「辺見さんですね。こちらに正男さんという方がいらっしゃると思いますが、お話をお聞きしたいので署までお越しいただけますか?」
刑事の一人、安井が言った。
「おりますが、正男に何の御用ですか?」
美恵子は驚いたような感じで対応した。ここで変に落ち着いていたら逆におかしい。こういうところも先ほど田代と打ち合わせていたのだ。
「住民の方から通報がありまして、母国で事件を起こした人がお宅にいる、ということでした。通報があったものですから、警察としてもお話を伺いたいと思いまして」
「そうですか、実は最近近所でそんなデマが広がっているようなので、どうしようかと今、弁護士さんと相談していたところなんです。今、ちょっと聞いてきますね」
ここに弁護士がいると聞いて、少し緊張した面持ちの安井だった。
数分すると美恵子、正男、田代が玄関のほうにやってきた。
「お待たせしました。署に伺えばよろしいのですね」
「はい、お願いします」
「では、私も同行させていただきます。言葉の問題もありますし、一人で行かせると変に緊張するでしょうから・・・。それとも弁護士が同行すると何かまずいことでも?」
「いえいえ、そんなことはありませんが・・・」
変に口ごもる安井だった。事情を聴くという任意の聴取のつもりだったが、弁護士を名乗る者の同行ということに意外な気持ちがしたのだ。しかし、安井は署に同行してもらい、話を聞くということが目的だ。何かの具体的な容疑者というわけではない以上、変に拗らせたくないという思いも過った。結果、田代もパトカーに乗り込み、署まで同行した。
「ところで先生、弁護士バッジをお付けになられていませんが・・・」
安井が尋ねた。でも当然だ。本当は弁護士ではないのだから付けているはずはない。正男を守るために咄嗟にそういう発言をしたのだ。
「はい、今日、辺見さんのところにいたのは個人的に相談したいことがあるということで、友人として伺っていました。突然あなたたちがやってきたので、私が対応します、という流れになったのです。あなたたちだって友達のところに行く時に警察手帳を持って行くことは無いでしょう」
田代にそこまで言われて安井は二の句が告げられない。そのまま署までは互いに無言だった。
しばらくして署に着いたが、意外なことに副署長が玄関に立っていた。そして、副署長は安井に耳打ちする様な感じで話した。
「安井君、ご苦労様。私も久しぶりに現場に出たくなってね。話は私が訊くよ」
「えっ? 副署長、何をおっしゃっているんですか。単に事情を訊くだけですよ。これは現場のことです。俺がやります。それともこの件、何かあるんですか?」
「・・・ううん。あると言えばあるが、これだよ、これ」
副署長はそう言って人差し指で上を指差した。
「上からのお達しですか。本庁ですか?」