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第50話 訪問者

「これは一体どういう状況だ」


 感情の伺えない淡白な声。


 しかし、その下に隠された確かな怒気に、小雛の全身が粟だった。


 「あ、えっと……夜霧さん。どうしてここに……?」


 「ここは探索者御用達だと銘打った店だったはずだが、私の勘違いだったか?」


 私がここに来ておかしいか、と言外に殴りつけてくる女傑に、小雛が怯えて尻すごんだ。


 「そこの男はどうして固まっている」


 「え、えっと……私が突然こんな格好になったら固まってしまいました」


 「ダンジョンだろうが外だろうが、勘違い女が突然そんな恰好で迫ってきたら固まってしまうのも不思議な話ではないと思うが?」


 「わっ私がいきなり結婚を迫った勘違い女だっていうんですか!?」


 「違うのか?」


 「違いますよ!」


 小雛は自分が勘違いした痛い女だという誤解を解くため、事のあらましを説明しようとした時、後ろの湊が再起動する気配を感じて振り向いた。


 「やぁ、翔子ちゃん。この間ぶりだね」


 「先日は十分なご挨拶を行えずに申し訳ありませんでした。【マスタースミス】」


 「君には僕の名前かマスターって呼んで貰いたいんだけどね」


 礼儀正しく頭を下げる夜霧翔子に、湊が残念そうに言葉を返した。


 どうやら完全にいつもの彼のようだった。


 「良いのですか?私がそのようにお呼びしても」


 一見優しく聞こえる彼の言葉に、夜霧が冷たく返した。


 それは挑発するようにも聞こえる、棘のある言葉だった。


 「……」


 彼女の言葉の裏を小雛は知らない。


 しかし、湊はそれ以上なにも応えることはなかった。


 そこで会話は途切れ、やや気まずい時間が流れた。


 「あっあのっ」


 いたたまれなくなった小雛が二人の醸し出す剣呑な空気に割って入った。


 「あぁ、ごめんね小雛ちゃん。無視していたわけじゃないんだ。だけどあまりに絶句する光景だったから、ついね」


 「それです!マスター!どうして指輪を嵌めた途端こんな格好になったんですか!?薬指にはなにもないって────」


 「────薬指?」


 その言葉にピクリと反応したのは夜霧だった。


 「はい。マスターからお預かりしたこの指輪を嵌めたら急にこんな格好に……」


 そう言って自分のを見せる小雛。


 夜霧の周囲の温度が更に下がったような気がした。


 「ほう。まさかこんな若い小娘とあなたが指輪を贈り、それを受け取るような間柄だったとは。世間ではそれは”ロリコン”と言うらしいですよ?【変態仮面】殿?」


 「ぐぬっ……」


 小雛からしたら彼女の言う事は誤解でしかないのだが、小雛はその誤解がなんだか嬉しく、ついつい黙ってしまう。


 湊も湊ですぐに誤解を解くために説明すればいいのに、彼女の辛辣な言葉に押されて同じく黙りこんだ。


 二つ名など普段は誰かに言われれば分かりやすく怒るというのに、彼女に対しては怒るというよりも単純な精神的ダメージの方が大きそうに小雛には見えた。


 改めて二人はどういう関係なのだろうと思考が巡るが、小雛には聞き過ごせない言葉があった。


 「ロリコンとはどういうことですか!?私は大人の女性で、マスターは立派な大人の男性です!ロリコンなどと呼ばれる筋合いはないと思います!」


 「……」


 なにを言っているんだという目を向けてくる切れ長の目の氷のような女性。


 美人だが、”上級探索者には珍しい黒髪”も相まって、どこか、うすら寒いほどに怖い印象を覚えた。


 「私からすれば顔立ちも幼く見えるし、言動も一生懸命背伸びする子どものように見えるが?」


 「うっ、そ、そんなことないです!私だって立派な大人の女性です!た、例えば……その────!────ほ、ほらっこれとか!」


 そう言って夜霧へと突き出したのは、白無垢衣装でも主張の激しい、帯の上に乗っかった立派な双丘であった。


 「ふふんっ。それに私、視聴者の人たちにもよく言われるんです。”良く育った大人の身体”だって。だから私は立派な大人のじょせ────ひぃっ」


 小雛は目の前から冷気のようなものを足先から先に感じ、視線を夜霧へと目を向けると、そこにはまるで貞子のように恨めしそうにこちらを睨む夜霧の姿があった。


 小雛はあまりの恐怖に悲鳴を挙げて脱兎の如く湊の背中に隠れた。


 湊の後ろで小雛は必死にお経を唱えている。


 「あまり小雛ちゃんをいじめないであげてよ、翔子ちゃん。彼女もきっと悪気があったわけじゃないんだ。ただを自慢しちゃっただけで他意はないんだよ」


 「分かった。二人して私に喧嘩を売りたいのであれば素直に先にそう言えばいい。そうしたら挨拶代わりに剣槍魔術をお見舞いしたというのに」


 背中に背負っていた黒のランスを抜き放った夜霧が全身を殺気に包み、臨戦態勢に入っていた。


 「ま、マスターっどうしてくれるんですか!怒っちゃいましたよ!」


 「うーん、最初に言葉で他人のコンプレックスをぶん殴ったのは小雛ちゃんだと思うけどなぁ」


 傍から見たら呑気に見える二人のやり取りに、更に夜霧が殺気を膨らませる。


 直接殺気……怨念?をぶつけられている小雛は今にも気を失ってしまいそうだった。


 「翔子ちゃんもただ遊びに来たわけじゃなく、用があってこっちに来たわけでしょ?ならその用件を聞かせてくれるかな?」


 「……」


 湊がそう言うと、彼女は大きく深呼吸をして自身を落ち着かせた。


 殺気も冷気も小さくなっていき、最後に怨念が顔をひっこめた。


 ようやく穏やかになった彼女の様子に、小雛が安堵の息を吐くが、それでもまだ彼女の事が恐ろしく、湊の背後から動けずにいた。


 「……いえ、その前に……その娘にいつまでそんな恰好をさせておつもりですか?」


 スタスタと小雛に近づいた夜霧が、怯える彼女を無視して、左手を掴むと、そのまま指輪をひったくる。


 「……あ」


 「まったく」


 名残惜しそうな声を上げた彼女を無視して、夜霧が指輪をじっと見つめた。


 「ふむ」


 「翔子ちゃん?」


 中々湊に指輪を返そうとしない彼女様子を不思議に思ったのか、湊が怪訝そうに彼女を伺った。


 そしてその視線を受けている彼女は、小雛の時のように指輪を自身の薬指へとはめ込んでしまった。


 「夜霧さん!?」


 「……」


 夜霧もこの格好になりたいのかと、そう驚いた小雛だったが、小雛の時のような現象が起きることはなかった。


 「ふむ。どうやら何も起きないようだな」


 「それが普通なんだけどね」


 無表情を貫く夜霧が湊へと指輪を返還。


 何事もなかったかのようにも見えたが、小雛には分かる。


 彼女が少し、むくれていることに。


 「【マスタースミス】の傑作。私には合わない様で残念です」


 「え?それって……」


 もしかして貴女もマスターのこと……。


 そんな考えが思い浮かんだ小雛に、夜霧の鋭い視線がまるで釘を打つかのように、小雛に突き刺された。


 指輪を受け取った張本人は、異空間へと腕をツッコミ、さらにもぞもぞとなにやらを探している。


 「あったあった。はいこれ。小雛ちゃんの”衣服”」


 「あ、はい。ありがとうございます。マスターこんな綺麗に畳んで保管していただい……て…………へぁ?」


 そう言って湊が取り出したのは白無垢前の彼女の戦闘服。


 白を基調とした服と、太ももがエロく見えるスリットスカート。


 そして、彼女の装備品の一式だった。


 どうして、私の服をマスターが持ってるの?


 そんな疑問を抱いた瞬間、背中に冷たいものが走った。


 嫌な気配。


 いや、違う。


 これは、空気が直接肌に触れる感覚に間違いなかった。


 「服が消えていってる!?」


 指輪を失い、維持できなくなった白無垢に、虫食いのような点々とした無数の穴が現れ始めていた。


 その穴も次第に大きく広がっていき、次々と布面積が小さくなっていってしまっている。


 「もう理解してると思うけど、白無垢になった瞬間、元々来ていた衣服は僕の収納に転移してしまうんだ。だから急に指輪を外すと白無垢が維持できなくなって当然、素っ裸になってしまうんだ」


 「や ぎ り さ ん !」


 「……すまない」


 そんなつもりではなかったと、夜霧が彼女の痴態から目を逸らした。


 今や彼女の恰好は穴あきだらけの薄い羽織姿。


 一時期有名になった”童貞を殺すセーター”のような際どい恰好になってしまっている。


 「ほら、早く着替えないと風邪引いちゃうよ?」


 「その反応もどうなんですか!?ってきゃっ!あっち向いててください!」


 「思春期だね」


 その朗らかな口調から彼にいやらしい下心がないことが分かってしまい、小雛は怒りたい気持ちになったが、身体を隠す手を振りほどくわけにはいかなかった。


 「もうっこんなのばっかりぃぃぃぃぃぃいいいいいい!!」


 聞きなれた彼女の悲鳴が木霊した。

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