決して全力の一振りではなかったが、だがそれでも必要以上に加減をしたわけではなかった。


 低階層程度の魔物ならば今の一撃で間違いなく決まっていた。


 「指輪の力に感謝しないとなぁ!」


 苛立ちを誤魔化すように津久見を誹る曽我部が連撃を繰り出した。


 助走で勢いをつけた初撃よりも剣速は劣るも、それでも突風のような音を立てて振り抜かれる連続攻撃は脅威そのもの。


 津久見は視界に映る曽我部の足運びから意識を外すことなく、次の攻撃、次の攻撃へと備え、最小限の動きを柱にして戦いを組み立てていく。


 拳の動きとは違う軌道を描く剣に苦戦を強いられるも、拳よりもやや広い間合いであることもあり、余裕をもって曽我部の足元を視界に収めることができるのが、剣士との戦いに於ける津久見の唯一の有利ポイントであった。


 フェイントも知らない安直な動きしかしてこないという利点は、相手が曽我部だからであるにすぎないが、今の津久見の実力で勝ち得る一つの希望の光であることに間違いはない。


 (くっ……流石に早い……!)


 身体能力が上昇している津久見であっても、それはごくごく最近の話。


 この歳になってようやく殻を破る覚悟を決めた津久見の肉体など、所詮はひな鳥のようなものだ。


 人間から半歩踏み出した程度の男が中級探索者と呼ばれるまで肉体を強化した男に、フィジカル勝負で勝てるはずもなかった。


 肉体スペックでは圧倒的に分が悪く、経験則からくる戦闘感とインファイトに於ける知識を総動員して最小限の動きで回避し続けていられるにすぎない。


 残りの体力と集中力、そして死を前にして削れていく精神力、そのどれかが先につきればこの均衡は簡単に崩れる事など津久見には容易に想像ができた。


 脇を掠める剣に服の一部を持っていかれ、一歩引いた肩口に見舞われる袈裟斬りに胸元が大きく露出を見せる。


 なんとか叶うギリギリの回避は彼の身体を傷つけないだけで、その姿を次第にみすぼらしい恰好へと変えていく。


 張り詰めるような高い集中の中にいる津久見は遂に曽我部の動きに乱れを感じ取った。


 無酸素運動による連続攻撃の中、漸くようやく曽我部が息の乱れを津久見に見せる。


 「シッ────」


 思考より早く、直感が津久見を動かした。


 相手に当てることを意識した瞬速のジャブが曽我部の頬っ面を捕らえ、逆襲を決めた。


 「ぶふっ────!」


 曽我部の頬を抉る自身の拳を、ハイスピードカメラのような動体視力を誇る津久見の目は見逃さなかった。


 何が起きたのか理解の出来ていない曽我部の間抜け面に少しスカッとした津久見が笑みを向ける。


「てぇぇめぇぇええええええ!!」


 自分が殴られたのだと遅れて気付き、顔を赤く染めて怒りを露わにした曽我部が咆哮を上げた。


 一段階ギアを上げるつもりだと警戒心を抱いた津久見だったが、そんなものはおくびにも態度には出さず、手招きのように手をくいっと曲げて挑発してみせた。


 冷静を欠いた曽我部が津久見へと全力で疾駆し、あっという間に距離を潰す。


 その速度は予備動作を見逃すことのなかった津久見であっても驚くほどで、予想を上回られた津久見がその顔に初めて強い緊張を走らせた。


 「うぐっ……!」


 僅かに回避が間に合わず、初めて傷らしい傷をその肌に付けられた津久見からぽたぽたと血が落ちる。


 「手加減してれば調子に乗りやがって!手足の一本や二本生やしてもらえ!!」


 僅かな傷程度では傷つけられた彼の自尊心が癒えることはないのか、怒りの収まらない様子のまま、本気で手足を切り落とす覚悟で剣を振るう。


「つっ────!」


傷を負って間もなく続く攻撃を回避するが、しかし今度も完璧な回避とはいかず、またも傷を負う羽目になる。


「ちょこまかと!避けてばっかりでうざいんだよ!ゴキブリ野郎!!」


 無造作とも言うべき粗雑な剣戟の嵐によって津久見の身体に次々と新たな裂傷を刻まれていく。


 技術もセンスも感じられない剣だというのに、人外染みた筋力が生み出す理不尽な程の高速の剣が、津久見のこれまでの血の滲むような練習もライバルたちと培った経験則をも嘲笑う様に彼の身体を血みどろに変えていく。


 「はぁはぁ……」


 その乱れた息はどっちのものか。


 全力で攻撃を続けた曽我部もさっきより苦しそうに息を乱しているが、津久見の様子はもっと酷かった。


 ◆


 「ま、マスター……もう、止めた方がいいんじゃ……このままだと本当にあの人……」


 マスターの知り合いなんでしょう?


 そう言いたげな彼女の表情に湊は何も応えない。


 ただじっと二人の戦いを見守っている。


 その恐ろし気な竜の仮面の下で、まるで卵から孵った雛が厳しい大自然の中で生きて行けるのかを見定めるように。


 一方的な展開を見せる中、曽我部の剣が遂に津久見の首を掠めた


 「マスター!!」


 「後二ミリ、刃が深ければ動脈にまで届いていただろうね」


 「そ、そんなこと言ってる場合ですか!?止めないと本当に死んじゃいますよ!!」


 慌てふためく小雛に同調するようにコメント欄も荒れだしている。


 健闘は見せているが、それでも一般人と探索者の戦いだ。


 いくら指輪でそれを補っていると彼らが思っていても、覆せる関係 にないことを誰もが常識として知っている。


 だからこそ、レフェリーストップをかけない湊に対して疑問やヤジが飛び交う結果となっていた。


 しかし、青ざめる小雛も画面を埋め尽くすほどのコメントも無視して、湊はその審美眼から津久見の勇姿を外さない。


 血を流し過ぎたのか、徐々に反応が鈍くなっていく津久見が大きく崩れた。


 致命傷になり得る剣撃を嫌った津久見が、その剣線から逃れてしまったのだ。


 最小限の動きでなんとかダメージを抑えていた津久見にとってそれは致命的なミスだった。


 剣を避けてなお、体勢を元に戻せない。

 それは次の攻撃が必中であることを指していた。


 「マスター!!」


 助けを求める小雛の悲鳴染みた言葉が木霊した。


 「大丈夫だよ小雛ちゃん。────さぁ、君ならそこからもう一歩、踏み出せるはずだろう?はじめくん」


 崩れた体勢の中、陰る津久見の顔のその奥が、獰猛に光るのを見逃すことなく、湊は仮面の下ほくそ笑んだ。


 ◆


 全身に走る鋭利な痛みに、今すぐ絶叫を上げてしまいたい。


 しかし、そんな無様を晒す暇など自分にはない。


 痛みと疲労と、極限の過集中の中、視界が驚くほどにゆっくりと流れていくのを感じながら、自分の利き腕目掛けて迫りくる剣を見やる。


 もう、避けられる体勢ではない。


焦りから余計に大きく仰け反ったせいでその択は失われた。


 自分の未熟さが憎い。


 このまま避けられなければあの凶刃は自分の利き腕を切り落とすことになるだろう。


 そうなれば、審判を務める彼が流石に止めるだろうと、津久見にだって理解ができた。


 これで終わり?


 ……敗け?


 そんなのは嫌だ。


 強い拒否感が津久見を襲う。


 このまま負けを受け入れるのだけは我慢ができない。


 何となくわかる。


 このまま負けてしまえば、その後の熱意も努力も関係なく、自分に大成はないと。


 子どもの頃に憧れた“最強”は、まだ強いエネルギーのまま形を成さず、胸の内に強く握られ続けている。


 これを形にしないまま、人生を終えてしまうなど────


 「許せるわけねぇぇだろぉお!!」


 「なっ!?」


 ────ガンッッ


 金属を叩く鈍い音と共に曽我部が驚愕に固まり、そのまま剣に引っ張られるように


 今度は大きな隙を見せるのは曽我部の番だった。


 それを見逃さず即座に拳を振り抜こうと津久見が構えるが、ズキリと走る痛みに固く握った拳が緩んでしまう。


 「くそっ……!」


 ズキズキと痛む手の甲を抑えると、ぬるりと滑る感覚を覚えた。


 「ハッ。骨だけじゃなく皮までべろりとやられてら」


 「お前……素手で俺の剣を弾いたってのかよ」


 探索者の振るう剛剣を、手甲もなしに素手で弾いた自分に、曽我部が瞠目したまま唖然とした姿を見せたのが津久見にとっては面白かった。


 しかし、その代償は大きく、利き手の甲の骨は砕け、完璧に弾くことに失敗し、薄い肉ごと皮を削がれる結果となってしまったのだ。


 払った代償は大きかったが、それでも津久見は大きな見返りを得た。


 「なん……なんだよお前……ッ」


 利き手を見るも無残にしながらも笑みを浮かべる男に引き攣かせた顔を見せる曽我部の面白い表情と、そして大きく一歩を踏み出した感覚を。


 「まだ俺は憧れに向かって邁進できるらしい」


 全身をズタボロにしてなお、笑みを浮かべる狂気の男が立ち上がった。


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