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第141話 雲上の略奪者

 あっという間の出来事だった。


 白い雲海の上を漂う宝船のような深皿。

 その宝皿船の隣に、空っぽの皿船が素早い動きで横付けされた。続いて、フォークがにょにょっと現れる。

 フォークが狙っているのは、宝皿船の中にいるサラダ姫だ。

 煌めくドレスを身に纏い、にゃんごろーに誘うような微笑みを投げかけているサラダ姫。

 にゃんごろーの宝物。

 白い簒奪者は、にゃんごろーと姫の逢瀬を邪魔するだけでは飽き足らず、巧みなフォークさばきでサラダ姫に奇襲をかけた。為すすべもなく蹂躙されるサラダ姫。

 フォークは、サラダ姫の体を半分以上も搔っ攫い、横づけにした空っぽの船にザカザカと放り込んでいく。略奪を終えると、フォークと皿船は速やかに撤退していった。


 実に鮮やかな手並みだった。

 止める間もなかった。


 深皿の中には、サラダの残骸がわずかに残されているだけだ。

 まだ、一口も食べていないのに。

 食べかけ…………というよりも、食べ残しのような有様だった。

 誘いかけるような瑞々しい煌めきは、失われていた。

 姫の魔法は解けてしまったのだ。

 それだけではない。

 にゃんごろーが気になっていた赤い宝石のようなお野菜は、一つも残っていなかった。

 約束されていたハッピーエンドは、白いならず者によって悲劇へと塗り替えられてしまった。


 突然すぎる急展開に、頭と心が追い付いていなかった。

 にゃんごろーは、お目目を真ん丸に見開いて、夢の残骸が散らばる深皿を呆然と見つめる。

 深皿の底で、悲しそうに横たわっているお野菜たち。

 その姿を瞳に映しながらも、いや、映しているからこそ。

 悲しすぎる現実を受け止めることが出来なかった。

 サラダ姫になにが起こったのか、頭では分かっている。けれど、心がそれを拒否するのだ。その現実を認めることを拒むのだ。

 だって、こんなの。

 あまりにも酷すぎる。

 悪魔の所業だ。

 フォークを手にしたまま呆然としていると、右隣からシャクシャクとお野菜を咀嚼する音が聞こえてきた。

 白い悪魔こと、長老だ。

 長老が、にゃんごろーから奪ったお野菜を自分のものにして味わっている音だ。

 スープとサラダをお腹に収めたことで屍状態から少しだけ回復した長老。けれど、おとなネコーとしての理性を取り戻すには、それだけでは足りなかったようだ。足りない分の食料を追い求めて、屍だった長老は、お空のお店で狼藉を働くならず者へと生まれ変わったのだ。

 悪魔のごとき白いならず者が立てる小気味よい咀嚼音が、にゃんごろーに辛い現実を突き付けてくる。

 その音は、目の前の現実を受け入れることを拒否し、すっかり硬くなってしまった心にヒビを入れた。そうして出来たヒビの隙間から、認めたくない現実が入り込んでいく。

 信じがたい目の前の光景が、心に染み渡っていく。


 お目目の周りに、熱いものが集まってきた。

 目を逸らしたい現実が、滲んでいく。

 だけど、見えなくなったところで、現実は変わらない。

 響き渡る略奪のリズムが、にゃんごろーにそれを教える。

 おとならしくいようという誓いも忘れ、その熱を解き放ってしまいそうになったその時。


 長老とは反対側から伸びてきた手が、にゃんごろーの頭を優しく撫でてくれた。手の主は、ナデナデをしながら、にゃんごろーに語り掛ける。

 それは、悲しい現実を覆す魔法の言葉だった。


「安心せい、にゃんごろーよ。こんなこともあろうかと、サラダに手を付けずにとっておいたのじゃ。ワシのサラダと交換してやるからの」


 にゃんごろーは、ハッと左にお顔を向けた。

 マグじーじのお顔は、視界が滲んでよく見えなかった。パチリ、と瞬きをするとお目目に張っていた熱い膜がポロリと零れ落ち、少しぼやけてはいるが何とか見えるようになった。

 マグじーじは、優しいお顔で笑っていた。

 にゃんごろーは、しばしマグじーじのお顔を見つめた後、視線を落とした。視線の先には、マグじーじのサラダがある。

 マグじーじのサラダ姫。

 キラキラと輝くドレスを着て、一緒にお話ししましょうと微笑みかけている。


 もう一度、姫とやり直すことが出来る――――?


 それは、失意にお目目を濡らす子ネコーにとって、まさしく起死回生の魔法的ご提案だった。

 硬くなってヒビ割れた心を、一瞬で元通りのプリプリ子ネコーハートに復活させる魔法の言葉だった。

 子ネコーのお顔が希望に輝きかけ、けれど途中で固まった。サッと差し込んだ日差しは、また雲に覆われていった。


 もう一度サラダ姫とやり直せるのならば、こんなに嬉しいことはない。

 でも、だけど。

 それはにゃんごろーのお姫様ではない。

 そのサラダは、マグじーじのお姫様なのだ。

 とっても嬉しいお申し出だけれど、長老の食べ残しと交換してもらうなんてことは出来ない。マグじーじは何にも悪くないのに、マグじーじのサラダがちょっぴりになってしまう。それは、あまりにも申し訳ない。

 たとえ交換してもらったところで、マグじーじのお顔がチラついて、姫との逢瀬を心から楽しむことが出来ないだろう。


 にゃんごろーの食いしん坊心は、新しい姫を強く求めた。

 けれど、にゃんごろーの優しい心が、それをよしとしなかった。


 マグじーじのサラダ姫を奪うなんて、出来ない。

 そんなことをしたら、長老と一緒になってしまう。


 サラダ姫を見つめるにゃんごろーのお目目が、切なく揺れた。

 後ろもふ毛を引かれながらも、にゃんごろーはおとならしく毅然とした態度でマグじーじに告げようとした。


「ありあちょう、マグりーり。とっちぇも、うれしい。うれしいけりょ、でも、しょんにゃこちょしちゃら、マグりーりの、シャララが、ちょっぴりに、にゃっちゃう……。だから、らから…………うっ、うぅっ……」


 おとならしく毅然としているつもりの態度できっぱりとお申し出をお断りしようとして、あえなく失敗した。


 サラダ姫への未練が、どうしても――――。

 最後の一言を言わせてくれなかったのだ。


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