ドッグロープからのどこかいやらしい拘束から解放された女津久見は、
それを見かねた湊は
「あ、ありがとうございます」
「帰りに困るからね。今日はこれを着て帰りなさい」
「むむむ」
どこかメロドラマ風なやり取りを見せる二人に、小雛が唸る。
「……ちょっと、ぶかぶかしてる」
俺と殆ど身長変わらなかったのに……と、男としてのプライドに苦々しい顔を浮かべる津久見の身長は小雛よりもやや高い程度で、湊よりも目線三つ分ほど低い。
美男(妄想)美女で絵になる光景だった。
「むむむっ」
ギアが一つ上がった。
「みな────マスター。それじゃあ、俺はこの辺りで一度家に……いや、本家の方に顔を出そうかと思います。色々と、本当に色々と伝えなければならないことが出来たのんで」
湊の上着に腕を通した津久見のその憮然とした言葉には、彼女なりの精一杯の嫌味が込められていた。
女体の意識がまだ薄いのか、上着に腕を通しているだけで前が隠せていない。
湊はそんな津久見の嫌味も飄々と受け流し、彼女の上着のボタンを上から順に止めていく。
「僕の方からも改めて謝罪に伺わせてもらう。おじいちゃんにそう伝えておいてよ」
「あ、すみません……どうもまだ実感がなくて」
「良いんだよ。こうしていると君がまだ小さかった頃を思い出すね」
「やめてくださいよ!俺はもう立派な大人なんですから!」
「ははは、そうだったね、つい。ほら。これでよし。その身体を元に戻す方法も僕の方で責任を持って探す。だからもうしばらく、我慢してくれないかな?」
「もし見つかんなかった時の責任の取り方も考えておいてくださいよ」
「そうならないように頑張るけど、その時は精一杯の責任を取る事にするよ」
力になることを約束した湊の様子に津久見も多少の安心感を覚えたのか、表情を柔らかくして小さく笑う。
「むぅう!!!アウトですっ!なにかいかがわしい雰囲気を感じます!」
「え?どうしたんですか?桜咲さん……急に怒ったりして……」
「お腹でも空いたの?」
「違いますぅ!子ども扱いしないでください!」
一人置いてけぼりを喰らい、仲睦まじい二人の雰囲気にめらめらと嫉妬の念に駆られた小雛が口を尖らせてぷりぷりと怒り始めた。
「なんなんですか!二人とも!知り合いだからって距離感がおかしいです!年齢の近い男性同士の距離じゃないですよ!殿方同士でそんな……そ、そんな……ふわぁぁ」
「……」
「小雛ちゃん?」
顔を赤らめて上の空になる小雛に津久見の顔が引き攣り、湊が首を傾げる。
「────!?……で、でも今津久見さんは男性ではなく、女性のお体で……はっ!?て、天敵!?だ、だめです!やっぱりだめです!」
どっちにしろダメなのかと、二人は思った。
因みに湊はそのダメが、何を指しているのかを分かっていない。
「だ、大丈夫ですから!桜咲さん!俺男ですから!身体がこんなになっても心はちゃんと男ですから!────それじゃあマスター!俺はここで!」
「あ、うん。あっちの扉から帰れるよ。またね」
そう言って店の玄関を指さし、手を振る湊に見送られ、津久見がその場から逃げるように【DD】ショップを退店した。
久しく長い一日だったな、と湊が今日の出来事の終わりを思っていると、横から自分に近づいてくる小雛の気配を感じ取った。
「長い付き合いなんですか?津久見さんと……」
少し怖いものを聞くような小雛の様子をおかしく思った湊がくすりと笑みを零した。
「な、なにがおかしいんですか!?笑わなくてもいいじゃないですいか!」
「いや、ごめんごめん。そうだね。あの子とは家ぐるみの中になるからもう随分と長くなるね」
「それってどのくらい……ですか?」
「うーんあの子が生まれた頃からだから20年くらい?」
ガーン、とショックの表情を浮かべる小雛が、ぼぞぼそとなにやら呟き始めた。
「う、生まれた頃からの付き合い……そんな昔からの幼馴染……!?」
「幼馴染?まぁ、幼い頃からの付き合いではあるね。小さい頃のはじめくんは可愛かったなぁ。今も可愛いけどね」
はにかみながらそう言った湊の言葉に小雛の中に津久見に対する強い警戒心が浮き上がる。
女の姿になってしまった彼は手ごわいと……
「が、頑張らなきゃ……!」
やる気を出して小さくガッツポーズを決める小雛に、湊はうんうんと頷く。
しかし、その意味はよく分かっていない。
「若者の前向きな姿勢はいつの世も周りに元気を与えてくれるものだね。特に凝り固まった頑固な年寄りにはね。……本当に眩しいくらいだよ」
◆
やる気を出した小雛の心は一旦落ち着いた。
自分だって世間からちやほやされるくらいには容姿が整っているらしいのだから、自信を持っていいはずだと自分を勇気づけたのが功を奏したみたいだ。
小雛は湊と津久見の関係を根掘り葉掘り聞きたい気持ちをぐっと堪える。
秘密主義の匂いを感じる彼の事。
しつこく問いただしても良い顔をしないだろうと考えたからだ。
関係はいい。
そのうち聞きたいことではあるが、しかたない。
しかし、今どうしても聞いておかねばならないことが、彼女にはあった。
「マスター。一ついいですか?」
「良いよ。今日はいろいろあったからね」
彼女の質問に心当たりがあったのか、湊の声には受け入れる柔らかさがあった。
「あの指輪の事と、あの人、津久見さんが急に強くなった理由を教えてほしいです」
事前に
「あの指輪に、身体強化を施す効果は────なかったはずです」
いくつかの効果は確かにあった。
嵌める指ごとに能力が変わる指輪。
実験の際、湊から指示された指にはめて行った記憶だが、津久見が嵌めた薬指は試していなかった。
湊から
────そこに嵌めても何も起きないから
そう言われたからだ。
左手の薬指だったから、それを言われた時は少し残念な気持ちになった気持ちは記憶に新しい。
だから彼が左手の薬指に指輪を嵌めた際には驚いたのだ。
「そうだね。小雛ちゃんの言う通りだね」
「────ならどうして」
湊が嘘を言っているようには思えない。
しかし、津久見はじめ────彼が確かに人間離れした力を振るっていたのは間違いない。
そうでなければ、中級探索者たる曽我部を、ほとんどダメージなしとは言え、気絶させることなど不可能な芸当なのだ。
「この件を小雛ちゃんに詳しく教えるのはまだ早いかもしれないね」
「マスターっ」
小雛には、湊と津久見、その二人が何かで繋がっているような気がしていた。
それは探索者やダンジョンといった、また別のなにかで。
だからこそ、疎外感を感じる小雛にとって、彼のその言葉は想像以上に大きなショックを彼女に与えた。
「僕の口から教えられるのはまだ少ないけど、忠告だけはしてあげられる」
「忠告……ですか?」
なにか不穏な空気を感じた小雛が、彼の顔を見上げた。
そして湊はそんな小雛をじっと見つめて言う。
「小雛ちゃん。ダンジョンには気を付けなさい。探索者という存在を疑いなさい。そして────決して力に溺れるな」
「それってどういう……」
湊が津久見から返してもらった指輪を取り出し、小雛の前に持ってくる。
反射的に差出された小雛の手のひらの上に指輪が置かれた。
「力に頼るくらいなら、僕に頼ってほしい。この指輪のように幾つも力のある装飾品や、君に上げた忍刀─【艶色】─のように、君の力になれるアイテムを僕はいくつも持っている。だからダンジョン探索の際には僕を頼って僕のアイテムを求めて欲しい。僕からのお願いだ」
指輪を差出され、優しい声色で紡がれる甘い言葉が小雛の胸の内にじんわりと広がり、痺れを齎した。
良く聞けば、結婚詐欺師染みた営業トークなのだが、脳内ピンク一色な彼女はそれに気付かない。
まるでプロポーズみたいだと浮かれる彼女は「うへへ」とだらしない声を出しながら指輪を摘まんで、天井の灯りに照らして眺めた。
ちょっとうっとりとした様子で彼の言葉の余韻に浸り始めている。
「もう、マスターったらお上手なんですからぁ」
くねくねと喜ぶ小雛はその浮かれ気分のまま、指輪を徐に左手薬指へと持っていく。
雰囲気だけでも、今、この指輪を結婚指輪に見立てて楽しみたかったのだ。
「薬指に嵌めてもなにも起きないよ、小雛ちゃん」
小雛が津久見の力の真偽を確かめようとしていると勘違いした湊が彼女にそう言うが、目的の違う彼女はそのまま薬指へと指輪を嵌める。
「まぁ、いいけど。小雛ちゃん気が済んだら返してね?それ大切なものだか……ら────は?」
指輪を嵌めた途端、彼女の身体が光りに包まれ、眩いほどの輝きが収まったその場所には────
「え、え?……あれ!?なんですか!これ!私どうしてこんな格好!?」
────白無垢姿の桜咲小雛の姿があった。
「マスター!薬指にはなにも効果がなかったんじゃっ……マスター……?」
困惑する小雛をよそに湊は動かない。
「マスター?」
謝るでもなく、状況に悪びれず笑うでもなく、珍しく固まったまま動かない湊の様子に流石の小雛も不思議に思い、湊に何度か声を掛けるが、彼からの反応は返ってこない。
「ど、どうしよう!?私の恰好どころかマスターまでおかしくなっちゃった!それにこの格好って結婚式でする恰好だよね。……もしかして、私の白無垢姿に見惚れちゃったとか!?キャー!そうだったらどうしよう!」
新婦姿にも関わらずはしたなく飛び跳ねて小雛が喜んでいると、【DD】ショップの扉が開いた。
「これは一体どういう状況だ」
そこには射殺すように眉間に青筋を走らせた