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第57話 銀髪少女と驕った者の末路

 ダンジョンへと逃げ込んでどのくらいの時間が経ったか。


 曽我部明人は、時計の無いダンジョンの中で時間感覚を狂わせながらも、人のいないところ、魔物のいないところを求めて彷徨い続けていた。


 曽我部がいるのは洋館のような階層、第七階層。


 部屋がいくつもあるこの階層は、曽我部にとって隠れ潜むには都合の良い階層であった。


 部屋の中には風化したとは言え、木組みのベッドがり、死んで間もない探索者から水や食料を奪うこともできた。


 数日なら問題ない。


 そう高を括っていたが、現実はそう上手く進んでくれない。


 この階層にでてくる魔物との連戦、寝ようとしている時にも容赦なく湧いてくる魔物を相手に真面に休むこともできずに、体力と精神を削がれ続けてきたのだ。


 この階層の魔物が動きの遅いリビングデッドアーマーだからと油断していた。


 剣という殺傷能力の高い武器から繰り出される攻撃は曽我部と言えど、回避を余儀なくされるし、遠くから鳴る鎧の硬質な音が耳に障るわで、曽我部の精神を大きく蝕んできたのだ。


 曽我部に戦う力はもう残っていない。


 喉は渇き、疲労は酷く、睡眠不足からくる虚脱感と眩暈で立つ事すら難しい。


 なんとか最後の力を振り絞ってリビングアーマーを倒したが、その時に自分の長剣をぽっきりと折ってしまったのだ。


 ドロップアイテムすら部屋に残さず消えたリビングアーマーを恨みながら、曽我部は虫食いだらけのホコリ臭い毛布にくるまり、ガタガタと震えて自分の最期を待っていた。


 死にたくない、死にたくないと心の中で何度も口にして。


 その時、部屋の中央が光りに包まれた。 


 「ひぃぃっ!」


 それは魔物のポップの合図。


 曽我部の命を今度こそ終わらせる魔物の登場だった。


 現れたのは、もう幾度も倒したリビングアーマー……ではなく、腐肉を撒き散らすゾンビであった。


 リビングアーマーよりも遅く弱い、ここまで来た探索者にとっては容易に葬れるカモと呼べる雑魚敵。


 しかし、そんな雑魚敵の魔物であっても、今の曽我部にはどうしようもすることもできない相手である。


 なにより、弱りに弱った彼の精神では抗う気力すらも湧いてこない。


 しかし、潔く死を受け入れるような素直さは彼にはなく、状況を打破しようとする勇敢さも彼にはない。


 ただただ、目の前の醜いゾンビに恐れ戦き、部屋の隅で丸まって震えるしか今の彼にはできないでいた。


 中級探索者として傍若無人に振舞っていたあの頃の彼の姿は見る影もなかった。


 ゾンビがガタガタと震えて無様に音を立てる曽我部に気付き、身体の向きを変えた。


 ────あ゛ぁ゛ぁ゛


 生まれたばかりのゾンビの産声が、曽我部を更なる恐怖に陥れる。


 べちゃり、べちゃり。


 落ちる腐肉が床を叩き、頬の無い曝け出された口から落ちる唾液が床を濡らす。


 「くるな……っ、くるな……っ」


 腐肉と唾液が道を作り、部屋中に鼻を突く腐臭が満ちる。


 目の前にそれがやってきた。


 神経系の糸でどうにか繋がった落ち窪んだ眼孔から零れだす眼球。


 頭皮の剥がれ落ちた頭には数本の血濡れの髪。


 削げ落ちた鼻と、外から丸わかりな歯抜けの口腔。


 ────あ゛ぁ゛ぁ゛


 倫理観を強烈に刺激してくる見た目のそれが眼前で呻き声をあげる。


 その口からさらに強烈な悪臭が曽我部の顔面を覆い尽くした。


 「────ぉぇ……う゛ぉぇぇええええ゛」


 視覚的気持ち悪さと、嗅覚を麻痺させるような腐った肉体の激臭は、既に限界を迎えていた曽我部の身体に拒絶反応を齎した。


 空っぽの胃をひっくり返してなお、胃液は吐き出され続ける。


 涙と吐瀉物でぐちゃぐちゃになった曽我部の顔に、ゾンビがその口を大きく開いた。


 「あら?随分と追い込まれていますのね?」


 この場に似つかわしい幼い少女の声が聞こえた。


 曽我部は自分の首元寸前で固まったゾンビを横目で見ながら、なにがなんだか分からず部屋の入口に目をやると、そこには銀髪姿の少女が立っていた。


 「ゾンビ……。とっても臭くて嫌ですわ。腐った肉と臓物の匂い……それにこれは……おしっこ?」


 顔を顰めた少女がその臭いの行方を追って顔を動かすと、曽我部の股間で目を止めた。


 「情けない。とぉーってもくっさいですわね」


 妖精のような見た目をした銀髪の少女は曽我部のおもらしを見て、嘲るような笑みを向けて来た。


 普段の曽我部なら逆上しているようなセリフだが、それに何も思わず助けを求めるように声を上げたのは、この状況だからか、それとも少女の超越的な雰囲気が齎すものか、それは曽我部にも分からなかった。


 「探索者ともあろう殿方が、そんな下級な魔物程度に情けない醜態を晒すとは、恥ずかしくはなくって?」


 一回り近く幼く見える少女からの馬鹿にする言葉も意に介さず、曽我部は少女に対して助けを求めた。


 「お願いだ!助けてくれ!」


 「こーんな幼気いたいけな少女に助けを求めるなんて、情けなく思わないのかしら。おにいさん」


 「助けてくれるなら誰でもいい!お礼なら必ずする!だから!」


 曽我部はまだ自分でもこんなに大きな声が出るのだと驚きつつも、その少女の言葉を飲み込んで懇願し続ける。


 てくてくと、軽い可愛らしい音を立てながら、少女が曽我部の近くまで歩いてきた。


 「くっさぁ……」


 鼻を摘まんだ少女がニヤァと笑い、曽我部の耳に口を近づけて言う。


 「ざぁこざぁこ。こーんなちっちゃな女の子に縋って助けてくださいなんておにいさん、なさけなーい」


 クスクス笑う少女が自分をどれだけ嘲ろうと、その正体がなんであろうと今の曽我部にはどうでもいい。


 ただ助けてほしくて必死に少女の齎す一縷の望みに全てを賭けた。


 「情けなくてもなんでもいい!助けてくれたらなんでもするから!」


 曽我部がそう言うと、少女の笑みが強烈なものへと変わる。


 「今、なんでもするって言いましたわよね?おにいさん」


 「あ、あぁ、なんでもする!なんだってするから俺を助けてくれ!」


 「じゃぁ、お兄さんこっち見て……」


 少女の甘い囁きに釣られて曽我部がそちらを向く。


 少女の綺麗な顔が間近にあった。


 曽我部は状況も忘れて息を飲む。


 少女特有の顔に対して大きな瞳。


 長い睫毛は銀髪同様に白く、触れてしまえば雪のように溶けてしまいそうなほどの儚さを感じる。


 白人種のように高くスッキリとした鼻が、曽我部の少し潰れたような見た目の鼻に触れてしまいそうなほどに近く、その距離にもどかしさを抱いてしまいそうだ。


 紅を塗ったような真っ赤な唇は、陶磁のように白い肌の上だとより強く目立ち、幼さに反して色気を放っている。


 お人形のような少女の容貌はまるで魂を抜き取られてしまいそうなほど、妖しさと艶やかさに満ちていた。


 見た目の幼さなど忘れてしまうほどの妖艶さに、曽我部の脳が強く焼かれた。


 「はい……あ~ん」


 自分の唇の間近で開かれる少女の唇と、そこから覗く白い歯。


 白く、赤い少女が唇同士が触れそうな距離で呟いた。


 「私の────────種をあげるね♡」


 ────あはっ


 少女の愉悦に振るえた声が曽我部の耳を擽り、喉に何かが突き入れられた。


 「────もがぁっ!?」


 少女の腕がずっぽりと曽我部の喉に突っ込まれ、その手が胃にまで到達する。


 「はい、着床♡」


 「ん゛ん゛んんんんんんっ!!」


 自分の中に何かが入り込み、何かと何かが融合し、激しい痛みと熱に襲われた。


 「助けては上げないけど、強くはしてあげる。後は頑張ってね?おにいさん♡」


 曽我部を置き去りにしたまま、少女はその場から忽然と消え去った。


 そしてゾンビが再び動き始めた。


 ────あ゛ぁ゛ぁ゛


 ゾンビの動きを止めていた何かは少女の消失とともに消え、動き始めたゾンビはそのまま曽我部の首元へと嚙みついた。


 「「あぁあっぁぁああぁぁああああああああ!!」」


 曽我部が絶叫を上げる。


 しかしそれは痛みでも断末魔でもない。


 急激に変化する中身に焼き付くような熱を感じてだ。


 「「ぐぅぅぅうううううっ……」」


 熱にうなされるような呻き声を上げながら、曽我部がゾンビの顔面を掴むと、力任せに引き離す。


 バランスを崩して倒れるゾンビに新たな一撃を入れると、ゾンビはそのまま塵へと帰っていった。


 勝利、生存。


 しかし、曽我部に勝鬨はなく。


 ただ、獣のように呻くのみ。


 「裂く……ㇻ座キ……コヒ……ナ、憑苦み……恥女……ます……たぁあああ゛……変態仮面んんんんんんん!!

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