ラウンジには、テーブル席・ソファー席の他に、座敷も用意されていた。
望み通りの飲み物を手に入れた一行は、ナナばーばの仕切りの元、小上がりとなっている奥の座敷へと向かうことになった。
みんな、浮足立っていた。
ネコーたちは純粋に、両手の中の冷たいミルクで一杯やるのが楽しみ過ぎて。
人間たちは、イチゴミルクで感激する子ネコーの顔を早く見たくて、待ち切れなくて。
完全なるお花畑集団となって、座敷へと進軍していく。
とりわけ、子ネコーの浮かれっぷりは半端なかった。
ミルゥの抱っこは、解除されていた。
自分で歩きたいからと、降ろしてもらったのだ。
先頭には、ナナばーば。
次に、じーじたち。
続いて、にゃんごろーと長老。
殿は、ミルゥとカザン。
嬉しさが抑えきれずに、歌いながらのスキップ進行を披露する子ネコーに、ラウンジ利用者の視線が集まる。
「イッチロ♪ ミッルル♪ うっきうきぃ♪ わっくわくぅ♪ にゃっろーん♪」
トットコ、トットコとステップを踏むたびに、すっかりふわふわもふもふになった小さな三角お耳が、ぴょっぴょこ、ぴょっぴょこ上下する。
足が短いため、スキップすることで、ちょうどみんなと同じペースになっていた。
「はしゃぎすぎて、転ぶなよー」
「らーいりょーるぅー……にゃわわぁー!」
速足で歩く長老が子ネコーを横目で見ながら言うと、子ネコーは早速、転びそうになった。後ろにいたミルゥが、サッと子ネコーの脇を掴んで持ち上げてくれたため、転んでイチゴミルクをスポーンと放り投げる事態にはならずに済んだ。
にゃんごろーを助けるために放り投げられたミルゥのイチゴミルクは、カザンが難なくキャッチしてくれた。
二人の連携プレイに、ギャラリーから拍手が寄せられた。
「ゆーたそばから……」
「にゃ! ちょーろーが! はにゃしきゃけるかられしょ!」
両脇を持たれて足元プラプラ状態の子ネコーに、長老があきれ顔を向けた。にゃんごろーは、転びかけた恥ずかしさを誤魔化そうと、すかさず長老に責任転嫁をする。
すると、にゃんごろーのあたまの上から、楽しそうな笑い声が降ってきた。
ミルゥの声だ。
ミルゥが助けてくれたから転ばすに済んだのだと気づいたにゃんごろーは、振り向いて礼を言った。
「あ、ありあちょー、ミルゥしゃん」
「ふ、ふふふ。いいよー。何度だって、助けるよー」
ミルゥは笑顔を弾けさせながら、にゃんごろーの体をゆさゆさと揺らした。
言われてにゃんごろーは、そう言えば、昨日も森でミルゥに助けてもらったのだ、と思い出した。転んで森の斜面を滑り落ちていったにゃんごろーが藪の中に突っ込む寸前で、ミルゥはにゃんごろーを抱き上げて助けてくれたのだ。
眩い笑顔を見上げながら、にゃんごろーは思った。
やっぱり、ミルゥはトマトの女神様なのかもしれない、と。
「うん。ありあとう。こんろは、きをちゅけるね!」
ミルゥの笑顔を見上げながらもう一度、ちゃんとお礼を言う。それから、にゃんごろーは、今度はキリリとお顔を引き締めて、宣言した。
昨日は、ミルゥに抱っこされたまま、お船へと連れ行ってもらったにゃんごろーだったけれど、今日はちゃんと自分で歩きたいようだ。
子ネコーの柔らかさを名残惜しみながらも、ミルゥはにゃんごろーを下ろしてやった。
キリッとお顔を引き締めて、イチゴミルクを両手で大事に抱えたまま、にゃんごろーは慎重に足を進めていく。
子ネコ―からは、もう二度と失敗は許されない、という気迫が感じ取れた。
子ネコ―を抱っこできないのは残念だけれど、これはこれで可愛いのでまあいいか、とミルゥは見守りに徹することにする。
ナナばーばとじーじたちは、席の準備をしておくからと、先に座敷へと向かって行った。後ろをチラチラ気にしているよりも、座ってじっくりと子ネコーを鑑賞することにしたのだ。
「あ、そうじゃ。にゃんごろー、ほれ、こっちじゃ」
「…………んん?」
ひょいひょいと座敷へと上がっていくナナばーばたちを見て、長老は、何かに気付いたようだ。にゃんごろーに一声かけると、ちょこまかと右斜め先へと進み始める。長老の進む先には、座敷へと上るためのスロープがあった。
にゃんごろーは、ナナばーばたちが準備をしている方へ向かって直進しながら、不思議そうに首を傾げる。
すっかり慎重派になったにゃんごろーよりも早く、スロープに辿り着いた長老は、振り返ってもう一度、にゃんごろーを呼んだ。
両手はフルーツミルクで塞がっているため、代わりに、長い尻尾の先を手招くように振っている。
けれど、にゃんごろーは、やっぱり不思議そうなお顔のまま、慎重なる前進を続ける。
長老はどうして遠回りをしているんだろう――――というお顔の子ネコーを見て、長老はしかめっ面をした。
見守り隊には、長老の意図が分かっていた。けれど、当のにゃんごろーは、小上がりになっている座敷の手前に辿り着いても、まだ分かっていなかった。
ひょいひょいと段差を乗り越えていったナナばーばたちの真似をして、ひょいと片足を上げる。そのまま、ひょひょいと段差を乗り越えたいところだったが、それは叶わなかった。
にゃんごろーは「はて?」というお顔で首を傾げ、足を降ろすと、今度は反対の足を上げてみた。
だけど、やっぱり。
ナナばーばたちのように、ひょいと座敷に上がることは出来なかった。
子ネコ―には、段差が高すぎるのだ。
小上がりの段差は、人間の大人の脛の辺り。身長が、人間の大人の膝上くらいまでしかないにゃんごろーの、ちょうどお股の辺りだった。
両手を使って「にゃっほら」と頑張れば、にゃんごろーにも自力で上れないことはない。
だが、残念ながら、今は両手が塞がっている。
とはいえ、イチゴミルクを一度座敷に置けば、解決する問題だ。
解決する問題なのだが。
食いしん坊子ネコーの頭には、大切なイチゴミルクをほんの一瞬でも手放すなどいう選択肢は存在しなかった。
後ろで見守るミルゥは、子ネコーの体をひょいと持ち上げて座敷にのせてやりたくてうずうずしていたが、何とか我慢した。長老がまだ、スロープの手前でにゃんごろーを待っているからだ。ここでミルゥが手を出せば、長老の顔を潰すことになってしまう。だから、我慢した。我慢して、うずうずしながらも見守りに徹した。
みんなの視線がうずうずと集中する中、にゃんごろーはもう一度、段差にトライしていた。
右足を上げて、宙をかきかきしてから、下ろす。
左足を上げて、宙をかきかきしてから、下ろす。
少し考えてから、子ネコーは、ハッとしたお顔を長老へ向けた。
「あ! しょーゆーこと!?」
「じゃから、呼んだのに……」
「もー! ちょーろーはー! しょれなら、さいしょから、しょーゆーふーに、いっちぇよー!」
「いや、言われんでも、気づかんかい。子ネコーには上れないことくらい、見れば、分かるじゃろうが」
実際に壁にぶつかってみたことで、ようやく遠回りの意味を理解した子ネコーは、尻尾をブンブン振り回しながら長老に八つ当たりしたが、長老は呆れた顔でもっともなことを言うだけだった。
にゃんごろーは、ちっとも取り合ってくれない長老に、にゃーにゃーと文句を言いながらも、遠回りになるスロープへと向かって行く。
イチゴミルクを手放すことなく、自分の力でゴールに辿り着くためには、それしかないとい分かったからだ。
『ひょい』が簡単なはずのミルゥとカザンも、「荒々しく揺れる尻尾もまた可愛らしい」と、にゃんごろーの後を追ってスロープへと向かって行った。二人には最初から、にゃんごろーの後をついて行く以外の選択肢など存在していないからだ。
プリプリと怒りながら尻尾を荒々しく振り回していたにゃんごろーだったけれど、スロープを経由して座敷へ上がると同時に、機嫌を取り戻していた。
これまで、怒ったりしつつも慎重さを失わなかったにゃんごろーだったけれど、ついに待ちきれなくなったようだ。
慎重さを忘れ、並べた座布団にの上で座って待っているナナばーばたちの元へ、とっとっとっ、と駆けていく。
「ナニャばーば! じーじたち! おみゃたしぇ!」
「大丈夫よ。待っている間も、楽しかったから」
「うんうん。とっても可愛かったぞ」
「さぁ、いよいよ、待ちに待った風呂上がりの一杯の時間じゃな」
息を弾ませながら到着の挨拶をすると、ナナばーばたちは笑顔で迎え入れてくれた。
にゃんごろーを待っている間に、ナナばーばたちは机を脇に寄せて、円陣を組むように座布団を並べていた。
にゃんごろーへ声をかけてくれた順番と同じ、ナナばーば、トマじーじ、マグじーじの順で並んで座っている。残った座布団は、三つだった。
座布団の数が一つ足りないことに気付かないまま、「さて、何処に座ろうか」と迷っていると、ふわりと体が浮いた。
ミルゥの仕業だ。
ミルゥは、にゃんごろーを抱き上げたまま、ナナばーばの隣に座ると、にゃんごろーを膝の上に載せた。
こうなることを見越して、あらかじめにゃんごろーの分の座布団は用意されていなかったのだ。
次に、長老が迷いなくマグじーじの隣に腰を下ろしたので、カザンは最後の残った席に座る。にゃんごろーを膝にのせたミルゥと長老の間の席だ。
にゃんごろーが転びかけた時にキャッチした、ミルゥのイチゴミルクをまだ持ったままだったカザンは、綺麗な所作で座布団に座ると、ミルゥの膝先にピンクの箱を置いてやった。
みんなが席に着いたことを確認すると、ナナばーばがパンと手を叩いて注目を集める。
「それじゃ、お待ちかねの乾杯といきましょうか!」
ナナばーばの凛とした張りのある声が、円陣の中に響き渡る。
ネコーたちのお顔が、満天の星空のように輝いた。
そうして、子ネコー的大いなる紆余曲折の末に。
にゃんごろーは、ついに。
イチゴミルクの楽園へと、辿り着いたのだった。