目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

第25話 ざわめき

「春馬君は暴れなかったか……まぁいいさ、だ」



 スーパーから春馬たちが出てくるとひろしは吸っていたタバコを携帯灰皿でもみ消した。両手を大きく広げて春馬をギュッと抱きしめる。



「上手くいったみたいだな。信じてたぜ!!」

「あ、ありがとうございます……」

「どうした? 元気がないねぇ。あ、もしかしてお金のことかな?」

「……」



 春馬は力なくうなずいている。寛は春馬からバットを受け取りながら語りかけた。



「キングに売った恩はデカイって言っただろ? 気にしてんじゃねぇよ。話がまとまったなら、さっさと帰るぞ!!」

「は、はい」



 寛がハイエースのドアを開けると臣の明るい声が聞こえてきた。



「春馬さん、小夜さん、禍津姫さん、お疲れさまでした!!」



 臣がペコリと頭を下げると隣で睡魔も「みんな、お疲れさま」と言葉をかけてくる。春馬は俯きかげんになりながら口を開いた。



「臣君、あの……お金のことなんだけど……」



 春馬は契約金のお礼を言おうとしたが、上手く言葉が出てこない。そんな春馬の心を察して臣は微笑みかけた。



「春馬さんのおかげで外の世界を見ることができました!! それに、春馬さんの活躍にも期待しちゃってます!! だから、その……気にしないで下さい!!」



 臣は中性的な顔を真っ赤にして精一杯、春馬を気づかっている。その様子を見ていた春馬は胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。



「ありがとう……本当に、ありがとうございます」



 春馬はみんなが臣に忠誠を誓う理由が少しだけわかったような気がした。お金を用立ててくれたからだけではない。夏実を救うという深刻な問題を共有してくれる……その事実が本当に嬉しかった。



「さあ、参るぞ。わらわは帰って、げ~むをしなければならぬ。忙しいのじゃ」



 春馬の気持ちをよそに、禍津姫が欠伸あくびをしながらハイエースへ乗りこむ。春馬と小夜も乗りこもうとすると、そこへスーパーの通用口と裏口にいた黒鉄くろがね莞爾かんじ蛮堂ばんどう泰斗たいとの車が戻ってきた。



「悪い。みんな、ちょっと待っててくれ」



 寛はそう言って莞爾の乗る車へ向かう。戻ってくるときには莞爾の部下を一人連れていた。



「俺はちょっと泰斗たちと話があるから別の車で帰る……この車は彼に運転してもらう」

「よろしくお願いします!!」



 寛が運転手の変更を告げると部下は元気よく挨拶して運転席へ乗りこむ。寛は笑顔で指示を出した。



「じゃあ、来たときと同じ車列、道順で帰ってくれ。キングが乗っているんだ。くれぐれも安全運転で頼むよ」

「ハイ!! 寛さん、了解いたしました!!」

「いい返事だねぇ」



 寛は部下の肩をポンと叩いて泰斗の車へ向かった。



✕  ✕  ✕



 帰りの車内は明るい会話が続いていた。九兵衛が喰魂師じきこんしを探してくれると約束してくれたため、春馬の表情も幾分かすっきりしている。その影響を受けた禍津姫まがつひめもにこやかだった。



「ムゥ。うまくいかないのう……なぜじゃ??」



 禍津姫は臣からもらった風船ガムに挑戦していた。ただ、風船を作ろうとしては何度も失敗している。



おみ小夜さやのように風船ができなぬ。もしや、新手の呪いか??」

「そんなわけないでしょ。見てて」



 小夜は悪戦苦闘する禍津姫を尻目に大きな風船を作ってみせた。



「ヌゥ……わ、わらわだって……」



 禍津姫はりずに挑戦してみるものの、やはり風船は膨らまない。しまいには禍津姫の頬が膨らんだ。



「フン……もうよい……もう知らぬ……」

「ちょっと膨れないでよ。作り方をちゃんと教えるから」

「本当か? 小夜、騙したら承知せんぞ」

「騙さないって。こうやって舌をガムに入れて……」

「こ、こうか?」

「そうそう……」



 ふと、小夜は禍津姫のつややかな赤い唇を見て急に息が止まった。禍津姫の唇は春馬と重なった。そう思うとなぜか息が詰まり胸の奥もざわついてくる。



ホレデそれで?」

「えっ!? あ、あとはそこに空気を入れればできるよ」

ホンホウダほんとうだ



 風船ができると禍津姫は大喜びで助手席に座る春馬の肩を叩く。春馬に風船を自慢したいらしい。小夜は振り向いた春馬と一瞬だけ目が合った。慌てて俯き、視線を外す。



──ど、どうしてわたしは顔を伏せてるの……?



 小夜は自分で自分が理解できなかった。普段の小夜はスクールカーストでトップに君臨する女王。小夜に気後きおくれする男子はいても、小夜が男子に気後れすることは絶対になかった。



──なんで春馬を意識するのよ……。



 小夜には双葉ふたばりょうという美しくて聡明な彼女がいる。異性を意識するなんて有り得ないことだった。しかし、思い返してみると……。


 夜の公園で会った春馬が一瞬だけ見せた、憂いを含む大人びた表情……その顔がどうしても忘れられない。禍津姫は口づけを交わすとき、あの表情を見たのだろうか? 



──見たよね……見たに決まってる……。



 そう考えると心のざわめきは大きくなり、息苦しさは増すばかりだった。小夜は自分を誤魔化すようにスマホを起動させて涼の名前を探した。



✕  ✕  ✕



 春馬が肩を叩かれて振り向くと最初に目が合ったのは小夜だった。しかし、小夜は春馬を避けるように下を向いてしまった。



──僕、また何かしたのかな……。



 そう思っていると再び肩を叩かれる。顔をさらに後方へ向けると白い球体が目に飛びこんできた。よく見ると禍津姫まがつひめが得意げな顔で風船を指さしている。



「風船、できたんだ。よかったね」



 春馬が微笑むと禍津姫は限界まで風船を膨らませた。間もなくして、パンッという音とともに風船が割れる。



「風船ガムとは面白いな……美味じゃし、遊び心がある。それに、無くならぬ」



 初めて食べる風船ガムがよほど気に入ったのだろう。禍津姫は無邪気に笑っていた。



「春馬、楽しいのう」

「そうだね。でも、味がなくなってきたら捨てるんだよ」



 春馬はダッシュボードからティッシュを取り出して手渡した。そのとき、最後尾の座席で睡魔すいまによりかかって眠るおみに気づいた。



「臣君も……疲れたんだね」

「ん?」



 禍津姫も春馬の視線を追いかける。グッスリと眠る臣を見て優しげに目を細めた。



「初めての外界に疲れたのであろう。鈴宝院家れいほういんけの当主といってもまだ子供。はしゃいで、疲れて、寝る……そちらの方が、子供としては正しかろう」



 耳に溶けこむような慈愛に満ちた声色こわいろだった。臣を見つめる禍津姫は柔らかな眼差しとかすかに揺れる黒髪が相まって、思わず見とれてしまうほど美しい。しかし、その横顔はどこか悲しげでもあり、春馬は言い知れないはかなさを感じた。



──僕には禍津姫さんが暴虐の神とは思えない。どんな過去があって、今は何を想うんだろう……。



 春馬は自分の心へ向かって問いかけてみるが禍津姫からの返答はない。悠久のときをへて復活し、今は春馬の両目にまう神獣『八頭やず大蛇おろち』。その心の在処ありかを春馬は知らなかった。そして……。


 車内には一人だけ不穏な空気にさいなまれている人物がいた。それは、緋咲ひさき睡魔すいまだった。睡魔は隣で寝息を立てる臣の頭をなでながら、ときおり後ろを振り返る。しかし、いくら確認しても寛が乗った車のヘッドライトは見えない。見えるのは規則的な速さで流れゆく街灯だけだった。



──ああ……やっぱり。



 睡魔の鬱々とした心が晴れることはない。睡魔はこれから起こるであろうことを想像して強くまぶたを閉じた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?