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第142話 サラダ攻防戦

「いいんじゃ、いいんじゃ」

「でも、れもぉ」


 サラダよりも子ネコーからの感謝の方が欲しいマグじーじと、本当はサラダが欲しいけれどマグじーじのサラダを奪ってしまうのは嫌なにゃんごろーの攻防は、まだ続いていた。

 埒が明かない感じに、まだまだ続いていた。


 すでにスープとサラダを食べ終わっているクロウは、空になったスープカップを指の先で弄びながら、冷静にテーブルの様子を観察していた。

 チラリと隣に視線を流すと、本日のお客様であるキララとミフネのふたりは、まだサラダを食べている途中だった。ふたりは、「あらあら」、「おやおや」と向かいで繰り広げられている攻防劇を鑑賞しながらも、フォークを動かす手は止めず、サラダを味わっている。お食事と観劇、その両方ともを楽しんでいるようだ。

 呆れたりしていないか、嫌な思いをしていないか心配したのだが、杞憂だったようだ。優雅なランチをお楽しみいただけているようで何よりだな、とクロウは思った。

 続いて、攻防劇が始まった原因である長老へ目を向けた。長老は、猛然とサラダに取り組んでいるところだった。がっついている、と言ってもいい。もうすぐ食べ終わりそうだ。そのがっつきっぷりを見る限り、強奪したサラダで満足できるのか、微妙そうな感じだ。更なる略奪が始まりそうな予感がする。

 けれど、雲テーブル上に、白いもふぁ毛による新たな危険が迫りつつあることに、にゃんごろーもマグじーじも気づいていないようだった。

 にゃんごろーは悲壮感が漂う声で「でも、れも」言いつつも、そのお目目はマグじーじのサラダに釘付けで、周りの様子なんて目に入っていない様子だ。そして、本来ならば長老のお目付け役であるはずのマグじーじも、今はにゃんごろーとの戯れ合いに夢中で、長老のことなんて眼中にない。お食事時における白い危険物の存在をすっかり忘れてしまっている。

 一抹の不安を抱きながらも、そっと視線を横に逸らして正面に戻す。サムライが手つかずの自分のサラダ皿に手を添えて、攻防劇をじっと見つめている姿が目に入った。一見したところ、騒がしいふたりに冷徹な眼差しを注いでいるように思えるが、実はそうではないのだと今のクロウには分かる。分かりたくはないが、分かってしまった。手つかずの自分のサラダをにゃんごろーに差し出したいが、マグじーじの手前、我慢しているのだろう。

 食べるのが遅いわけでもないカザンのサラダが手つかず状態な理由も分かっていた。それが、マグじーじのサラダが手つかず状態なのと同じ理由であることも分かっていた。

 さっき、マグじーじは「こんなこともあろうかと」なんて言っていたが、二つのサラダが手つかず状態で残っているのは、こうなることを予期したからではない。

 子ネコー親衛隊の二人は、にゃんごろーの食事風景を鑑賞しつつ、にゃんごろーと一緒に料理を楽しもうと足並みをそろえていただけだ。綺麗に残されている二つのサラダは、その結果に過ぎない。クロウが親衛隊二人とプライベートを共にするのは今日が初めてだった。二人のことをよく知るには短すぎる時間だが、自分の考察に誤りがないことを、クロウは確信していた。

 同テーブル者たちの観察を終えると、クロウは空になった自分のカップと皿に視線を戻した。

 空っぽの器を目にした途端、キュル……と腹が鳴いた。

 スープとサラダは完食済みだが、若い男子の腹がそれだけで満たされるはずもない。むしろ、より一層食欲を掻き立てられていた。

 宥めるように腹をさすりながら、気を紛らわせようとテーブルの外へ視線を流す。隣のテーブルの様子が目に入った。見知った女性クルーが二人、メニューを開いたまま、チラチラと子ネコーたちに視線を走らせている。

 そう言えば、メニューを選んでいないな、と今さらのように気がついた。同時に、察した。ランチ会の主催者が子ネコーに夢中で説明を忘れただけで、席と一緒に料理も予約済みなのだろうな、と。

 注文済みの料理が何なのかは、確認するまでもなかった。

 話の流れ的に、ニャポリタン以外はありえないからだ。

 メニューについては特に不満はないが、出来れば大盛りにしてほしいな、と思った。長老に騙されているにゃんごろーは、ここが畏まったおとなのお店だと信じているようだが、実はそんなことはない。利用客のほとんどがクルーで、マスターもクルーということもあって、割と融通が利くのだ。マスターの気分にもよるが、大抵の要望は、柔軟に応じてもらえた。

 今からでも大盛りに変更できないだろうかと店員を目で探す。大盛りの上にはメガ盛りなるものもあるのだが、さすがにそれは遠慮した。おそらく、マグじーじの奢りになるであろうと予想したからだ。

 店員は、すぐに見つかった。白いシャツと黒のひざ丈スカートの上に、制服でもある鮮やかな青色のエプロンをつけている。綿あめのような雲があちらこちらに描かれた空色のエプロン。雲の中には、カフェの内装同様に、青猫が隠れている。

 店員は、スープとサラダを配膳している途中だった。

 それを見て、閃いた。

 膠着している事態を解決する、最善の策を閃いてしまった。


『つーか、サラダくらい、追加でもう一皿頼めばいいんじゃね?』


 思いつきはしたものの、口には出さなかった。

 それは、にゃんごろーにとっては最善だけれど、子ネコー親衛隊の二人にとっては、そうではなかったからだ。

 サラダ手つかず組の二人には、下心があった。自分のサラダを差し出すことで、にゃんごろーから感謝されたいという下心があった。それを、クロウは見抜いていたのだ。

 それでも、攻防劇を繰り広げているのがカザンだったなら、先輩クルーであることなどお構いなしに、提案を通り越して、断りなく勝手に注文していたかもしれない。このままでは、埒が明かないからだ。とはいえ、マグじーじ相手にそれをする勇気はなかった。

 部署は違うが、上司は上司。マグじーじは、海猫クルーの最高責任者なのだ。それに、クロウよりも、ずっと彼方の年配者だ。どうしても、遠慮がある。

 そんな風に、言いたくても言い出せずにヤキモキしていたら、事態が動いた。


 懸念していたことが、現実となったのだ。

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