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第59話 練習は大事でしょ?

 コツコツと叩いた子ネコーの頭の感触が気に入ったのか、クロウは子ネコーの頭の上で指先をクルクルと回した。

 間に挟まれていたミルゥは、子ネコーの機嫌が直りそうな気配を感じて、心情的にも物理的にも身を引いた。出来れば、自分がその役目を果たしたかったし、その役を奪っていったのがクロウであることも「ぐぬぬ」な事態だったが、子ネコーの笑顔を想って、大人しく身を引いて、少し後ろに下がった。


 にゃんごろーは、されるがまま状態で、クロウの指先クルクルを受け入れていた。クロウの指は、強すぎず弱すぎず、早すぎず遅すぎず、絶妙のクルクル具合だった。

 お目目をパチパチして、クロウの次の言葉を待っている。視界はぼやけたままで、クロウの顔はよく見えなかったけれど、にゃんごろーをからかおうとしたり騙そうとしたりしているわけではないことは、なんとなく感じ取れた。


「いいか、ちびネコー。初めてっていうのは、さ。大抵は失敗するもんなんだよ」

「しょー……にゃの?」

「まあ、うまくいくやつもいるけどな。ほとんどの奴は、いきなり初めてのことに挑戦したら、まあ失敗することの方が多い」

「うぐ……」


 それは、まさに今のにゃんごろーのことだ。

 失敗を指摘されて項垂れるにゃんごろー。その瞳が再び涙で滲む前に、クロウは先を続けた。項垂れた子ネコーの頭を追いかけて、指でクルクルはまだ続行されていた。


「だから、練習をするんだよ」

「…………れんしゅー……?」

「そう、練習。うまくいくように、練習するんだ」

「……………………れんしゅー」


 にゃんごろーは、もう一度お顔を上げた。

 クロウに視線を向けつつも、クロウを見てはいなかった。涙のせいではない。昨日、お風呂の脱衣場でドライヤー魔法を失敗したことを思い出していたからだ。

 最初は、大失敗だった。風が熱すぎたり、冷たすぎたりして、練習台にした長老に悲鳴を上げさせてしまった。そう、念のために、長老で練習して大正解だったのだ。そうでなかったら、会ったばかりのお船の人を、酷い目にあわせるところだった。

 そう、だから。

 練習は、大事なのだ。

 実感を込めて、にゃんごろーはグッとお手々を握りしめて、力強く断言した。


「うん! れんしゅーは、らいり! わきゃる!」

「そうか、そうか。分かるのか。ん、……だったらさ。まずは、おかわりの練習をしようぜ?」

「おきゃわりの、れんしゅー……? しょ、しょれは、ろーすれば、いいにょ?」


 涙に濡れていたのは、遠い過去の出来事になった。

 にゃんごろーは、すっかりその気になっていた。

 すっかり乾いたお目目には、しっかりとクロウが映っている。

 クロウが、ニヤリと笑って言った。


「簡単だよ。ちょっとだけおかわりって、言ってみな?」

「ちょっとらけ……?」


 ちょっとだけおかわりとは、どういうことだろう?

 子ネコーサイズの小さいバターロールがあるということだろうか?

 でも、だったらなぜ、長老はそのことを教えてくれなかったのだろうか?

 長老が知らなくて、クロウだけが知っているお船の食べ物のことなんて、あるのだろうか?――と、内心で首を傾げる。食べ物のことについては、長老に絶大な信頼を寄せているにゃんごろーなのだ。


 頭の上をクルクルされながら、頭の中ではグールグルといろんな考えが渦巻いていった。

 クロウは、クルクルを続けながら、にゃんごろーがその言葉を言うのを、待っているようだ。

 指はクルクル。頭はグルグル。

 クルクルされている内に、グルグルは次第に治まっていった。

 その指の動きは、とても優しくて、気持ちがいい。

 こんなに気持ちがいいのだから、きっと信じても大丈夫だ、と子ネコーは単純に考えた。

 だから、にゃんごろーはクロウの提案に乗ってみることにした。

 子ネコーがその気になったことを感じ取ったのか、クロウの指が離れていく。

 そのことを少し残念に思いながら、にゃんごろーはクロウに向かって、もふビシッと片手を上げた。


「にゃ、にゃんごろーに、ちょっとらけ、おきゃわり、くらしゃい!」


 泣きすぎたせいで少々声が枯れてはいたけれど、上手にお願いすることが出来た。完璧な発声魔法とは言えないが、ちゃんと聞き取ることが出来る。にゃんごろーにしては、上出来だった。

 子ネコーのお願い聞いたクロウは、満足そうに笑って、自分のトレーの上からバターロールを手に取った。他は、すべて綺麗に完食しているのに、バターロールが一つだけ残っていたのだ。


 欲張りすぎて、食べきれなかったのだろうか?

 でも、その割には、まだまだ余裕そうな顔をしているな?


 ――――なんて、不思議に思いながら、こういうことは冷静に観察していると、クロウはバターロールを一口サイズに千切って、それをにゃんごろーに差し出した。


「ん、ほら。ちょっとだけ、おかわりな。このくらいなら、食えるか?」

「……………………う、うん。ちゃべれりゅ」

「なら、どーぞ」

「あ、ありあちょう」


 肉球の上に一口分のバターロールを載せてもらって、にゃんごろーは、ぱあっとお顔を輝かせた。

 お礼を言うと、早速スプーンを手に取り、イチゴジャムをたっぷりと掬い上げる。けれど、掬い上げたジャムを、すぐにバターロールに塗ろうとはしなかった。イチゴジャムとバターロールの欠片を、真剣なお顔で見比べている。バターロールの味を損ねることなくイチゴジャムの味を最大限に楽しむための適量を探っているのだ。

 吟味の末、適量を割り出したにゃんごろーは、それをそっとバターロールの上に載せる。

 真剣だった子ネコーのお顔が綻んだ。

 そのまま、お口を大きく開けて、念願のイチゴジャム載せバターロールを頬張る。


「んっ、んっ、んっ。……んぐ。…………おーいしぃーい♪」


 子ネコーに笑顔が戻った。

 今朝のにゃんごろーは、泣いたり笑ったりと、ひとりで勝手に大忙しだ。


「満足したかー?」

「…………うん。ごりろーしゃまれした」


 クロウに声をかけられて、にゃんごろーは名残惜し気にまだジャムが残っている器へ視線を送りながらも、お手々を合わせてぴょこりと頭を下げ、ご馳走様をした。

 残念ではあるけれど、お腹の方はみっちみちに満ち足りている。


「そっか。じゃあ、練習は、大成功だな。本番は、もっとうまくやろうぜ」

「……………………うん!」


 大成功と言われて、ジャムへの名残惜しさは吹き飛んだ。

 にゃんごろーの朝は、冒険の大成功から始まり、おかわり練習の大成功で終わったのだ。

 それを、クロウにも認めてもらえたようで、喜びが弾け飛んだ。

 輝くお顔をパッとクロウへ向けると、クロウは残ったバターロールを口の中に押し込もうとしているところだった。


「ク、クリョー! まっちぇ!」

「ん?」


 口を開けたまま、寸でのところで手を止めて、クロウは視線だけをにゃんごろーへと流す。

 にゃんごろーは自分のトレーから、まだ残っているイチゴジャムの器を取り上げると、それをクロウに差し出した。

 クロウのイチゴジャムの器が空になっていることに、目敏く気付いたのだ。

 そして、クロウがにゃんごろーのために、最後のバターロールを食べずにとっていてくれたのだということにも、なんとなく気づいた。こちらは、あくまで、なんとなくだけれど。

 ――だから、つまり、これは。

 お礼で、お詫びなのだ。

 それに、にゃんごろーは、もうお腹がいっぱいで、食べたくても食べられない。だったら、お残しをしてしまうよりも、クロウに食べてもらう方が、ずっといい。


「はい! クリョーにも、イチロリャムのおきゃわり、あげりゅ! バチャーリョールの、おりぇい!…………しょれと、おわり。ドロリョーしゃんっていって、ごみぇんね」

「終わり……? ああ、お詫びか。ん、別に、いいよ。なんだかんだ、面白かったしな」


 にゃんごろーからイチゴジャムを受け取ると、クロウはバターロールを半分に割って、その中にイチゴジャムを塗りこんでいく。綺麗に器は空になり、バターロールのイチゴジャムサンドが完成した。大口を開けて、完成したばかりのジャムサンドに齧り付くクロウを、にゃんごろーはじっと見つめていた。

 にゃんごろーも、次はああやって食べよう、などと思っている内に、バターロールは、あっという間にクロウのお口とお腹の中に消えていった。

 羨ましくなるほどの食べっぷりだった。


「ん、ごちそーさん。…………はー、それにしても。この面子で船の見学とか、正直気が重かったんだけど、意外と楽しめそうだな。腹筋が鍛えられそう的な意味で。期待してるぞー、ちびネコー?」

「んん?…………う、うん! まきゃして!」


 指についてしまったジャムを舐めとって、終了の挨拶をすると、クロウはにゃんごろーに向かってニヤッと笑った。

 にゃんごろーは、言われた内容を正しく理解はしていなかったけれど、最後の「期待してるぞー」というところだけは、都合よく聞き取った。

 なんだか分からないが、期待をかけられたのならば、応えなくてはならない。

 何をどうすれば期待に応えられるのかも分からないままに、にゃんごろーは威勢よく請け負った。

 ほんのさっきまで大泣きしていたとは思えない、気の入りようだ。


 クロウが参加したからこその、一連の騒動。

 けれど、その騒動を治めたのもまた、クロウなわけで。


「ふーむ。相性がいいのか悪いのか、よく分からんふたりじゃのー……」


 お胸の毛を撫でながら、長老はボソリと呟いた。




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