「うそ……素手で弾いた……?」
勝負が決したと、小雛どころか視聴者たちも思い、次の瞬間にまで迫った凄惨な光景に身構えた。
しかし、それは津久見の見せた思いも寄らない防御手段に覆された。
驚きに固まっているのは口を両手で抑えている小雛だけじゃない。
剣を弾かれ、体勢を崩した曽我部本人もだった。
岩をも砕くほどの剛力で振るわれたはずの自身の剣が、一般人に毛が生えた程度の身体能力しかない男の手に弾かれたのだ。
金属製の手甲でもしていればまだ納得がいきやすいが、信じられない事にそれは素手で行われた。
流石にその状態では完璧な防御とはいかず、見るからに無残な怪我を残すことになったが、しかし、たったそれだけで済んでいること自体がおかしい。
互いの筋力差、身体強度の違いを考慮すれば、曽我部の力に抗え切れず、津久見の腕はそのまま切り落とされるのが道理のはずだった。
しかし、蓋を開けてみれば真っ向から剣は弾かれ、それどころか反撃の隙まで与えてしまった。
それは津久見がダメージに怯んだお蔭で曽我部に反撃が加えられることは無かったが、それでもその瞬間まで津久見の反撃の意志が自身の首元まで伸びていたことに曽我部は驚愕に怯んでしまっていた。
「まだまだ拙いね。けど、初めてにしては上出来だ」
「マスターはこうなることを分かってたんですか?」
満足気な湊に小雛が問う。
「分かっていた……というよりはこうなることを望んでいた、かな?」
「望んでいた?」
「はじめくんの身体能力は急ごしらえの物で、これを伸ばしていくにはまだまだ時間が掛かる。肉体的なスペックではどうしても勝ち目はない」
「それなら」
^止めるべきだったのではないか、とでも言いたげな小雛に、湊が言葉を被せた。
「しかし、技量勝負でなら話は別だ」
「技量?」
「あの子は小さな頃から怪物として界隈では有名だった。その後も神童として巷で有名になって、そのままプロボクシングの世界に鳴り物入りでデビューした」
「怪物……神童……?」
ボクシングの事はあまり良く知らないが、小雛はその呼び名の順序に違和感を覚えた。
界隈から巷に範囲が縮小していることも少し気になったが、今はそれを聞く雰囲気にない。
「技術という点に於いては、あの子の年季は相当なものだ。なにより才能がある。どこの誰かがくれたかもわからないようなものではなくね」
「才能……」
湊の言葉には棘のようなものが感じられ、それはなぜか小雛の胸にもチクリと刺さった。
「でも津久見さんの手は、もう……」
津久見へと視線を戻すと、力が入らずだらりと開かれた手のひらを見せる津久見の姿があった。
あれではもう、利き手での一撃は望めない。
「それに、技量が勝負を分けるというのなら……それこそ」
「そうだね。探索者には【スキル】がある。あの子の正念場はこれからだ」
◆
身体が熱い。
大量に血の抜けた体は冷たくなっていてもおかしくないのに、胸の内からどんどんと熱がこみ上げてくるような感覚だ。
胸の内に強く掴んで離さない、あの頃抱いた
今ならなんだってできそうだ。
己の可能性を信じて敵へと向き直る。
手に上手く力が入らない。
しかし、壊れることを覚悟すれば、一度くらいなら固く握れそうだ。
一度振り抜ければ十分だ。
覚悟を決めた男が笑う。
するとさっきまで微かに怯えの色を見せていたはずの相対する男が表情を取り戻し、口角を上げて剣を構え直した。
一度下がった視線を見るに、使えなくなったであろう拳を見て自分の優位を確認したのだろう。
なんとも浅ましい考えだが、戦士としてその判断は正しい。
「ビビらせやがって。良かったな。運よくその程度の怪我で済んでよ!────ッ」
格下だと思い込んでいた相手に怯えを抱いたことを恥じ、それを吹き飛ばすように気勢を上げる曽我部だが、正面から啖呵を切った相手の顔を見て息を飲む。
不利に立たされているというのに、それを弁えず笑みを浮かべるそのイカれた姿に拭ったはずの恐怖が全身に広がる。
「ほんとによっ弁えろよなぁ三下ァ!!」
言い知れぬ恐怖を誤魔化すように、それを怒りで覆う曽我部が切り札を切る。
「いいぜ。お前がただの一般人だということをその身に分からせてやるよ。お前は
一歩、踏み寄り、続ける。
「お前が今まで積み重ねてきたボクシングだの対人戦経験の技術だの、それはただの人間の範疇の話だろ。それがその指輪の肉体強化と運でたまたま運よくこれまでどうにか俺の攻撃を凌いだに過ぎない話だ」
更に足を踏み出した曽我部の雰囲気が変わる。
力を得た子どもそのものだった姿がじりじりと、剣呑なものへと変化していく。
それは津久見へと足を進める度に変化を見せ、遂に剣の間合いまであと一歩に来たところで津久見はそれの正体を知る。
「はは、湊さんみてぇだな」
がらりと雰囲気の変わった男の纏うそれは、戦士の武威。
何度も命のやりとりを重ねたであろう往年の兵のそれだった。
津久見は悟る。
曽我部が次に取ろうとしている手段を。
遂に来る。
平和ボケした現代人を一気に業の深い生物に変える事となった探索者の代名詞────【スキル】。
その兆候を感じ取った津久見の全身に鳥肌がそそり立つ。
「死んでも……しょうがねぇよなぁ」
曽我部から俗的な笑みが向けられる。
しかし、彼から感じるそれは本能が全力で警告を発するほどに正反対である戦士の武威であった。
「【ハードスラッシュ】」
足を開き、腕を引き、剣を構えるまでの一連の流れがまるで別人のよう。
突然流麗な動きを見せた曽我部がこれまでとは一線を画すほどの一太刀を津久見へと見舞う。
膂力は比べるべくもなく、この一瞬に於いてだけは技量すらも凌駕され、それらを掛け合わせたこの一太刀を前に、つい最近まで凡人に過ぎなかった津久見には成す術もなかった。
津久見は瞼を閉じた。