「うぅ、この階層には良い思い出がない」
小雛は今、かつての仲間である『BLASH』の面々と共に、第七階層へとやってきていた。
目的はギルドからの依頼である、イレギュラーの調査だ。
解決時には更に追加の報酬が用意されるという。
「久しぶりね。こうしてみんながダンジョンの中で揃うのは」
六花が小雛を見てそう言った。
「肩を並べて戦うのはもっと先だと思ってたんだがな。人生ってのはどう転ぶか分かんねーもんだな」
最前列で小雛の横に並ぶ堂上が、仏頂面でそう言葉にした。
本人としては不本意な展開なのだろう。
少し不機嫌な様子だ。
「でも小雛ちゃんがいれば百人力だよね。なんて言ったって、次期上級探索者筆頭候補なんて呼ばれてるんだから」
「やめてくださいよー。ちょっと恥ずかしいです」
入鹿の言葉に、小雛が振り返って照れた様子を見せた。
「でも雛ちゃんがいれば、怖いものはない。可愛いは正義だから」
「鑑さん。ダンジョンではそれは通用しないかと……」
小雛は久しぶりの緩いやり取りに笑みを零した。
もうどれくらい振りになるだろうか、と小雛は考えた。
二十歳になってすぐに、六花と共に登録し、第二階層で苦戦している中、三人に出会った。
魔物に止めを刺せずにいた小雛は随分と足を引っ張ったが、彼女たちは、小雛が自分の殻を破るまで、辛抱強く待ってくれた。
それからは第三、第四と順調に進んだが、第五階層の攻略中に、六花から別れを告げられた。
その時は半ば強引な別れに強いショックを受けたが、それでも彼女たちとの対話は何度か行われ、表面上の和解は成立した。
それ以降は時々、ダンジョンの前で会って、ぎこちない会話をする程度に留まっていた。
それが先日、普段は話してくれない六花が口を聞いてくれたことで、本当の意味での和解となった。
小雛はそのことが嬉しくて、今では毎日のように六花や他の三人と食事に出かけるまでになっていた。
しかし、実力差は依然として開いたままなため、こうして一緒にダンジョンに潜ることは今まで一度もなかった。
今回のように特別な事情でもなければ、今更この階層で探索を続ける利点が小雛にはないからだ。
彼女たちからしてもいい迷惑だろう。
だからこそ、小雛は今回のギルドからの依頼には感謝していた。
久しぶりのパーティーの居心地に、小雛の気持ちが軽くなる。
「今回は【
「えへへ~。六花が心配してくれてるのなんだかすごくうれしいなぁ」
にへら、と顔をだらしなく緩めた小雛の振り返った顔を見て、六花が顔を赤く染めて、ぷいっと横を向いた。
「別に心配とかじゃないから。小雛が先に戦闘不能になると私たちにまで危険が及ぶからそう言ってるの。パーティーのサブリーダーとしての当然の忠告……って笑うな!」
「はーい。六花のことは私が守ってみせまーす」
からかうようにはにかむ小雛の様子に、六花が怒って小雛の背中を叩いた。
「調子に乗ってないで前向きなさいよ!あんた斥候でしょうに!」
堂上、入鹿、鑑の三人は、その二人のやり取りをどこか懐かしそうな目で眺めていた。
「昔に戻ったみたいだな」
「そうだね」
「眼福。美少女×美少女は宗教画に相応しい」
その懐かしい感情に、足を止めている中、堂上が当初の目的を思い出して、気を引き締めた。
「おい、お前ら。乳繰り合うのはいいけどよ。あとにしてくれ。今回はオレたちでも経験のないイレギュラーへの対応なんだ。油断してたらあっさり死んじまうぞ」
堂上の声は比較的優しいものではあるが、その言葉の意味は非常に重い。
イレギュラー。
ダンジョン内部で時折発生する異常事態。
それは魔物の突然変異であったり、ダンジョン内部の異常空間化だったりと、様々な現象の総称をそう呼んだ。
その頻度は滅多になく、特に上層での発生は実に二年振りになる。
前回のイレギュラーでは、
本来、ダンジョンの魔物に生き物のような営みは確認されたことがなかったが、その時の魔物は繁殖行動を求めるような生態へと変じていたという。
しかもその性の対象がよりにもよって同族ではなく、人間の女に対してのものであったため、女性探索者の被害は命だけでなく、女性としての尊厳まで含まれていたという、悲惨な結末を迎えた。
この事件は痛ましいものとしてギルドは重く受け止め、再発防止のため、イレギュラーに対する対応には以前よりも敏感になったと、風の便りに聞くことができる。
不思議とそれを誰がどうやって解決したのかという詳しい話は噂に乗って聞こえてこないが、この事件にも七不思議の存在が関わっているかもしれない、という不確かな噂だけは存在した。
そのように、イレギュラーは探索者たちに甚大な被害を及ぼしかねない、一種の災害なようなものだというのが探索者たちの間の共通認識であった。
決して舐めてかかっていいケースではないのだ。
それを事前に受付嬢から聞かされていた『BLASH』と小雛は、自分たちの気が緩んでいることを堂上の言葉で知り、態度を改めた。
「はっ、物分かりがよくて結構。とは言え、イレギュラーの正体が分かるまではただの第七階層に違いは無い。ずっと気を張り詰めすぎて、いざイレギュラーを目の前にして集中の糸が切れるような状態にだけはもってくなよ」
コンディションの調整は各々任せた。
それがリーダーからの指示だった。
堂上もその点、彼女たちを信頼しているため、あまり彼女たちの動きを制限するつもりはなかった。
すると、鑑が堂上の前に立って、二人に向かってグー、と親指を立てて口を開く。
「涼子ちゃんはつまりこう言っている。いいぞ、もっとやれ、と」
「いってねぇよ。お前の願望だろ……それ」
◆
「桜咲!そっちにリビングデッドアーマー!」
「はい!」
「さらに前方からゾンビ四体!小雛の援護に回るわ。鑑は魔術スキルの準備をしていて!」
「いつでもいける。火力は任せて」
「涼子ちゃん!回避にはもっと気を遣って!ギリギリ過ぎてところどころ掠めてるじゃない!」
小雛と『BLASH』の四人は、押し寄せてくるアンデッドの群れに長期戦を繰り広げていた。
「なんでこんなに多いのよ!小雛!リビングデッドアーマーの相手は堂上に任せてあんたはうじゃうじゃと目障りなゾンビの数を減らしなさい!」
「えぇ!?私があの量のゾンビ相手にするの!?」
後続のゾンビの数を見て、小雛が渋い顔をした。
既に何体もゾンビを倒している小雛の武器である忍刀──【艶色】──は、ゾンビの血肉でべっとりと汚れている。
ゾンビのドロップアイテムは血や腐肉。
そのため、武器に付いた血肉は、倒したゾンビと共に塵となって消えることはなく、こうして倒した者の武器を汚してしまうのだ。
しかもこんなものが当然買い取りされている訳もなく、ただ無駄に汚れてしまうだけなのだ。
どうして不人気な階層なのか、これだけで良く分かるというものだろう。
湊から貰った武器がこんな見るも無残に汚れていくのは小雛には我慢ならないが、それでも背に腹は代えられない。
小雛はやるせない気持ちをゾンビにぶつけるようにその群れに突っ込んでいった。
小雛がゾンビを次々と一撃で消し飛ばしていくのを、リビングデッドアーマーの身体越しに見ていた堂上が、その強さに瞠目した。
「多少は追いつけたと思ってたんだけどな……可愛くねぇ奴だな!あいつは!」
堂上は全身鎧の無機物生物のどてっぱらに、ハルバートの切っ先を突き刺すと、ハンマー投げのように魔物をゾンビの群れへと投げ飛ばした。
「中々いい武器じゃねぇかよ。やるな、あの店主」
小雛が暴れていたゾンビの群れの中に、大質量のそれが放り込まれ、何体ものゾンビを巻き込んで、纏めて塵へと還していった。
「みんな。引いて。終わらせる」
待ち望んだ鑑の声は、前線の二人の耳に過不足なく届いた。
堂上が身体を翻し、後衛の二人を守るように立つと、その横に小雛が降り立った。
一度の跳躍で一気に自分の横まで来た小雛の身体能力に、堂上を舌を巻いて、何かを言おうとしたが、今はそれどころではない。
「【
鑑のトリガーワードの直後、ゾンビの群れに稲妻が走った。
薄暗い一帯が青白く明滅。
鉄を引き裂くような激しい音と、肉の焼ける嫌な臭いが五人の鼻を突いた。
数瞬続いた雷撃が、終わりを迎え、顔を上げた五人は、塵へと消えゆく輝きを見た。
「やっと終わったか」
堂上がため息混じりにそう呟いた。
「でもどうしてこんなに……普段はもっと落ち着いてるのに」
魔物の異常発生に、入鹿が疑問を口にした。
「誰か来ます」
小雛の言葉に四人が身構えた。
「こんな階層に麗しい女性が五人もいるなんて珍しい。今ここは危険だ。私が送り届けてあげよう」
四人組の男性パーティー。
その先頭に立つ痩身の男が小雛の前まで歩み寄る。
その眼鏡には