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正男の思い出、辺見家を支える 5

 一郎たちから取材の承諾を得た北田は早速いろいろ尋ねた。

「辺見さん、正男君の受け入れた理由をお聞かせいただけますか?」

「そのプロジェクトのお知らせを見た時、家内に相談しました。今、社会が大きく変化しようとしていますよね。それに関係して現実的にいろいろ試みられています。共生というテーマもその一つでしょうし、とりあえず応募して見ようかということになったのです。ウチの家族構成が条件に合ったものですから。その上で田代さんがお越しになり、確認されていきました。その過程で田代さんへの信頼が醸成され、こういう方が関わっているプロジェクトなら大丈夫なのでは、という思いになりました。でも、もちろん不安もありました。里香もいますことですし・・・。1年間という中でどこまで期待に応えることができるのか、ということも考えました。正直言いますと、もし途中でウチでは無理、と判断されるのであれば申し出ることを考えていました。やはり家族が大事ですから」

「そういうところに正男君がやってきたわけですね。実際に会ってみていかがでしたか?」

「見た目は違和感はありません。ただ、微妙な動作とかしゃべり方はちょっと・・・。でも、里香やサブちゃんやモモちゃんたちはすんなり受け入れてくれました。ピュアな分、抵抗が無かったのでしょう。それは私たちの心配を覆し、自然に溶け込んでいきました。田代さんには大人の対応をしていましたが、一抹の不安はありました。しかし、田代さんもたびたびお越しになり、正男君と過ごす内に自然に存在感が大きくなり、だんだん家族の一員という感覚になってきました。そこに至る際、ちょっとしたことの積み重ねがあったのですが、その一つ一つが信頼と同時に心の交流になっていたわけです」

 一郎の話を受けるようにして美恵子が話をした。

「あれは正男君がウチに来て10日くらいでしょうか、里香が庭で遊んでいた時、ちょっとケガをしたんです。転んだ拍子に木で手や腕を擦りむいたようで泣いたんです。近くに正男君がいましたが、彼にとっては初めての経験ですから、何があったのかを理解しなかったようですが、里香が異常事態であることは理解したようで、すぐに私を呼びに来ました。説明はたどたどしかったのですが、一生懸命さは伝わり、私はすぐに里香のところに行きました。ケガ自体は大したことはなく、傷薬を塗って、救急絆創膏を貼っていれば大丈夫といったくらいのことですが、正男君はずっと心配そうにしていたので、私は里香が小さな頃にやっていた『痛いの痛いの、飛んでいけ』と言いながらそれに関連する動きをやって見せたら、正男君が一生懸命里香のためにやってくれたんです。その様子に里香も笑顔になり、正男君の優しさを感じました。田代さん、正男君のそういう行動、何か思い当たりますか?」

「いいえ、おそらくいろいろなことを考え、里香ちゃんの気持ちが好転するようにしたのだと思います」

「では、それは正男君にとっても成長の一例となりますね。人としての優しさを経験したわけですね」

 北田が言った。

「里香ちゃん、その時のこと、覚えている?」

 続いて北田は里香に質問した。

「うん、覚えている。正男君、とっても優しかった。本当はあまり痛くはなかったけど、血が出たことに驚いていたの。でも、正男君が一生懸命に里香のことを守ってくれたような感じがして、ケガしたことも忘れたの。最初、正男君のこと弟のような感じだったけど、お兄ちゃんのように思った」

「その後の頃からですかね、里香と正男君の距離が急速に近くなった感じでした。2人が一緒にいる時からサブちゃんやモモちゃんが加わり、一瞬4人兄弟のような雰囲気でした。何か温かい空気に包まれた空間ができており、私も一声かけないと中に入れないような時もありました。そうなると、そもそも正男君がウチにやってきた理由などは忘れてしまいますよね」

 美恵子はそう言いながら飾ってある正男の写真に目線を移していた。それにつられて北田も目線を移したが、再び話を戻した。

「今回の件が無くても数ヶ月後には正男君との別れが訪れたわけですが・・・」

「そうですね、私たちもその日が近づくたびに別れのことを話題にしていました。里香が悲しむといけないということで2人だけで話していたことですが、もう少し一緒にいられる時間を増やしてもらえないかを田代さんにお願いしようと考えていました」

「私もみなさんの様子を目の当たりにして、この生活を壊してしまうようなことはしたくない、という思いが強くなっていました。ただ、私は研究所の人間であり、自分の一存で何とかなるというものではありません。気持ちの上では辺見さんたちの思いにお応えできれば、と思うのですが・・・」

「すると、だんだん正男君は辺見さんたちのご家族の一員になり、欠けてはならない存在になったのですね」

「そうですね。家族になったんですよ、正男君は。とても優しく、とても人間的で、というより、私たちが見習うべき存在だった、という感じです」

「なるほど。そうなると、田代さんたちがイメージしていた方向と合致しますね。今後、どういうことを考え、行なわれますか?」

「北田さん、まだ正男君が亡くなってあまり時間が経っていませんし、今のご質問については私の口から申し上げるようなことではありませんので・・・」

「そうですね。今の質問は無かったことにしてください。では今日は今までの話をまとめて記事を書きます。連載の1回目のことですから、2回目用にお話を伺うためにまたお邪魔させていただきます。それから今お話しいただいた頃の写真はありますか? あればお借りしたいんですが。もちろん掲載時にはお顔などは分からないようにしますのでご安心ください」

 美恵子はそう言われてスマホで撮った写真から一部を北田に送信した。

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