諦めたかのように目を閉じた男を見て、曽我部が勝利の確信を得た。
この店のマスターのアイテムによって、多少肉体能力が上がろうと開きが依然として大きい事に変わりはなかった。
終始曽我部は自分のペースで戦えていたし、客観的に見て大きなダメージを与えているのはどう見ても自分の方。
結局、津久見からの攻撃はジャブを喰らった一度っきり。
仮にここで剣を止めても自分の判定勝利は揺るがないし、そうでなければ流石に視聴者たちも納得はしないだろう。
しかし曽我部はここで剣を止めるような真似はしない。
あの審判気取りのマスターが手足の一本や二本問題ないと言ったのだ。
それならそのお言葉に甘えて、この男に対して一生消えない恐怖と上下関係をその身と心に刻んでやるべきだろう。
そうすればこの男は自分に逆らえなくなり、天才プロボクサーの舎弟を抱えることができるという自分への箔付けになると曽我部は考えたのだ。
だから曽我部は【スキル】によって
そして、【スキル】による自分の身体が自分のものでなくなるような感覚の中、どうあがいても普段の自分では振るう事の出来ない剣の美技が弧を描き、無抵抗を見せる男の腕へと吸い込まれていく。
(勝ったな)
最後はあっけないものだった。
できることなら【スキル】を使わずもっと余裕を見せて華麗に勝利を収めたかったが、自分をイラつかせたこいつが悪い。
技から心が離れても尚、美技に陰りはなく、寸分の狂いもない。
しかし、曽我部が既に勝ち誇った気分に浸り始めた瞬間、そいつは目を見開いた。
「─────なッ!!?」
同時に驚きの声を漏らしたのは曽我部の方。
闘いを諦めたと思った男は、その目に未だ熱い闘志を宿していた。
だが今更だ。
既に剣の軌道は奴の回避できる位置にいない。
真横からの剣線は素手で弾ける角度にない。
剣先は過たず、津久見の逆手を捉えた。
「腕の一本や二本、くれてやるよ」
「─────は?」
肉を裂き、骨を断った。
曽我部の視界には確かにくるくると舞う腕が見える。
しかし、男は倒れるどころか、悲鳴を上げることすらもせず、尚も一歩自分へと踏み出してきているのなぜか。
理解が追いつかず、困惑を浮かべる曽我部の視界に何かが映る。
微かに光るそれを確かめる余裕もなく、その何かに曽我部の意識は一瞬の内に刈り取られ、ブラックアウトした。
それはとても熱かったような気がした。
◆
「ぜぇ……ぜぇ……」
全身の毛穴という毛穴から脂汗を流し、膝立ちに崩れる津久見が倒れる男の方を見た。
自分より明らかに格上だったその男が今、意識を失い倒れている。
自分が、倒したのだ。
「ッッッ────シャァッ!!!」
レンガ造りのダンジョンに勝利の雄たけびが響き渡った。
「見事な勝利だったね。はじめくん」
「み……マスター。ありがとうございます」
勝利の歓喜の中にいたためか、津久見は彼が自分に近づいてくる瞬間に気付けなかったが、今はそんなことどうでもよかった。
「出血が酷いね」
湊はそう言って手に持っていたポーションを津久見の腕の断面に垂らす。
激痛に声を上げそうになるが、歯を食いしばって耐えた。
せっかく勝利を手に入れたのだからその直後くらい、かっこ悪い姿を晒したくなかったのだ。
「応急処置程度だけど、今はこれで十分だ」
「助かります。ぶっちゃけ血を流し過ぎてもうかなりふらふらで……」
「よく頑張ったよ」
「はは……は。あ、そっか、腕ないんだった」
照れくさそうに笑い頬を掻こうとした津久見が自分の腕がなくなっていることを思い出す。
「今は安静にしてなさい」
湊がそう言って津久見の肩を担いで、店内にある椅子へと連れていき座らせた。
「あ、あのマスター。その……俺の腕、なんですけど……」
「安心して。それもこの後ちゃんと治して上げるから」
そう言って異空間からチラリと見せられたポーションの色に、津久見の頬が引き攣った。
「あ、あの……普通のポーションってあります?」
「???」
なんで何言ってるかわからないみたいな反応するんだよ、と詰りたくなったが、体力も気力も残っていない津久見はそんな気持ちをなんとか呑み込んで抑えた頃、どさっと誰かが起き上がる音が聞こえ、そちらを振り向くとそこには目を覚ました曽我部が立ち上がっていた。
「腕を失くしてみすぼらしくなったな、津久見!お前は俺に負けたんだ!探索者でもないただの一般人の癖に調子に乗って喧嘩を売ってくるからこうなるんだ!ざまぁみやがれ!」
「な、なにを言ってるんですか!?」
それを聞いて声を上げたのは小雛だった。
腕が切り落とされる場面を目撃して、硬直している間も当然ながら戦いの結末は見届けていた。
傍から見てもあの戦いの勝者は間違いなく津久見であることに間違いはないはずである。
しかし、敗れた当の本人はそんな自覚を一切見せず、自分の勝利であることを疑っている様子すらもなかった。
「勝負の行方は津久見一の勝利。君は負けたんだよ。曽我部明人君」
「は?なに言ってんだ?どう見ても俺の勝ちだろ!?そいつは腕を吹き飛ばされて出血多量で戦闘不能!俺は結局そいつから
「一回しかって……もしかして」
「見事なまでのクリーンヒットだったからね」
「はっ、記憶とんでら」
顔面を正確に捉えた津久見のストレートパンチは曽我部の脳幹を大きく揺らし、記憶の欠落を齎していた。
ボクシングの試合でも稀に見られる症状で、本人は自分がパンチを貰ったことも思い出せず、気絶していたことにも気付かないまま試合を続行しようとすることが稀にあるのだ。
津久見も経験のあるそれを思い出し、苦笑を見せた。
「う、うそだ!?俺が負けた!?いつそいつからパンチ貰ったってんだよ!記憶にないぞ!」
自分の負けを認められずに喚き散らす曽我部。
「お前らはそうやって俺を騙そうとしてるんだろう!ひいきはしないと言っておきながら結局は身内可愛さに不公平な審判しやがって!!」
「君は彼から最後に一撃を貰って意識を失ったんだ。戦闘不能状態。その時点で君の敗北が決定した」
「う、うそだ……俺はそんなこと覚えてない。知らない……お前ら全員俺を騙して」
あの三人は結局知り合い同士で、自分はアウェイ。
結託して自分を騙そうとしている。
曽我部はそう思い込んでいた。
だがその思い込みも第三者が真っ向から切り伏せられる。
────お前の負けだよ。諦めろよ見苦しい
「へ?……あ、お、お前ら?」
自分の配信に流れるコメントが冷たく荒れていた。
────記憶とんでやんのwww
────マジで記憶って飛ぶんすね
────アーカイブ見ろよ
────クリップ作ったよぉぉおお!
────今週のスカッと〇パンはここですか?
流れるすべてのコメントが、湊たちの言う勝負の帰結を肯定しており、それを潔く認めない曽我部の言動に明らかな苛立ちを見せていた。
「ハ?なん……あり得ない。俺が?ただの一般人相手に失神……?」
────プロボクサー舐めすぎ
────身体能力に差があるからってプロのパンチ舐めんなよ
────培ってきた技術が違うんっすわ
真実を受け入れられない曽我部が呆然と固まり、その場に立ち尽くしたままぶつぶつとなにやらを呟いている。
「違う……」
「ん?」
「違うっ俺は負けてない!俺は負けてないんだ!!」
「お前……っ、まだ言うのかよっ」
はっきりとした怒りを露わにした津久見が立ち上がる。
「だ、だめですよ!津久見さん!」
慌てて小雛津久見へと駆け寄り、ふらつく彼をやや強引に椅子に座らせた。
第二ラウンドを始めそうな勢いの彼を許せるはずもなかった。
「どうして負けていないと思うのかな?この後に及んで自分は気を失っていないとでもいうのかい?」
湊がみっともなく自己弁護を行う曽我部へと歩みながら是非を問う。
「この際気絶したことは認めるっ、だがそれでも勝者は俺のはずだ!」
「どういうことかな」
「あいつを見れば分かるだろ!?あいつは片腕を失って、血も足りなくなって今にも倒れそうな様子じゃないか!それに対して俺は一瞬を気を失っただけで今もこうしてぴんぴんしてる!怪我もなければ体力も万全で、このまま二回戦だって行える!俺とあいつのダメージの差を見れば一目瞭然だろうが!!」
「それはつまりこういうことかな?自分は気絶はしたけど五体満足な元気な状態で、片腕を奪って満身創痍にまで追い込んだ自分が勝者に相応しい、と」
「そうだ!気を失ったのがなんだ!俺は今もこうして元気に────────ぁぐっ」
言葉の途中、気付けば天井を見上げていた。
そして、それを竜の面が遮るようにして曽我部の視界に映る。
「君は今、また一瞬だけ気を失っていたんだよ」
「なに、言って────ッ」
起き上がろうとして、首にひんやりとした感触を感じ取り固まった。
視線を下にやり、それを見る。
「ヒッ」
それは喉元に僅かに食い込んだ切っ先────自分が持っていたはずの剣だった。
「君は気を失ったんだ。その時点で君にはなんの抵抗もできない。これが本当の闘いで、僕と言うストッパーがいなければ、彼はこうして君の剣を奪って君の喉を突き刺していただろうね。今の僕みたいに」
「ぁ……ぁ……」
湊は横倒しになる曽我部の腹から足をどけ、剣を引き、鞘に直してそれを起き上がれずにいる曽我部の胸元に優しく置いた。
「でも君はまだ納得していないだろう?なぜなら彼が僕の渡した指輪で肉体を強化していたから。君ならドーピングとか言いそうだ」
上体を起き上がらせた曽我部が湊のそのセリフに活気を得たかのように顔色を取り戻した。
ここまでくれば強かだと感心してしまいそうだ。
「だからそれも僕が否定してあげるよ。確かに彼の肉体は一般人のものとは少しだけかけ離れているけど、君を倒した大きな要因は飽くまで彼の卓越した技術と血の滲むような経験と……覚悟だ。それを僕が証明してみせよう。君を倒すのに逸脱した肉体強化は必要ない────────一般人レベルで十分だと」