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第32話 噂02

 小夜さや禍津姫まがつひめが連れだって歩く姿は生徒たちの視線を集めた。江陵館こうりょうかん高校を支配する厳しい学園ヒエラルキーのなかにあって二人は別格だった。


 高校での小夜は近よりがたい雰囲気をかもし出す『冷たい女王』。そして、真月まなづきあきは優しい笑顔でみんなを魅了する『可憐なお姫様』という存在だった。対照的な二人が並んで歩く姿は学園ドラマのワンシーンを連想させた。しかし……。


 残酷なもので、今までつちかった小夜のイメージは他者をよせつけない。自然と、みんなが声をかけるのは禍津姫……真月媛だけになった。



あきちゃん、一緒にお昼食べよう!!」



 明るく声をかけてきたのは禍津姫のクラスメイト、小野おの香澄かすみだった。香澄は数人の女友達を連れている。



「よ、よかったら緋咲ひさきさんも一緒に……」



 香澄は小夜にも恐る恐る声をかけてくる。その態度は、真月まなづきあきと一緒にいるから仕方なく誘っているようにも見える。小夜は小さくため息をついた。



「わたしは……お昼はイイかな。ちょっと用事を思い出したから……」

「小夜さんはお昼を食べないのですか?」



 小夜がやんわり断ると隣で禍津姫が首をかしげた。禍津姫はクラスメイトの前になると真月媛という『おしとやかな転校生』を演じて口調も変わる。小夜は禍津姫の豹変ぶりに苦笑しながら答えた。



「うん……あきさんはみんなと一緒に食べてきなよ」

「……そうですか。わかりました……」



 みんなが一緒にお昼を食べたいのは禍津姫であって自分ではない。そう敏感に感じとった小夜は一歩引いた。事実、小夜が断ると香澄たちはどこかホッとしている。



──小夜は不器用な女子おなごじゃのう。稲邪寺とうやじにおるときとは別人じゃ……。



 禍津姫は小夜の心の機微きびを感じ取り、これ以上誘わなかった。



「じゃあ小夜さん、また後で」

「うん。媛さん、またね……」



 軽い挨拶を交わすと禍津姫は香澄たちと一緒になって食堂へ向かう。友人たちに囲まれる禍津姫を小夜はどこか寂しげに見送った。



──こんなとき、春馬はどう思うのかな……。



 小夜は何気なく春馬を想った。春馬はみんなから二酸化炭素と呼ばれ、うとまれてきた。幾度となく孤独な時間を過ごしているはずだった。今では、そんな春馬に対して優越感を抱いた自分が恥ずかしい。



──今さら考えてても、仕方ないか……。



 小夜は孤独と罪悪感を嫌ってポケットからスマホを取り出した。相変わらずりょうからの返信はない。たった一日連絡がないだけで小夜の心はざわついた。涼からの返信がここまで遅れたことはない。



──涼、本当にどうしたんだろう……。



 ふと、小夜の脳裏に『涼の相談事』が思い浮かんだ。涼は『幽霊当番ゆうれいとうばん』という学校の怪談に関わり、怪奇現象に悩まされていた。



──もしかして……。



 あのときは気にとめなかったが、稲邪寺とうやじが襲撃された今は一連の出来事と無関係に思えない。涼から相談を受けた日に稲邪寺は襲撃されている。



──まさか、涼にも……。



 不安はだんだんと大きくなった。涼に会いたいという気持ちが抑えがたくなってくる。



──涼の無事を確かめなきゃ!!



 小夜の決断は早かった。小夜は体調不良を訴えて午後の授業を欠席することに決めた。つまり、仮病を使った。


 小夜は学業優秀で品行方正。校内では模範的な生徒として学園生活を送っている。小夜が焦ったのは突然の持ち物検査で三段警棒が見つかりそうになったときくらいだった。


 保険医は優等生の小夜を疑わず、すぐに早退の許可を出した。小夜は学校中に響き渡る予鈴を聞きながらバス停へ急いだ。もしひろしがこのことを知れば、「勝手な単独行動をしてるんじゃねぇ!!」と必ず怒るだろう。


それでも、小夜はDMHデッドマンズハンドの誰かに涼のことを打ち明ける気にはなれなかった。これは小夜と涼の私的な恋愛事情も絡んでいた。こんなとき、小夜は相談できる友人がいないことに気づかされる。



──わたしも、春馬と同じか……。



 バス停へと歩く小夜の脳裏に春馬の面影がよぎった。春馬なら小夜の不安を共有してくれる気がした。



──春馬なら聞いてくれる……。



 小夜は自分の考えを無責任で身勝手に思いながらも、スマホを取り出して春馬の番号をタップした。ながい呼び出し音のあと、少し焦った春馬の声が聞こえてくる。



「さ、小夜さん? ど、どうし……たの?」



 春馬は息が上がっており、声が途切れ途切れになっている。



「春馬こそどうしたの?」

「ご、ごめん。ランニングしてたんだ」

「ちょっと、自宅謹慎中でしょ?」

「そうなんだけど、黙って家にいるのは辛くて」

「そっか……」

「それで、小夜さんはどうしたの?」

「あのね、友達が……」



 停学中の春馬に協力を求めるのは間違っている……そう思いながらも小夜は切り出した。つまんで涼のことを話すと、春馬の感心した声が聞こえてくる。



「小夜さんは友達想いなんだね。それで、僕はどうすればいいのかな? DMHデッドマンズハンドの活動になるのなら、寛さんに言わないと……」

「あのね、春馬……」



 小夜は春馬の言葉をさえぎった。



「兄さんや睡魔義姉ねえさんには言わないで……」

「え? どうして?」

「兄さんたちは襲撃の件で慌ただしくしているから……余計な心配をかけたくないの」



 半分は本音で、半分は嘘だった。小夜は涼のことで周囲に波風が立つことを心配している。涼とDMHデッドマンズハンドの接点は極力なくしたい。小夜は涼にDMHデッドマンズハンドでの活動を知られることが怖かった。



「これから涼の家に行ってみようと思うんだけど……春馬も一緒に来てくれないかな?」

「い、今から!?」

「うん……」

「……」



 春馬が沈黙すると小夜は断られることを覚悟した。しかし、意外にも春馬の明るい声が聞こえてくる。



「どこに行けばいいの?」



 春馬は待ち合わせ場所を尋ねてくる。とたんに、小夜は心が軽くなるのを感じた。



「えっと、宵闇よいやみ駅の東改札の前はどうかな?」

「うん、わかった。帰って着替えるから、ちょっと時間かかるけど……」

「大丈夫、着いたら連絡して。……あ、春馬!!」



 小夜は電話を切りかけた春馬を呼びとめた。



「ありがとう。すごく嬉しいよ」

「ど、どういたしまして……」

「じゃあ、また後でね」

「う、うん」



 通話が終わると小夜は吹き抜ける風に目を細めながらスマホへ視線を落とす。結局、最後まで涼のことをだと言えなかった。



──どうして春馬に言えなかったのかな……。



 小夜は少しの後ろめたさを感じた。それは春馬へ対するものか、涼へ対するものなのか……小夜自身もわからなかった。

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