寛はコルト・ガバメントを構えながら待合室の扉を開けた。石造りの部屋には誰もおらず、見計らったかのように警報がピタリと止まる。そうかと思えばテーブルに置かれた固定電話が鳴った。
──!? 回線は遮断されているはずじゃ……。
寛は訝しがりながらも受話器を取った。
「緋咲寛だ」
「……」
「おい、返事をしろ!!」
「……よかった。あなた、無事なのね……」
受話器の向こうからは睡魔の声が聞こえる。
「睡魔か!? いったい何が起きてる?? そっちは大丈夫なのか!?」
「それが、わらないの……とにかく、早くこっちへ来て」
「落ち着くんだ。山門のなかは無事なのか!? キングは??」
睡魔の声を聞いた寛は矢継ぎ早に質問する。しかし、返ってきた返事は先ほどと大差のない言葉の羅列だった。
「それガ、わかラなイの。トに……カク、はヤクこっチへ……キて」
「……睡魔?」
──いや、違う。睡魔じゃない。
寛はすぐに確信した。声色は睡魔だが間延びした口調や雰囲気が普段の睡魔とかけ離れている。
「はヤク……こォっちヘ……キてぇ」
「……今、そっちへ行ってやる」
寛は忌々しい顔つきで電話を切る。泰斗は息をのんで見守っていたが、やがて心配そうに口を開いた。
「事務室の睡魔さんからじゃなかったんですか?」
「睡魔じゃないな。どっかのバケモノだ。声は覚えた、逃がさねぇ」
「……寛さん、どうしますか?」
泰斗は尋ねながら何度も眉間で眼鏡をかけ直す。せわしない仕草は緊張しているときの癖だった。寛は苦笑しながら答えた。
「どうもこうもねぇよ。とりあえず、山門まで行ってみるしかねぇな。山門から向こうは対八頭大蛇のために準備した強力な結界が張られたままだ。そんじょそこらのバケモノなら、まず入れねぇ」
「それならキングも、睡魔さんや小夜さんも無事ですね」
「ああ。それに、ヨリちゃんもな」
「……はい」
寛が付け加えると泰斗は気まずそうに眼鏡をかけ直す。寛はバットを肩に担いで泰斗たちを見回した。
「油断するんじゃねぇぞ。電源を落とされて、回線も押さえられてる……『幽世』や『神域』だけの仕業じゃない。人間が関わっている可能性も考えろ。もちらん、人間が相手でも遠慮するな。ココを狙え」
寛は左手の人差し指でこめかみをトントンと叩いた。
「こっちは死人まで出てるんだ。躊躇うな」
「「「わかりました」」」
泰斗たちの眼差しに闘志が宿ると寛は大きく頷いて待合室を出た。しかし、外は慣れ親しんだ稲邪寺とまるで別の場所だった。普段は群飛している蛍がまったくいない。それどころか、虫や鳥の鳴き声一つ聞こえてこなかった。石灯籠の薄明りに照らされた一本道が闇の彼方まで続いていた。
「行くぞ……」
寛たちはバットとH&Kを構えながらゆっくりと進む。やがて、池の横を通り過ぎようとしたとき、全員がギクリとして足を止めた。背の高い樹々の合間を白い物体がユラユラと浮遊している。
「……敦盛」
寛は思わず呟いた。白い直垂をなびかせて闇夜を舞っているのは、臣が召喚した平敦盛。しかし、今の敦盛は寛が見知っている姿ではなかった。
敦盛の真後ろにはバフォメットが絡みつくようにピタリと張りついている。身体の一部は敦盛と同化し、新しく山羊の頭と手足が生えたかのようにも見える。
「う゛ぅ……」
敦盛は均整の取れた美しい顔を歪め、苦痛に呻いていた。頬や額には赤い脈が何本も浮かび上がっている。やがて、血走った両目は眼下の寛たちをギロリと見下ろした
「来るぞ!! 迎撃しろ!!」
寛が叫ぶと同時に部下二人が敦盛へ向かってH&Kを斉射した。しかし、宙を舞う敦盛は弾幕をかいくぐり、寛たちへ向かって急降下してくる。寛たちは敦盛の動きを目で追うだけで精一杯だった。寛と泰斗のバットも虚しく空を切る。
「あ゛あ゛!!」
地面へ降り立った敦盛は4本になった腕を一閃させた。とたんに、衝撃波が寛たちを襲い、全員が放射状に吹き飛ばされる。それぞれ樹々や石灯籠に身体を打ちつけて地面に転がった。
「い、いてぇじゃねぇか……」
寛は樹齢千年はあろうかという大木に背中を打ちつけた。
「こんなんばっかりだな俺は……」
寛は禍津姫に吹き飛ばされたときを思い出して苦笑いを浮かべる。痛みに耐えながら辺りを見渡すと、泰斗たちもそれぞれ起き上がり、再び敦盛へ向かってバットやH&Kを構えていた。吹き飛ばされても武器を手放さない戦意は称賛に値する。しかし……。
敦盛は鈴宝院臣が禍津姫を慰撫するために召喚した『神』。その神にとり憑くほどの力を持ったバフォメットと対峙して、生き残れるとはとても思えない。
「お前ら、逃げろ!! 山門まで走れ!!」
寛が叫ぶと泰斗たちは一斉に寛の方を向く。三人とも戸惑い、逃げ出せずにいる。
「いいから、走れ!!」
「「「ハ、ハイ!!」」」
寛が再び命じると泰斗たちは山門へ向かって走り始めた。
「う゛ぅぅ……」
敦盛は泰斗たちの行動が意外だったのか、一瞬だけ動きが緩慢になった。しかし、すぐに追撃態勢をとり、地を這うように飛びながら全力疾走する泰斗たちへ迫る。そのとき突然、敦盛の進路に寛が飛び出してきた。寛はそのままバットを振り抜いた。
寛のフルスイングは敦盛の片割れである山羊の頭部をとらえた。不意を突かれた敦盛は後方に回転して地べたに叩きつけられる。しかし、撃墜された敦盛は八本の手足を使ってすぐに飛び起きた。まるでしなやかな筋肉を持つ獣だった。
「ゆ゛、る゛、さ゛、な゛、い゛」
敦盛は低く唸りながら寛を睨みつける。山羊の頭部がバチバチと放電したかと思うと、敦盛と山羊の頭部は同時に赤い口をパックリと開けた。
「ア゛ーーーー!!!!」
敦盛は耳を劈く叫び声を上げた。怒声は樹々を揺らし、闇をも切り裂いて響き渡る。敦盛は腰の小刀を抜き放ち、猫背になって近づいてきた。
──こりゃヤバイ。逃げられそうにないな……。
寛は迫る敦盛にたじろいで少しずつ後ずさる。必死になって逃げ出す機会を窺うが、敦盛はそんな隙など与えない。バットを握る手が汗ばみ、唇はカサカサに乾いていた。
「ア゛ー!!」
敦盛は瞳に憎悪を滾らせて迫りくる。
──本当でヤバイ……。
寛がそう思った瞬間、敦盛は何かに気づいてぴたりと足を止めた。
──どうしたんだ??
寛は身構えながら首を傾げる。すると、すぐに後ろから声がした。
「自ら盾になって皆を逃がすとは……下郎にしてはなかなかやるではないか。見直したぞ」
「!?」
寛が驚いて振り向くとそこには水玉模様のパジャマシャツを着た禍津姫が立っている。
「小夜に夜更かしはいかぬと注意されたばかりなのじゃが……五月蠅くてかなわぬ」
禍津姫は寝ているところを起こされて不機嫌だった。その右手には可愛らしい『ウサギのぬいぐるみ』の片耳が握られていた。