辺見家を訪れる人の中に安井もいた。美恵子たちを救い、自らが犠牲になった事件を担当した井の頭西署の刑事だ。正男のことが近所の話題になり、素性を調べようとしたこともあったが、事情を理解した今、辺見家が不要な中傷を受けていることに心を痛めている。
ある日、安井が辺見家を訪れた時だった。その前に2度ほど訪れている。1度目は正男の葬儀の時、そして2度目は辺見家がいわれのない中傷で悩んでいる、という話を聞いた時だ。安井はその時、正男が関係する事故を担当し、また、近所の人たちの不信感に感じて調べていた刑事だが、その真相を知った今、何も知らずに勝手なことを言っている一部の人達に対して強い憤りを感じていたのだ。
そのことを以前ある事件を追及していた週刊誌の記者、北田に話した。北田は「週刊文秋」の記者で、物事を冷静に見つめ、間違ったことに対してペンの力で正すことを信条に活動していた。そういう性格だからこそ、今回の正男の件とその後の偏ったネットの声の問題について安井は話したのだ。
「安井さん、話の内容は分かった。俺は報道で正男君のことを知ったが、今回の正男君の行動は人間以上に人間らしい行動と直感した。今の時代、いろいろなところでより便利な社会を目指してロボットやAIが俺たちの社会に入ってきている。そのことで不安を感じでいる人たちが一定数いることは知っている。しかし、それを作っているのも人間だし、きちんと設計したらプラスになると考えている。事実、今回の件は辺見さんたちの命を救った。しかも、自分にブレーキをかける仕組みを外し、結果的には自分自身が壊れる結果になった。辺見さんたちと一緒に暮らしている内に人間に共感し、みんなを救うという行動に出たのだと思った。そういう風なロボットであれば、共生は十分可能だと思うし、俺たちも助かることが増えるだろう。もっとも、悪いプログラムが組み込まれれば脅威になるだろうし、そのことが現実化すれば今バッシングしている人たちの言い分が正しかったことにもなる。しかし、それを辺見さんたちを叩く理由にはならない。俺はジャーナリストとして、今回の件、みんなにきちんと分けて考えてもらうきっかけにしたい」
これが北田の答えだった。
その後編集長に掛け合い、今回の件について4週連続の特集を組み、世論に問う、という企画を進言した。編集長も同じようなことを感じていたらしく、内容は北田に一任された。
安井と北田はその後に会い、そのことを報告した。
「編集長のOK、出たよ。4週間、連載としてこの件を掘り下げる。辺見さんたちを紹介してくれ」
北田からの返事で安井は一郎に連絡を取った。
「もしもし、井の頭西署の安井です。実は私の知り合いに週刊誌の記者がいて、正男君のことや最近のいわれのないバッシングの件で、辺見さんや正男君の立場に立った特集を組みたいと言うんです。『週刊文秋』の北田という記者です」
「えっ?」
一郎は思いがけない話に一瞬思考が止まった。一郎の「週刊文秋」のイメージは、いろいろな悪いことを掘り起こしている記事がウリと認識していたからだ。特に最近は政治家や芸能人のスキャンダルで名を馳せている。だからその週刊誌名を聞いた時、今度は自分たちが更なる標的になるのかと危惧したのだ。
「いや、安井さん。先日お越しになった時、ウチが今直面しているいわれのないバッシングの話をしましたよね。『週刊文秋』のような有名週刊誌に書かれたら、ますますひどくなります。多分、記事の内容は部数を伸ばすために面白おかしく盛る内容になるんでしょう? これ以上家族を傷付けるようなことはしたくないんで、お断りします」
「そのご心配、分かります。でも、そういうことじゃないんです。この北田という男はジャーナリストとしてきちんとした目を持っています。ある事件で知り合ったのですが、我々警察の問題点をきちんと指摘し、通常なら世の中に違った印象で見られるようなことを正し、間違った拡散を防いだと実績があります。だからこそ、今回の正男君の件、この記者に話しました。報道で知っていて、最近の辺見さんたちへの誹謗中傷を憂いていたそうです。そいうタイミングで相談したら、誤解を解くために連載記事として特集する企画を編集長に打診したということでした。順序が逆になって申し訳ないと言っていましたが、ぜひ取材にご協力いただけないでしょうか?」
安井の説得に一郎は言った。
「私一人では返事できません。今晩、家内や田代さんと相談します。もちろん里香にも話します。その上で改めてその北田さんとおっしゃるのですか、その方にお越しいただくことになるかもしれませんが、それでよろしいですか?」
「もちろんです。では、ご連絡をお待ちしています」
そう言って電話は終わった。