「う、う~ん……はっ。……酷い夢を見た」
ダンッ、とその場で跳ね起きた湊が周囲を見渡すと、そこには小雛に背中を擦られながらしくしくとなく金髪女性の姿を見て固まった。
「夢じゃないですよ。マスター」
ジト目を向けてくる小雛の顔は、少しだけ軽蔑の念が見え隠れしていた。
彼女がそんな目を向けてくることが今まであっただろうか?いや、────ある。
しかし、このように今までも彼女から時折厳しい目を向けられることは多々あったが、こうも純粋に責められるような目はなかったように、湊は思う。
「……」
それもそうだ。
今まで彼女をウサギに仕掛けたことはあったが、それも習性のみでしかも未遂。
だが今回はどうだろうか。
湊は自分が良く見知った相手を改めて観察した。
少し地毛の覗いたプリン頭をした、容姿の良い女性。
ひと昔前ならスケ番風の姉御役が良く似合う風貌と称すことができそうだ。
自分が子どもの頃から成長を見て来た男の子の姿では決してなかった。
これには流石の湊も動揺を隠せない。
「……元に、戻せますよね。マスター」
そのぞっとするような女の低い声に、湊の身体がピクリと跳ねた。
それを発したのは小雛ではない。
いつの間にか泣き止んだ女────はじめの声だった。
顔を覆っていた両手が僅かに下げられ、その小さな隙間から相手を射殺すような鋭く暗い視線を寄越すはじめに、湊は反射的にチョーカーを破壊した。
「えっと……」
「戻せますよね?マスター」
すっと立ち上がったはじめがころりと表情を変えて、明るい声で再度湊に詰める。
「…………ごめんなさい」
「おんどりゃぁぁぁあああああああ!!!」
直角90度に頭を下げた湊にはじめが再び暴れ始めた。
「落ち着いてください!」
「桜咲さん!離してください!男には譲れない戦いがあるんです!」
「分かります!分かりますけど!見えてますから!胸が見えちゃってますから!!」
「男の胸の一つや二つなんですか!ボクサーなんてみんな上裸ですよ!」
「ダメです!ボクサーの方をそんな変態さんみたいに!そうじゃなくって今の津久見さんはどこからどう見ても女性ですから!」
「ガフッ────」
小雛が
しかし、その言葉は確かに彼女(変更やむなし)の精神に大きなダメージを与える結果となってしまった。
言葉によるボディーブローを喰らったはじめがその場に崩れ、小雛がしまった、と口を覆って後悔するような姿を見せる。
小雛の言う通り、彼女(客観的事実)のまろび出た揺れるお胸が湊の目にもしっかりと入ってしまっている。
小さな頃から良く知る相手だ。
孫のような存在に興奮することはないが、老婆心のような気持ちは湧いてしまうものだ
「はじめくん。小雛ちゃんの言う通り、僕もはしたない行動は慎むべきだと思うんだ」
ピキ
そんな音が聞こえた気がした。
「お前が言うなぁぁぁぁあああああ!!」
「マスターは口を開かないでください!────きゃっ!」
怒り再燃ではじめが遂に自我を忘れ、小雛を振り切って暴れだしてしまった。
「おぉ。今まで以上の錬気法……やはり怒りは人を強くする」
「遺言はそれで良いのかジジィィィィいィィイイイイイイイィィイイイイイイイ!!」
湊はとりあえず彼女(確定)の気が済むまで相手をすることに決めた。
◆
「これは……っ、酷い仕打ちだと、思うんですけど……んっ」
「これ以上暴れられたら困るからね。悪いとは思ってるよ」
湊は一通り暴れて疲れたはじめの隙を突いて無力化に成功。
今、彼女は再び暴れられないようにドッグロープにその身を拘束されていた。
きちんと胸を覆い隠すように配慮してくれたドッグロープのファインプレーに彼を誉めそやしたい気持ちになったが今は自重することにした。
「んっ……その、百歩譲って拘束されるのはいいんですけど、縛り方どうにかしてくれませんか?もう、暴れたりしませんから……その、こう……もぞもぞ動かれるのだけでも、どうにか……んっ」
「落ち着きがない子だから少し多めに見てあげてよ」
「胸の周りだけやけに……もぞもぞと……んっ」
「?」
「いえ……大丈夫です……我慢します……ぁっ」
冷静さを取り戻したはじめは諦めたように顔を伏せる。
その顔はどこか火照っているようにも湊には見えた。
「あの……マスター」
はじめの横から小雛のしょんぼりとした声が聞こえてくる。
「津久見さんが縛られるのは分かるんです」
「うんうん」
どこか納得のいっていない様子の彼女に、どうしたのだろう?と湊がその言葉の続きを待った。
「でもどうして私まで縛られてるんですか?」
そこにははじめと同様にドッグロープに身を絡めとられ、縛り上げられる小雛の姿があった。
しかもはじめと比べ、その縛り方には随分と遠慮がなかった。
「
「あははっいつもありがとうね小雛ちゃん。その子の相手してくれて」
「いえいえこちらこそ────って違いますよ!」
女の身体になったはじめよりも更に肉感的な彼女の身体は、食い込む縄によってさらに煽情的な恰好になっており、その刺激の強い光景が、はじめが顔を伏せる原因になっているのだろうと湊は考えた。
「────んん……あっ……」
違う気がした。
「まぁ、小雛ちゃんはいつもの事だから。ついでじゃない?」
「二匹いるからって……そんな……うぅ……」
自分の酷い扱いにさめざめと泣き始める小雛。
しかしその表情はやはり赤かった。
「そんなことよりマスター。これはどういう訳かそろそろ説明してください」
暴れたことによって、どうにか現状を飲み込むことのできた様子のはじめが湊に原因を問い詰める。
「……」
「まさか、原因不明ってわけじゃ────」
その最悪のパターンを想像してはじめの顔が青ざめた。
「いや、原因は分かってる。おそらく、外部からの何者かによる
「干渉……ってまさか」
その言葉にはじめの声色が固くなった。
それはつまり、湊の作ったあのダンジョンに外から干渉したということ。
そもそもどこにあるのかも分からない【DD】ショップから、どこへと移動したかもわからない中、湊に気取られることもなく、ポーションをすり替えるなど、普通は不可能に近い芸当なはずだ。
「うーん。まぁ、誰がやったかも心当たりがあるんだ」
「それなら!」
パッと顔を明るくしたはじめには悪いが、湊は彼女が望むそれをできそうにはなかった。
「今すぐには無理だね。そいつの居場所を特定するだけで骨が折れるし、
「専門家……それって」
彼女が湊の言葉をどこまで理解できたかはわからないが、今それを細かく伝えることは難しい。
「小雛ちゃん。今も配信ってつけたまま?」
「いえ、湊さんが気絶した後くらいに配信は切りました。その、津久見さんに悪いかなって思いまして」
これがトップ配信者の”ねっとりてらしー”と言われるものなのかと湊が内心で感心する。
ちなみに湊はネットリテラシーを良くは理解していない。
「それなら────はじめ君には改めてになるが、二人には警告しておきたいことがある。……特に小雛ちゃん」
「私……ですか?」
珍しく真剣な湊の声色に、小雛が身構える。
「この世界には気を付けなさい。君たちが思っている以上にこの世界は危険に満ちている」
「……」
「世界……危険?どういうことですか?マスター……私には何がなんだか」
沈黙するはじめとは対照的に小雛はなにがなんだか分からない様子。
しかし、湊の言葉はいつになく真剣なものだ。
その言葉とともに辺りに流れる不穏な空気。
湊は僅かな怯えを覗かせた彼女の表情に満足して、言葉を切った。
「マスター。もしかして……誤魔化してますか?」
「……バレた?」
「さっさと解けジジイ」
湊の狙いに感づいたはじめが言葉を取り繕うことなく、辛辣な言葉を投げつけた。