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第28話 二面性

 睡魔すいまおみを寝室で休ませると稲邪寺とうやじの事務室へ向かった。2階にある事務室では夜勤の男女が4~5名ほどデスクに向かっている。


 睡魔はコーヒーメーカーでコーヒーをれるとマグカップを持って中央にある自席に座る。壁に設置された巨大な液晶パネルには監視カメラの映像が幾つも映っていた。


 門扉もんぴ、駐車場、廊下、庭、別邸……監視カメラは稲邪寺とうやじの隅から隅までを映し出している。睡魔は駐車場の映像を確認してみるが、蛮堂ばんどうの車両はまだ戻っていない。スマホを見てもひろしからの連絡はなかった。



──やっぱり、あの人は鼠神そじんたちを許さない……。



 睡魔はスマホをデスクに置いて大きく息をつき、さっきまでの出来事を思い出していた。


 スーパーで春馬たちを待つ間……一度だけおみひろしを呼んだ。そして、「鼠神そじんのみなさんはちゃんと喰魂じきこんを探してくれるでしょうか?」と尋ねた。よほど不安だったのだろう。臣は「ボクはお父さまと違うから……」と悲しげに付け加えた。


 問題は寛の回答だった。寛は臣を心配させないように「キング、大丈夫ですよ」と満面の笑みで答えた。睡魔は知っている。その笑顔は寛がキレているときの顔であることを。


 睡魔と寛は幼いころから鈴宝院れいほういんに忠誠を誓ってきた。ときに寛の狂信的なまでの忠誠心は暴力とともに語られる。寛は臣の前に現れなかった鼠神たちを決して許さないだろう。臣のメンツを潰されたと考え、必ず暴力に訴える。



──止めなかったわたしも同類か……。



 睡魔の苦悩は大きかった。鼠神といえども、相手は人間と変わらぬ容姿を持ち、同じ営みを送る者たちだった……。



×  ×  ×



 どのくらいたっただろうか。睡魔は呼びかけられる声で我に返った。



「睡魔さん、お疲れさまです。まだ起きてらっしゃったんですね」

「えっ!? あ、ヨリちゃん……お疲れさま」



 睡魔が「ヨリちゃん」と呼ぶ女は本名を朝霧あさぎり依子よりこという。依子は鈴宝院家に仕える諸家しょかでは珍しく、大学院を修了してから稲邪寺へ入った。それも、一般企業に勤めるより給料がよく、親族のコネで入れるからという理由だった。


 最初は依子が打算的な女だと思っていた睡魔だったが、一緒に働くうちにその考え方は変わった。依子は発想が柔軟で機転がき、責任感も強い。DMH《デッドマンズハンド》では異質な存在だが、睡魔にとっては優秀な参謀であり補佐官だった。事実、睡魔は自分が留守にしている間、稲邪寺の警備を依子に任せている。



「ヨリちゃん、わたしがいない間は大丈夫だった?」

「特にご報告するような事態は起きておりません。待機させていた車両も解散させました。でも……」

「?」

「当主と家宰かさいと警備主任がいませんでしたから……めっちゃ緊張しました!! 無事に任務を終えてホッとしちゃってます」



 依子が大袈裟に報告すると他の警備員たちも笑顔になり、事務室の雰囲気は明るくなった。



「ヨリちゃん、あとはわたしが見てるから今日はもう休んで」

「ダメです。朝6時までが勤務時間なので。依子は真面目なのです♪」



 依子は笑顔で敬礼してみせる。そして、チラリと駐車場の映像を見た。



「それにしても、寛さんは遅いですね……」

「ヨリちゃんが待っているのは泰斗たいと君でしょ?」

「ち、違います!! あんな神経質で陰キャなヤツ、別に待ってませんよ!! ま、まあ、コンタクトにしたら多少はイケメンですけど……」

「泰斗君のコンタクト姿を見たことがあるんだ? 泰斗君、仕事中はいつも眼鏡だよね?」

「そ、それは!? ……あ、睡魔さん、からかっていますよね!? 怒りますよ!!」

「ゴメン、ゴメン」



 睡魔は苦笑いを浮かべながら席を立つとアップにしていた髪をほどく。少し癖のついた髪をかき上げながら依子を見つめた。



「ねえ、ヨリちゃん。やっぱり事務室ここを頼んでいい?」

「え!? 畏まりました……寛さんが戻られたら、お伝えしますか?」



 依子は睡魔の雰囲気が変化したのを敏感に感じ取って真面目に尋ねた。



「……連絡しなくて大丈夫」

「あの、睡魔さんはどちらへ?」

「ちょっと、夜風に当たってくるわ……」



 睡魔は微笑みながら言い残すと事務室を出て行った。



×  ×  ×



 睡魔は山門をくぐり、石灯籠いしどうろういざなう飛び石の一本道を歩いた。ピンヒールが石をとらえるたびに乾いた高音が響く。周りには誰もいない。蛍が柔らかな曲線を描いて飛び交っているだけだった。


 少し歩くと聞き慣れた笛のが聞こえてくる。それは、たいらの敦盛あつもり魔笛まてき小枝こえだ』で奏でるいにしえの宮廷音楽だった。


 夜陰に溶けこむ旋律は、まるで睡魔のうれう心の内を知っているかのようにはかなげだった。耳を傾けながらゆっくり進むと、やがて睡魔は先客がいることに気づいた。



──小夜ちゃん……?



 池のほとりで小夜さやが白いパーカーのフードをかぶってしゃがんでいる。近づくと小夜は気配に気づいてこちらへ振り向いた。すぐに立ち上がってフードを外す。



「睡魔義姉ねえさん……」

「小夜ちゃん、どうしたの?」

「ちょっと……眠れなくて……」

「そっか……」



 睡魔は小夜の隣に並んで池の対岸、巨石の上で笛を奏でる貴公子を見た。平敦盛は封印されていた禍津姫まがつひめを慰めるために臣が召喚した。しかし、禍津姫が春馬の両目へ転封てんぷうされた今も、この場所で笛を奏でている。



あきちゃんは何をしてるの?」



 睡魔は話題をかえるように尋ねた。禍津姫は真月媛まなづきあきとして稲邪寺とうやじで暮らしている。睡魔は禍津姫を現世における名前で呼んだ。



「禍津姫ですか? さっきまで夢中になってゲームしてましたよ……」

「ゲーム!?」



 意外な答えに睡魔は眉を上げた。



あきちゃんは何のゲームをしているの?」

「『ウルデンガルム─王国の落日─』っていうシミュレーションゲームです。ゲームシステムとか教えたら、のめりこんじゃって……」

「媛ちゃん、ゲームで忙しいって言ってたけど、本当だったのね」



 睡魔がクスクスと笑うと、呆れ気味に言っていた小夜も笑顔になる。気のせいか笛の曲調も明るさを帯びたものへと変わった。思わず、睡魔は再び平敦盛を見る。平敦盛は目を閉じて無心で笛を吹いていた。その姿はみやびで立ちもあいまって美しい。しかし……。


 平敦盛も往時おうじ血刀ちがたなを手に戦場を駆けている。戦場で人を斬り殺す姿と、優雅に笛を奏でる姿……どちらも平敦盛の本当の姿だった。



──誰にでも二面性がある。



 睡魔がそんなことを考えていると小夜はポツリとつぶやいた。



「兄さん、帰ってきませんね……睡魔義姉ねえさんは何か聞いていますか?」

「……聞いてないわ」

「そうですか……」

「急に、どうしたの?」



 寛の帰宅が遅くなるのはよくあることだった。普段はあまり気にしない小夜が、今日に限っては尋ねてくる。睡魔はそれが気になった。



「別に、どうってことはないんですけど……なんか気になっちゃって……」

「……」



 兄妹ゆえの直感か、小夜は寛がいつもと違うと感じていた。



「兄さん、よく言うんです。幽世かくりよ神域しんいきの住人を絶対に信用するなって。でも……」



 小夜は視線を敦盛へ移した。



「最近、あまりわからなくて……」

「……」



 小夜は『幽霊狩り』が正しい行為だと信じてきた。人間に対して仇為あだなす存在を問答無用で粛清してきたのだから、そう思っていて当然だった。しかし、禍津姫や鼠神そじんたちと出会って疑問が浮かんだ。



『神や幽霊も人間と変わらないのではないか?』



 そう考えてみると、『自分たち以外は全て敵』と決めつけ、一方的に粛清する寛はひどく暴力的で野蛮に思える。



『本当に今の幽霊狩りは正しいのだろうか?』



 そう疑問に思うたび、小夜の胸は締めつけられる。小夜の苦しみは今までの考え方や価値観が揺らいでしまうことだった。



「「……」」



 小夜と睡魔の間には沈黙が横たわっていた。いつの間にか笛のもやんでいる。やがて、睡魔はおもむろに口を開いた。



「あの人は人間以外を信じるなって言うけれど……人間だって簡単に信じちゃいけないわ」

「……」



 睡魔のささやきは独り言のようで、夜風とともに消えてゆく。小夜は睡魔の真意をはかりかねて黙りこんだ。



「小夜ちゃん、そろそろ行きましょう」

「……はい」



 睡魔は豊かな髪をかきあげると稲邪寺へ向かって歩き始める。小夜はただ黙って睡魔の背中を見つめていた。



×  ×  ×



 小夜さやが自室へ戻るとすぐにドアがノックされた。扉を開けると禍津姫まがつひめが立っている。禍津姫は水玉模様のパジャマシャツに着替えており、手にスマホを持っていた。



「小夜、大変じゃ!!」

「ど、どうしたの??」



 小夜が驚いて尋ねると禍津姫はスマホをかざす。



「一大事なのじゃ!! これを見よ!!」

「ちょっと、落ち着いてよ」

「わらわの……わらわの城が燃えておる!!」

「??」



 小夜がスマホを確認するとゲーム画面が赤く点滅していた。



「ああ、これは戦争を仕掛けられたんだよ。だから炎のマークが表示されて、赤く点滅しているの」

「せ、戦争じゃと!? このわらわに戦争を仕掛けるとは、どこの不届き者じゃ!! わらわの大切な城を燃やすとは……探し出して、一族もろとも……」

「ハイハイ。これはゲームだからね。いちいち蛇を召喚するなら、もう教えないよ」

「うぅぅ。それはイヤじゃ……」



 禍津姫はあからさまにションボリして肩を落とす。小夜はスマホを受け取り、ゲーム画面でバリアを張った。そして、スマホを返しながら苦笑する。



「ホラ、これでもう大丈夫だから。取り乱さないでよね」

「す、すまぬ。わが城を救ってくれて、心より感謝するぞ」

「あのさ、神さまだからってゲームで夜更かししない方がいいよ」

「う、うむ……わかった……寝る……」



 帰りかけた禍津姫は足を止めた。クルリと振り向いて小夜の顔色をうかがう。



「小夜、明日も一緒にゲームしてくれるじゃろ?」

「うん。わかったよ」

「本当か!? 約束じゃぞ!! 楽しみじゃな!!」

「そうだね。じゃあ、おやすみ禍津姫」



 禍津姫が喜ぶ顔はどこか幼げで可愛らしい。小夜が微笑むと禍津姫は少し気恥ずかしそうに小夜を見つめた。



「ところで小夜……」

「今度は何?」

禍津姫まがつひめではなく、あきと呼んでくれぬか? お主たちが与えてくれた名前も……気に入っておるのじゃ……」



 禍津姫は頬を赤らめると俯きかげんになり、声もか細くなっている。小夜は少し驚いていたが、禍津姫の照れ隠しのような仕草に微笑んで名前を呼んだ。



「おやすみ、あき

「お、おやすみ、小夜さや



 媛と呼ばれた禍津姫はやはり恥ずかしかったらしい。頬を赤くしたまま、足早に部屋を出て行った。

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