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第9話 子ネコーの約束

 コーンスープの最後の一滴まで飲み干して。

 お口の周りを汚しているスープも、綺麗に嘗めとって。


「ごちしょーしゃま、れしちゃあ」


 にゃんごろーは満足のお顔を、陰りを帯び始めた空へ向け、お食事終了の挨拶を告げた。

 そのまま、しばし。

 お口の中に残っている美味しさの余韻に浸る。

 モゴモゴ動くお口の中を、ペチャペチャと舌が這い回る。

 お口の中のどこを探っても、コーンスープの気配が感じられなくなると、にゃんごろーは名残惜しそうにため息を吐いた。

 そこを見計らって、白い長毛を夕日に染めた長老が、感想を尋ねてきた。


「コーンスープの味は、どうじゃった?」

「ちょーろー…………。うん! しゃいこーらっちゃ! しゃしゅら、ちょーろーの、いっちょーしゅきなヤチュ!」

「にゃんごろーの一等好きになりそうか?」

「うーん、まら、わかんにゃい! もっちょ、いろんにゃ、おいしいもにょを、ちゃべちぇかりゃりゃにゃいちょ、きめられにゃいよ! れも、いっちょーらなくちぇも、にゃんごろーも、にょーんシュープ、しゅきになっちゃ!」

「そうか、そうか」


 コーンスープの美味しさを認めつつも、子ネコーは貪欲に、さらなる美味しさを追い求めたいと告げた。

 長老は、満足そうに笑った。にゃんごろーが、コーンスープ一等好き仲間にならなかったことは残念だが、「最高」、「好き」と言ってもらえたことに、気をよくしていた。

 心とお腹が満たされたふたりは、見つめ合って、にゃふにゃふと笑いあう。

 見つめ合う視界の端に、もふもふとした塊が写り込んだ。にゃんごろーは、フッとそちらに視線を向け、お目目をパチパチと瞬いた。


「あれ? ハミルしゃんとルシアしゃん? ろーして、ここにいりゅの? いちゅのまに?」

「長老に連れてこられたんだよ。長老と一緒に、ずっといたよ」

「ほえほえ? しょーらっちゃの? れんれん、きじゅかにゃかっちゃ」


 向かい合わせで座っていたのに、今初めて気づきましたと言わんばかりの子ネコーの様子に、あちらこちらから忍び笑いがもれる。

 子ネコーの食いしん坊ぶりをよく知っているハミルは、呆れたお顔で肩を竦めた。ルシアの方は考えごとに夢中で、そもそも話を聞いていないようだ。


「ふふ、ハミルしゃん、にんれんのこちょ、こわいっちぇいっちぇちゃのに、らいりょーるに、なっちゃの?」

「大丈夫じゃないよ。今すぐ、帰りたい」

「ほっほっほっ。まあ、そう言うな。そうじゃ、ほれ。あっちを見てみい。お船には、立派な畑があるんじゃぞ?」

「え? 畑?」


 人間とは馴染みがないため、居心地悪そうにしていたハミルだったが、長老がもふっと指示した方向を目で追いかけ、お顔を輝かせた。

 そこには、ハミルの菜園とは比べ物にならない、広くて大きな畑があった。

 青猫号は、海のある西側に頭を向け、砂浜から森にかけて横たわっている。お尻に先には、森を割り開く、広い道が通っていた。

 にゃんごろーたちが今いる炊き出しスペースは、道の北側にある空き地に設けられていた。畑は、道の南側にあった。

 炊き出しスペースと畑で、道をサンドしているというわけだ。

 畑の西側、砂浜のある方角には、小屋が一軒と小さな倉庫が二軒、海風を遮るように並んで建っていた。東側には、もっとずっと大きな長細い倉庫も建っている。


「えええー!? しゅろーい! あー、トマトとキュウリもあるー! ほかにみょ、いりょんにゃ、おやしゃいら。ふわぁ! ふわぉー!」

「こ、これは、見事だな…………」

「むっふっふー。そうじゃろ、そうじゃろ。なあ、ハミルよ? あの畑の持ち主と、仲良くなってみんか? 紹介するぞ? それで、他のお野菜についても、色々教えてもらって、森の住処でも、もっといろんなお野菜を育ててみんか? トウモロコシとか、ジャガイモとか、のう? どうじゃ?」

「む、むむむむむ…………」


 にゃんごろーは、歓声を上げて、ミルゥの膝の上から降りて、立ち上がった。

 ハミルは、お目目を真ん丸にして畑を見つめている。見とれていると言った方が、正しいかもしれない。

 炊き出しスペースと畑の間に、遮るものは何もない。とても良い眺めだ。それなのに、コーンスープで頭がいっぱいだった子ネコーと、人間に囲まれて緊張していた菜園ネコーは、長老に教えられて、初めて畑の存在に気づいたようだ。

 長老は、おひげを震わせて感動しているハミルに、畑の持ち主を紹介しようと持ち掛けた。食い意地満載の下心から出た言葉のようだ。ハミルのことを思う気持ちも、少しはあるかもしれない。

 いずれにせよ、唸り声を上げて迷うハミルにとっての問題は、そこではなかった。


「そ、その、持ち主っていうのは、人間なんだよな?」

「そうじゃ。人間じゃが、いいヤツじゃぞ? 長老が、保証するぞい?」

「人間、いや、でも。むむむ、だがだがだが、あんなに見事な畑の持ち主なんだぞ? きっと、素晴らしい心の持ち主に違いないのでは…………?」

「ちなみに、さっきのスープに使ったトウモロコシは、あの畑で採れたものじゃぞ?」

「そ、そうなのか!? あれは、実にうまかった。料理の腕もあるだろうが、そもそも素材がいい! そうか、そうか。育てた野菜に、育てた者の心は反映されるからな。そういうことなら…………」

「こちらが、畑の主、ザックじゃ」


 ハミルの心が肯定側に傾きつつあることを察知した長老は、結論を待つことをせず、フライング紹介をした。

 長老の右隣に座る、褐色の肌の体格のいい男性がザックだった。ザックは、快活な笑顔を浮かべ、ハミルに自己紹介をした。


「青猫号で畑を任されている、ザックだ。ネコー流の魔法を使った栽培方法にも興味があるんで、よかったら仲良くしてくれ。代わりと言っては、なんだが、うちの畑で育てている野菜の苗で良かったら、どれでも好きなのを分けてやるぞ?」

「え? い、いいのか?」

「おうよ、もちろんだ」

「ほ、他の野菜かぁ。好きな野菜だけでいいかと思っていたけど、さっきのスープ、美味かったしなぁ」

「そうだろ? 焼いても、茹でても、蒸しても、美味いぜ」

「そ、それは、いいな」

「トマトとキュウリも育てているんだ。育て方について、いろいろ、意見を交換し合わないか?」

「そ、それは、してみたい、な…………」


 間に長老を挟んだまま、ふたりはトマトとキュウリの話に花を咲かせた。

 コーンスープの美味しさに心を蕩かされ、畑の見事さに胸を打たれ、話題が好きな分野とあって、ハミルの警戒心も次第に薄れていったようだ。

 とはいえそれも、今はまだ、間に長老というワンクッションを挟んでいるからこそだった。

 それが分かっている長老は、大人しく置物に甘んじていた。ふたりの親交が深まることが、森の食卓の豊かさに繋がると思えば、少しも苦ではなかった。


 さて。

 畑仕事を愛するネコーと人間が、ゆっくりと親睦を深めていた頃、子ネコーは感動のあまり踊り狂っていた。

 一しきり踊って心を落ち着けると、ハミルは知らない人間とお話し中だった。誰だろうと思っていると、長老が、こそっと教えてくれた。

 ハミル菜園のお手伝い子ネコーとしては、ふたりのお話に交じりたいところだったが、話は大いに盛り上がっており、今から突入できる雰囲気ではなかった。

 邪魔をするのは良くないと判断した子ネコーは、ハミルの隣で考え事中のルシアに目を付けた。にゃんごろーは、トコトコとルシアに近寄り、座っているルシアの肩にお手々をのせ、ユサユサと揺すぶる。ルシアの考え事は、いつものことなので、邪魔をすることにためらいはなかった。考え事の邪魔をすることから始めないと、そもそもお話が出来ないのだ。


「ねえ、ねえ、ルシアしゃん」

「……………………ん? なんだ、にゃんごろーか」

「ルシアしゃんのおうちは、もう、ラメにゃの?」

「ああ。完全にダメだな。建て直しだ」

「しょ、しょんにゃぁ…………。うう、にゃかにあっちゃ、はちゅめーひんも?」

「ん? ああ、試作品と、失敗作のガラクタか。一つも残らなかったな。まあ、そろそろ置き場にも困っていたからな。そういう意味では、ちょうどよかった」

「しょんにゃぁー」


 にゃんごろーは、うるりと涙を滲ませた。

 ルシアの家兼工房兼倉庫は、にゃんごろーにとって、思い出の場所だった。

 病気の療養のために魔女の元へと預けられたにゃしろーとの、大事な思い出の場所で、ふたりの約束の場所でもあった。まだ、にゃしろーが元気だったときに、一度だけ、中に入れてもらったことがあった。その時に少しだけ、見学をさせてもらったのだ。何の役に立つのか分からない不思議なものがいっぱいあって、ふたりは目を輝かせながら、棚や床に乱雑に置かれた、ルシアの発明品を見て回った。その時は、時間がなくて全部見ることは出来なかった。だから、いつかルシアのお願いをして、ルシアの説明つきで、本当の工房見学会をしてもらおうというのが、ふたりの夢で、約束だった。

 その夢を叶える前に、約束を果たす前に、肝心の工房がなくなってしまうなんて。しかも、発明品ごとだ。ルシアはそれを、試作品で失敗作のガラクタだと言った。けれど、にゃんごろーとにゃしろーにとっては、宝物も同然だった。

 それなのに、一つも残らなかったのだ。

 それは、とても悲しくて、寂しくて、残念なことだった。

 その事実を、にゃしろーに伝えなければいけないというのが、一番つらい事だった。

 元々、ルシアの発明に憧れていたのは、にゃしろーの方だったからだ。

 にゃんごろーも、ルシアの発明品モドキに興味はあるが、にゃしろーほどではない。にゃんごろーにとって大事なのは、にゃしろーとの思い出や約束の方で、工房と発明品モドキは、それらを象徴するものだった。

 けれど、にゃしろーにとっての工房と発明品モドキは、それそのものが純粋に宝物だったのた。

 だから、きっと。

 このことを知ったら、にゃしろーは、ひどく悲しむだろう。にゃんごろーよりも、つらい思いをするはずだ。そう考えると、にゃんごろーの胸も潰れそうになった。


「なんだ? 発明に興味があるのか?」

「うん。れも、にゃしろーの、ほーら、もっちょ、きょーみら、ありゅ…………。ぐすっ」

「そうか。まあ、そう泣くな。発明に爆発は付き物だ。壊れたら、また作ればいいのだ。新しい発明のアイデアなら、いくらでもあるからな」

「れ、れも、ろこれ、ちゅくるの? こーびょーらっちゃ、おうちは、こわれ、ちゃっちゃん、れしょ?」

「ああ。だから、また建て直す。前は、家を工房に改造した形だったからな。今度は、最初から工房として建てる。工房の機能をパワーアップさせる。完成したら、今後の発明がさらに捗ることだろう」

「しょ、しょーか。こーびょーらっちぇ、こわれちゃら、また、ちゅくれら、いいんら…………」


 工房の焼失がまるで堪えておらず、むしろやる気を滾らせているルシアの様子に、にゃんごろーはお目目からウロコがポロポロ祭開催中だった。

 お目目をパチパチさせて、ウロコと共に涙を振り払ったにゃんごろーは、ルシアが新工房建設案模索に戻る前に、ズズイとお顔を突き出して、お願いをした。


「ねえ、ルシアしゃん! あちゃらしく、こーびょーら、れきちゃら、にゃんごろーとにゃしろーに、けんらきゅを、させちぇ、くらしゃい! おねらいしましゅ!」

「ん? 新築した工房の見学か? 発明に興味があるのなら、かまわないぞ。新機能について、説明してやろう」

「ふわぁあああ! やっちゃー! ルシアしゃーん、ありあちょー! これれー、やくしょくらー、はちゃしぇりゅー! にゃしろー! よかっちゃー!」


 にゃんごろーは、ルシアの肩から手を離して、バンザイをした。

 にゃんごろーから解き放たれたルシアは、にゃんごろーのお礼に返事をすることもなく、思考の海に沈んで行く。

 にゃんごろーは、気にしなかった。

 いや、気にするも何も、本ネコーは本ネコーで、ステップで後ろに下がったかと思うと、喜び舞を踊り出す。

 喜ばずには、いられなかった。

 壊れてダメになってしまったはずの約束が、新しく生まれ変わったのだ。

 しかも、実を言えば。元々の約束は、にゃんごろーとにゃしろーが勝手に誓い合っただけで、肝心のルシアの承諾は得ていなかったのだ。それが、新しい約束では、見学の了承を貰えただけではなく、説明までしてもらえることになったのだ。

 つらい報告が、嬉しい報告に様変わりした。

 その歓びの他にも、子ネコーの胸の中で、響いているものがあった。


 壊れたら、また作ればいい。造ればいい。創ればいい。


 発明品も。家と工房も。約束も。

 壊れても、また新しく、つくりなおせばいいのだ。


 ルシアにとっては当たり前の、何気ない言葉は。

 子ネコーの中に、新しい気持ちを芽生えさせたようだ。


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