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第31話 言霊02

「ま、禍津姫まがつひめさん!?」



 春馬は飛び起きて声の主を呼んだ。



──春馬よ、今、稲邪寺とうやじが襲撃されておる。



 やけに冷静な禍津姫の声が脳内にひびく。そうかと思えば次の瞬間、稲邪寺とうやじの山門から続く深い森の映像が脳裏のうりに流れこんできた。まるで、実際に稲邪寺の屋上から辺りを眺めているかのようだった。



「う、うわぁッ!!」



 春馬は高所からの光景に驚いて悲鳴を上げた。



──情けない声を上げるでない。この景色はわらわが今、見ているものぞ。お主は今、わらわと視覚を共有しておる。



「視覚を共有!?」



──さよう。わらわと春馬は……い、一心同体じゃから……な。



 禍津姫の声色こわいろはどこか気恥ずかしそうだった。しかし、すぐにその声が毅然としたものへかわる。



──見るがよい。



 禍津姫がそう告げると視界が望遠鏡を覗くようにグンと広がった。夜陰をものともせず、鮮明に辺りを見渡せる。



「えっ!?」



 春馬はたいらの敦盛あつもりと対峙する寛たちに気づいた。よく見ると敦盛には山羊の頭と手足がえている。



──わらわがねぐらを変えたとでも思ったのであろう。人外の者が侵入しておる。下郎が交戦しておるが……まず、敵わぬじゃろうな。



「……」



 春馬は顔色を真っ青にした。言葉を失っていると禍津姫が決断を迫ってくる。



──春馬よ……戦うかいなか、決めるのじゃ!!



「で、でも……」



 戦うなら禍津姫の力を解放することになる。誰もが恐れる力を自分一人の考えで解放してよいものかどうか躊躇ためらわれた。



──ふふっ。



 春馬が迷っていると一瞬、禍津姫の笑い声が聞こえた。



──例えその身にわらわの力を宿しても、本人が臆病で優柔不断な匹夫ひっぷなら、力などないも同じ。見よ……。



 嘲笑とともに禍津姫は再び稲邪寺とうやじの光景を見せる。ちょうど寛が敦盛に吹き飛ばされるところだった。



「ひ、寛さん!?」



 あまりの出来事に春馬は強く目をつぶった。しかし、まぶたを閉じても映像が途切れることはない。



──目を背けるな!! 犠牲者も出ておるのだ!!



 禍津姫の怒声が聞こえると春馬は慌てて目を開けた。



──嘘にまみれた自分を捨て去り、強くありたいと願うなら、決断いたせ!! おのれの意思で牙をくのじゃ!! 



 決断を迫る声は春馬の身体中を駆け巡って心を奮い立たせた。



──僕は……匹夫なんかじゃない……。



 春馬は心の中で静かに宣言すると乱れた髪をゆっくり後ろへかき上げた。前方を睨む瞳はもはや怯えてなどいない。眼前の敵を憎み、ほふり、喰らう、獰猛どうもう蛇眼じゃのめだった。



「禍津姫さん、僕のために戦って下さい……八頭やず大蛇おろちよ、寛さんを助けて稲邪寺から脅威を取り除け!! その力を!!」



 春馬は強く願う気持ちをそのまま言葉にして並べた。



──相分かった……ふふ。ふふふ……。あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。



 突然、禍津姫は声高こわだかに笑い始めた。春馬にはその笑い声が、力を解放して戦えることへの歓喜の哄笑こうしょうに聞こえた。戸惑っていると、禍津姫の高笑いがピタリとやんだ。



──春馬よ、一つ教えておくぞ。そなたの言葉は言霊ことだまとなってわらわの力を解放する。すなわち、わらわが行うことはそなたが行ったことも同じ。ゆめゆめ忘れるな。



「う、うん。わかった……」



──それでは参るか。わらわも寝ているところを起こされて気分が悪い。



 禍津姫が語り終えると同時に春馬の視界は高所から山門、そして寛のもとへと曲線を描いて変化する。禍津姫はまたたく間に敦盛と戦う寛の背後までやってきた。


 禍津姫まがつひめの力は圧倒的だった。あっと言う間にひろしを救い、敦盛あつもりからバフォメットを引き剥がして呪縛する。春馬はふつふつとした気持ちの高まりを感じていた。何者も干渉できない力で敵を組み伏せるのは、胸がすくようで気分がいい。万能になった心地よさを感じて、バフォメットを見下した。



──禍津姫さん。コイツらは一体……??

──バフォメット……『サバトの牡山羊おすやぎ』と言う別名を持っていたはずじゃ。

──サバト?

──サバトとは魔女たちがもよおうたげのこと。バフォメットは魔女を崇拝し、信仰する妖怪といったところじゃ。

──じゃあ、『幽世かくりよの住人』でDMHデッドマンズハンドの敵……。

──そうなるのう。



 DMHデッドマンズハンドの敵ということは、夏実を救う春馬の邪魔になる。春馬は苛立ちを隠さなかった。



──……コイツらを拷問して、他に仲間がいないか聞き出せませんか?



「ほう。春馬は『幽世の住人』を拷問せよと申すか?」



 禍津姫は少し驚いた様子だった。



「こやつらは言わば使い魔。しょせんは捨て駒じゃ。痛めつけた所で得るものはなかろう」


──そうなんですか……。



 春馬は落胆するのと同時にバフォメットから興味を失った。相変わらず、自室のドアによりかかりながらボンヤリと机を見る。そこには夏実も一緒に写った家族写真が飾られてあった。家族を奪われる辛さは春馬も知っている。



──何も聞き出せないのなら、殺して下さい。みんなの仕返しをしないと……。



 春馬は犠牲者たちの報復を望み、暗い声でつぶやいた。



「相分かった」



 稲邪寺とうやじでは禍津姫がバフォメットに向かって左手をかざした。そのとき……。


 稲邪寺とうやじの上空に大蛇が出現するのと時を同じくして、春馬は急に心臓が強く脈打つのを感じた。次の瞬間には春馬の顔や身体中に赤い血管が浮き上がる。まぶたはめいっぱいに開かれ、口も耳まで裂けていた。今の春馬を人が見れば『バケモノ』と形容するだろう。


 そして、八頭大蛇がバフォメットを喰らった瞬間、春馬の赤い攻撃色に染まる両目の瞳孔がいっそう細くなった。敵をほふった歓喜の奔流が、たぎる血液と一緒に身体の隅々まで駆け巡った。



──僕の力で『幽世かくりよの住人』をたおした!!



──寛さんを子供扱いした敵をたおしたんだ!!



──僕は無力なんかじゃない!! 強いんだ!!



 春馬は自分に対する惨めな感情をいつの間にか忘れ去っていた。かわりに、心のなかではどす黒い感情が渦巻いている。ギロリと、前髪の奥で瞳が揺れた。そのとき……稲邪寺の上空では、夜空を支配していた八頭やず大蛇おろちが春馬の心と呼応するように辺りを威嚇して消えた。

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