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第56話 津久見家本家

 京都某所。


 立派な門構えの武家屋敷に男の声が大きく響き渡った。


 「すいっませんっでしたぁぁあぁああああああああ!」


 端正な顔立をした男がその顔を畳に擦りつけて見事な土下座をかましていた。


 上座に座る老人が、その男に対して鬼のような形相で睨みつけている。


 年老いて尚、真っすぐと伸びた背中と筋骨隆々な体躯。


 土下座を敢行する情けない姿の若づくり馬鹿とは対照的に、良い年の取り方をしている偉丈夫の眼光は今にも男へと殴りかからんばかりだ。


 「良くもまぁ、いけしゃあしゃあと儂の前に顔を出せたもんだのぅ。えぇ?湊よぉ」


 枯れた大木を思わせる、歳を感じさせながらも芯の太いその声には確かな怒りが含まれていた。


 それも当然だ。


 この老人、由緒正しき津久見家前当主────津久見つくみ 厳拳げんけんその人、つまり、津久見はじめの祖父に当る人物なのだから。


 「お前さん、人んの大切な跡継ぎ候補をよぉ、直系の嫡男をよぉ、────女に変えといてどの面下げて現れとんじゃぁぁああああ!!おんんどりゃぁぁあああ!!」


 胡坐を崩し、片膝を立てた厳拳が齢を感じさせない動きで土下座する男────相沢 湊へと飛び掛かる。


 「へぶぅ────!」


 そのまま土下座する湊の後頭部を踏み抜くと、畳を貫き、湊の身体はそのまま軒下まで沈められた。


 裏の世界で生きる伝説と名高い湊であっても、流石に無防備な状態で後頭部を踏み抜かれるのは応えたのか、伸びた手足が僅かにぴくぴくと痙攣していた。


 「お、お爺様……流石にちょっとやりすぎだと……俺も別にもう怒ってないですから……」


 そこに同席していた被害者────津久見一が湊へと助け船を出した。


 「これはおまえんだけの問題じゃぁねぇのよ。津久見家の沽券とこれからの事に関わる一大事なんじゃ。おまえんは口を挟むんじゃあねぇ」


 「……でも」


 はじめがちらりと湊の方を見ると、先ほどまで地面に叩きつけられたカエルのように痙攣していた湊の身体が、今はだらりとしている。


 ここまでバイオレンスな光景に見慣れていないはじめが、湊のその様子を見て、──死んだか?──と胸に不安を抱いた。


 「それにこいつはこの程度でどうにかなるほどやわな作りしちょらぁせんわ。ったく、儂ももうちょい若けりゃぁのぅ」


 湊のだらりとしていた腕に力が戻ると、畳を押し上げてずぽっと刺さった頭が抜け出した。


 「いやぁ、ほんとに申し訳ないと思ってるんだよ?ただ今回の事件は僕の作ったポーションが原因ってわけじゃないんだ」


 「何者かによる干渉やぁ言うんやろ」


 「その通り」


 「はっ。お前さんの持つあの空間に外から干渉言うたら、数は限られる。当たりはついとるんやろなぁ」


 「誰が僕のお店に不法侵入してきたのかは、大方見当は付けてるよ。ていうかそいつくらいしかこんなことする奴いないし」


 「【観測者】気取りのあの変態やろうか」


 「そうだね。でも生憎、僕はあいつを探し出して、あいつの場所に行く手段を持っていないから、あいつをとっちめる事ができない。目の前まで行ければタコ殴りにできると思うんだけどね」


 湊が服に付いたホコリを払い立ち上がる。


 湊の見上げる厳拳の顔は最初の顔からは少し険が抜けていた。


 「ならどう落とし前つけるいうんやお前さんは」


 「正攻法での解決を模索するしかないね」


 「お前さんの持つ【職業クラス】いうんは鍛冶を主にしとるやつやろぅ。薬なんて作れるんか?」


 「【マスタースミス】はもちろん生粋の鍛冶職人だけど、【錬金術アルケミスト】のスキルも有しているんだ。きっと趣味の一つだったんだろうね」


 「便利なもんやのぅ。探索者いうんわ」


 「便利以上に厄介なものだけどね」


 「あ、あの……」


 前提知識を共有した二人の会話に付いていけないはじめが、恐る恐ると言った様子で割って入った。


 「今の話だと俺、男に戻るの難しい……みたいにも聞こえるんですけど……」


 「僕、頑張るから」


 戻る確証をくれない湊にはじめの顔が青くなる。


 「おまえんには……婿を迎え入れにゃ、いかんかもなぁ……」


 尊敬している祖父からの無慈悲な台詞。


 想像もしたくない光景からくる拒絶心にはじめは絶叫を上げた。


 「絶対に嫌だ!どうして俺が男に嫁がなきゃいけないんだ!」


 「嫁ぐんやない。婿入りや」


 「どっちにしろ嫌だ!」


 心はまだ男のはじめにとって自分がお家の存続のために男の伴侶になるなど地獄でしかなかった。


 地団駄を踏むはじめに厳拳が目くじらを立てる。


 未だ威光限らない前党首に対して非礼すぎる振る舞いだったかと、はじめが狼狽えた。


 「女子おなごがはしたのねぇことするんじゃぁねぇよ。着物が崩れるやろうが」


 「なんで女物着せられてんだよ!おかしいだろ!?」


 家のお手伝いさんたちに半ば強引に着付けられた小振袖。


 はじめは自分の腹をきつく押さえつける帯を掴んで抗議する。


 紋付袴を着こなす厳拳とは対照的に、はじめの恰好はまさに「馬子にも衣装」。


 着物に着せられたような恰好だった。


 「似合ってるよ、はじめちゃん」


 「嬉しくないですから!湊さんは黙っててください!それとちゃん付け禁止!」


 デリカシーのない湊に目くじらを立てて怒るはじめだったが、怒られている当の本人である湊にはあまり響いているようには見えなかった。


 ◆


 格式高い津久見一族の本家で、ぎゃあぎゃあと騒いだはじめは、侍従頭の老年男性に首根っこを掴まれてどこかへと連れていかれた。


 きっと今頃口酸っぱくお叱りを受けている最中だろう。


 今の彼女を力づくで連行するあの侍従頭の男性は一体何者だのだろうと、湊は疑問に思うも、ここならそう言った人物で溢れかえっていても不思議はないかと、考えるのをやめた。


 湊と厳拳。


 騒がしい孫娘がいなくなって静かになった部屋の縁側に立った二人が昔を懐かしむように話し始めた。


 「ひさしぃのう、湊。まさかお前さんの方から顔を出すとは思ってもおらなんだわ」


 「何年振りだろうね。もう十年振りくらい?」


 「十二年だ」


 「もうそんなになるのか」


 まだ少し冷たい昼下がりの風が庭の池の水面を撫でた。


 「お前がダンジョンに入り浸ってからもう十二年だ。たまには顔を出せ。薄情もんが」


 湊は自分のダンジョン生活がもうそんなになるのを厳拳の口から聞いて、時の流れを久しく感じた。


 友人としての彼の言葉に「ごめん、ごめん」と軽く謝る湊にはあまり反省の色は見られない。


 そういう奴だと分かっているからか、厳拳もそれを深く責める姿勢を見せないでいた。


 今は久しぶりに顔を見れただけでも十分に満足しているようだ。


 「それにしても、孫からお前さんに「女にされた」と、聞かされた時は流石の儂も宇宙猫になったわ」


 宇宙猫?と疑問を浮かべた湊だったが、そこはとりあえず流しておいて、改めて謝る事にした。


 多様性の時代やけぇのぅ、しょうがないかもしれんがのぅ、と続ける彼の言葉も湊にはあまり理解ができない。


 「それについては本当にすまないと思っているよ。君にも……はじめくんにもね」


 何度となく繰り返した謝罪。


 湊としては本心ではあるのだが、それを受け取った本人たちにはどう聞こえているのか、厳拳の呆れた様子を見て、湊は少し不安に感じた。


 「ふん。お前さんの殊勝な姿は、やっぱり慣れんで気持ち悪いのぅ」


 昔の湊を知る厳拳からすれば、今の彼の態度はまるで別人に映ることだろう。


 しかし────


 「かわらんのぅ。湊。姿だけはあの頃のままじゃぁねぇか。……まだ、探しとるんか。あの男を」


 「……」


 厳拳が湊の内に揺らいだナニカを感じ取ったように目を細めた。


 それは触れ方を誤れば、親しい者でも火傷では済まない劇物。


 未だ過去の呪縛から解放されないでいる湊に、彼からの憐憫に染まった視線が送られた。。


 「君は随分と変わったね。皺幾つ増やしたのさ」


 「やかましいっ。これは真っすぐに人生を歩み進んだ人間の誇りじゃあ。お前さんも早く皺を刻んでジジイになれや」


 背中を叩かれた湊がその場でたたらを踏んで縁側から落ちないよう堪える。


 「聞いたよ。孫を可愛がり過ぎて目に余るって」


 「むぅ。拳一けんいちか。あやついらんことを」


 痛い所を突かれたのか、厳拳が気まずそうに目を逸らした。


 「あの子の才能は間違いないね」


 湊ははじめが曽我部との戦いの時に見せた熱を思い出して、その思いを確信に変えた。


 「そうやの。あれには男も女も関係ない。掛け値なしの才能じゃ。その点に関しては湊、お前さんには感謝しとる。あれにチャンスをやってくれたことに、心からの礼を」


 まっすぐに伸びた背中を折って、頭を下げる厳拳に朗らかな笑みを向けてその肩に手を置いた。


 「幼い頃も見て来た友人の子だ。力になれるなら何でもするさ。頭を上げてくれ」


 その言葉にすっと頭を上げた厳拳の顔は、どこか懐かしそうに笑っていた。


 「妙なところで変わらんなお前さんは……」


 「どうも」


 二人の間に沈黙が流れた。


 しかし、それは気まずい空気ではない。


 空気を楽しむような穏やかな時間。


 昔懐かしいあの頃のような時間だった。


 静かな風景を彩る鹿威しの軽やかな音と、小鳥の囀りの中、厳拳が恥ずかしそうに口を開いた。


 「湊……どうしたら、ま、孫娘から『おじいちゃん』……と呼んで貰えるだろうか……」


 家の事を抜きにすれば、どうやらはじめの女体化を受け入れているような様子だった。


 やっぱり孫息子よりも孫娘の方が可愛いのだろうかと、湊は内心で呆れて首を振る。


 「知らないよ。勝手に頑張りなよ」


 動いた陽の光が厳拳を照らし出す。


 日陰の中、彼のそわそわとする表情がとても眩しく見えた。

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