クロウが、閃いた名案を口に出せずにいるうちに、事態の方が動いてしまった。
強奪したサラダを完食した長老が、次なる略奪を実行したのだ。
「あ、食べ終わった」と思った時には、もう遅かった。忠告をする間もなかった。
長老はフォークをテーブルに戻すや否や、ササッと素早い動きで、空っぽのお皿とわずかにサラダが残っているお皿を取り替えたのだ。
目にもとまらぬ早業だった。
マグじーじのサラダにばかり注目していたにゃんごろーのお目目の端に映る、白い残像。反射的に、お目目は残像を追いかける。
クロウも、反射で動いていた。
にゃんごろーのお目目が悲しい現実を捉える前にと、片手を上げて店員を呼び止めたのだ。こうなってはもう、仕方がない。クロウはマグじーじへの配慮よりも、子ネコー大泣き事件回避を優先することにした。
「すみませーん。サラダを一皿、追加でお願いしまーす!」
「はーい!」
「…………にょ!?」
スープとサラダの配膳をちょうど終えたところだった店員は、眩しい笑顔と元気な返事で注文を受け付けてくれた。
すり替えられた空っぽのお皿を見下ろしながら、にゃんごろーは困惑の声を上げた。
お目目がお皿を捉える前に、クロウの声と元気なお返事が耳に入って来たのだ。
お目目から入ってくる情報とお耳から入ってきた情報が、小さな頭の中で錯綜していた。
下を向いたまま、お目目をパチクリさせる。
白い残像の正体が長老であることは、考えるまでもなく分かっていた。初めから分かっていた。それしか、ありえないからだ。もう、心にも体にも、染みこんでいるのだ。
空っぽのお皿を目にしただけで、何が起こったのかも瞬時に理解した。
にゃんごろーに残されていた、たった一つの小さな希望は、またしても長老に奪われてしまったのだ。本来ならば、絶叫やむなしの事態だったが、叫ぶよりも前にクロウの声がお耳に届いていたので、子ネコーの子ネコーをさらけ出さずに済んだ。お目目で衝撃を受けつつも、食いしん坊子ネコーは耳より情報を聞き逃さなかったのだ。
泣き出す直前まで膨らんだ悲しい気持ちと、新しいサラダの行末が気になる気持ちがぶつかり合い、せめぎ合った。その結果、バラバラの粉々に砕け散って、にゃんごろーの中に散らばっていく。
絶望と希望が、奇妙に同居していた。
希望と絶望は、カケラになって、にゃんごろーの中で気ままにワルツを踊り出した。
カケラたちは、時にぶつかり合い、時に手を取り合い、自由気ままに踊っている。
にゃんごろーは、絶妙に奇妙なお顔でクロウを見上げた。
クロウはニヤリと笑って、声なきにゃんごろーの問いかけに答える。
「安心しろ、ちびネコー。今、新しいサラダを頼んだから。もうじき、届くと思うぜ?」
「……………………しょ、しょれは、だれのシャララにゃの? クリョーのおきゃわり? しょれちょも…………」
「おまえのだよ」
「にゃ、にゃにゃ、にゃんごろーの、シャララ? ちょーろーに、ちゃべられちゃっちゃから? あちゃらしいにょを、ちゃのんでくれちゃの?」
「おう、そうだ」
「しょ、しょしょしょしょしょ、しょれじゃあ! にゃんごろーも、マルりーりも、ふちゃりちょも、シャララをちゃべられりゅにょ…………?」
「そうなるな」
「……………………はわぁあああああ! しゅろい! しゅららしぃ! クリョー、ありあちょー! さすが、にゃんごろーのじょしゅ! にゃんごろー、クリョーがじょしゅで、よかっちゃ! みんにゃれ、シャララ! みんにゃれ、シャララをちゃのしめりゅ! ふわぁあん! うれしぃいいいい!」
「………………あー、うん。よかった……な」
雲上に笑顔の花が咲いた。大輪の花が咲き、その周りで小花が舞い踊っている。クロウの機転により、子ネコー大泣きの大参事は免れた。にゃんごろーは喜びにお顔を輝かせ、おひげを震わせ、小花を巻き散らしている。
マグじーじのサラダを奪うことなく、みんなでサラダを食べることが出来る。誰も悲しい思いをすることがない、素晴らしい解決策だった。
にゃんごろーにとって、これぞまさに“起死回生の秘策”というヤツだった。
そんな秘策をもたらしたクロウのことを、にゃんごろーは心から誇りに思った。にゃんごろーは、手放しでクロウ助手を褒め称える。
しかし、手腕を褒められたクロウ助手の方は、はしゃいでいるにゃんごろーに歯切れの悪い頷きを返し、先ほどまでの得意げな顔を引っ込めてしまった。
大参事を回避できたことは、もちろんクロウも喜ばしく思っている。が、先生目線で助手ぶりを褒められるのは、あまり嬉しくはないが、今回ばかりは大目に見ようと思ってもいた。なのに、得意満面な気持ちは、すっかり醒めていた。
なぜかと言えば、気づいていしまったからだ。
そう、クロウは、気づいてしまったのだ。
窮地を救ったクロウのヒーローぶりを、快く思っていない者がいることに。
クロウにいいところを奪われた形の分かりやすい一名と、分かりにくい一名の姿が目に入ってしまったのだ。
悲嘆にくれる子ネコーに笑顔のお花を届けたヒーローの手腕を見せつけられて、二人は揃って手つかずの自分のサラダを残念そうに見下ろした。それから二人は、恨みがましい視線をクロウに投げかけたのだ。とはいえ、本気でクロウを妬んで、責め立てるつもりではないのだろう。それは、なんとなく分かった。ただ、落胆のあまり、無意識が駄々洩れになってしまっただけなのだろう。
けれど、それが分かってしまうから、余計に居たたまれない気持ちになった。
無意識にして無言の圧に耐え切れず、クロウは気まずそうな顔で、そっと視線をターブルの脇へ逃す。
逃した視線の先では、鉢植えの陰に隠れていた青い猫が、素知らぬ顔でどこか遠くを見つめていた。