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第34話 気配

「涼!! いないの!?」



 小夜さやが呼びかけても返事はない。家のなかに人の気配は感じられなかった。小夜はローファーを脱いで家のなかへ上がる。



「お邪魔します」

「小夜さん、勝手に入って大丈夫?」

「いいから、春馬も早く入って」

「う、うん。わかった」



 小夜はかなり焦っている様子だった。春馬も「不法侵入じゃないのか?」という不安をねじ伏せて続く。家のなかはとても広く、玄関の正面には手すりに彫刻がほどこされた『かね折り階段』が設けられている。


 小夜は階段の右にある廊下を進んでいく。その先は広いリビングになっており、豪華な家具や調度品がそろえられ、グランドピアノまで置かれてある。あまりの豪邸ぶりに春馬は目を見張った。



「ひっろ……涼さんは凄いところに住んでるんだね」

「うん。でも、涼が使っているのは一階の自室とリビングだけって言ってた」



 小夜は答えながら辺りを見回した。ソファーにはたたまれた洗濯物が置かれ、ダイニングテーブルには参考書が開かれたまま置かれてある。整然としたリビングには確かに涼のいた痕跡があった。



──つい最近、涼の身に何かが起きた……。



 小夜がそう結論付けたころ、春馬は壁に飾られた数点の写真を眺めていた。涼の叔母家族なのだろう。夫婦と幼い兄弟が写った家族写真が額縁に入れて飾られてある。



──?



 春馬は棚に立てかけられた写真に目をとめた。写真には陸上競技のユニフォームを着て、表彰楯ひょうしょうたてを片手に微笑む美少女が写っている。写真は額縁も新しく、壁に飾られた写真たちから独立しているように思えた。



「これ、涼さん?」

「ん? そうだよ。大会で入賞したときに撮ってもらったんだって」



 小夜は春馬の視線を追いかけながら隣に並んだ。



──この人が小夜さんの恋人……。



 春馬は写真に写るショートカットの美少女を見つめた。涼のユニフォームには雨藤あまふじ女子高等学校と印字されている。



「小夜さん、涼さんの学校には聞いてみた?」

「うん。春馬を待っている間に聞いてみたけど、涼は今日、無断欠席してるって……」



 小夜が肩を落とすと春馬は慎重に考えながら口を開いた。



「小夜さん、さっきの泣き声なんだけど……小夜さんにはどう聞こえたか、聞いてもいい?」

「……どういう意味?」



 小夜は質問の意図が理解できず、怪訝な顔つきになる。春馬はかまわずに続けた。



「あの泣き声、悲しそうに聞こえた? それとも苦しそうに聞こえた?」

「?? それは……」



 小夜は少し考えこんだ。小夜にとってはただの怪奇現象でしかない。感想を求められても困ってしまう。



「そんなの、急に聞かれてもわからないよ。春馬にはどう聞こえたの?」

「僕には助けを求めているように聞こえたんだ」

「助け?」

「うん。助けを求めているような、何かを警告しているような……あれって幽霊の声かな?」

「違うと思う。姿を隠したまま干渉してくるなら、『神域しんいきの住人』である可能性が高い……涼の失踪と関係があると思う?」

「わからないけど……僕には『誰かが僕たちに何かを伝えようとしている』って思えたんだ」

「……」



 小夜は少し驚いていた。涼のことで頭が一杯になっている自分とは違い、春馬は冷静に人ならざる者の声を聞いている。小夜が感心していると春馬は玄関の方を向いた。



「僕、ちょっとあの木を見てくるね……」

「春馬、待って!! それはダメ!!」

「え? どうして??」

「兄さんがいつも言っているの。ホラー映画で一番最初に殺されるのは、単独行動しようとするヤツだって」



 いかにもひろしが言いそうなことだった。寛は「幽霊狩りなんて、ギャング映画と一緒だ」とも言っている。春馬は寛の姿を思い浮かべて苦笑した。



「わかったよ、小夜さん。じゃあ、これからどうするの?」

「まずは涼の部屋で手がかりを探して……それから、一緒にあの木を確認しよう」

「うん、わかった」



 春馬がうなずくと小夜は涼の部屋へと向かった。



×  ×  ×



 涼の部屋は玄関の階段を挟んでリビングの反対側にある。見ず知らずの人の家を歩いていると、やはり春馬は良心の呵責かしゃくを覚えた。



「小夜さんはともかく、僕まで部屋に入ったらあとで涼さんに怒られるよ」

「涼に何かあってからじゃ遅いでしょ? 春馬も一緒に手がかりを探して」



 戸惑う春馬をよそに小夜は長い廊下の突き当りにある部屋へ入った。部屋のなかは11畳ほどの広さで、レースカーテンは閉められているがドレープカーテンは開けられたままになっている。



──ここが涼さんの部屋……。



 春馬が見回すと部屋にはフロアベッド、机、本棚、クローゼットが置かれてある。そして、いたるところに動物のヌイグルミが置かれてあった。



「小夜さん。手がかりって、何を探すの?」

「涼は日記をつけてるって言ってたの。その日記を探して」

「涼さんの日記?」

「うん。トレーニングメニューとか、使ってるサプリとか、部活での記録を書いてる日記。もしかしたら、そこに何か書いてあるかも」

「でも、日記をパソコンとかスマホで書いてたら? パスワードがかかってたら無理だよ……」



 春馬は机の上に置かれたノートパソコンを見下ろした。



「そのときはDMHデッドマンズハンドの解析班に頼むから心配しないで」

「心配しないでって……」


 小夜はさも当たり前のように答えて机や本棚を探し始める。春馬はなかば呆れながら周囲を見渡した。すると、フロアベッドの枕元に設けられた棚に大学ノートが置かれてある。



「小夜さん、あれは?」

「え? どれ?」



 春馬の視線を追いかけた小夜はノートを手に取った。



「春馬、凄い!! 当たりだよ、一緒に読んで!!」

「え!? でも……」

「お願い。些細な見落としもしたくないの」



 春馬はさっき、人ならざる者の声に動じないでその感情を分析した。小夜は春馬の冷静な観察力をあてにしていた。


 しかし、知らない女の子の日記を読むのはどうなのだろうか? ましてや、相手は小夜の恋人だった。春馬は躊躇ためらいながらも小夜の肩越しに日記を覗きこんだ。


 ノートの左側には短距離走の記録やトレーニングメニューが書かれ、右側は備考欄になっている。備考欄にはサプリやトレーニングの感想が短く書かれていた。小夜がノートをめくっていくと……。



『今日、久しぶりに小夜と会う。やっぱり小夜の笑顔が好き』



「わー!!!!」



 予期せぬ内容が備考欄に書かれてあった。小夜は大声を上げてノートを閉じ、春馬を突き飛ばす。



「見ないでよ!! 春馬、サイッテー!!」

「小夜さん、ごめん!!」



 小夜はよろめく春馬を何度もバンバンと叩き、春馬はそのたびに訳もわからず必死に謝った。



「わたしが一人で読むから、やっぱり春馬は見ないで!!」

「わかったよ。わかったから、小夜さん落ち着いて……」



 春馬は「一緒に読んでと言ったのは小夜さんだろ」という言葉を飲みこんで小夜と距離を取った。ため息をつきながら何気なく涼の机を見ると、そこには制服姿の涼と小夜が写った自撮りの写真が飾られている。



──小夜さん、こんな顔で笑うんだ……。



 日に焼けた美少女に顔をよせて嬉しそうに微笑む小夜。それは、春馬が見たことのない心からの笑顔だった。



──僕の知らない小夜さんだ……



 春馬は少しだけ複雑な気持ちになっていた。



×  ×  ×



 小夜がノートを読み進めると備考欄にときどき『小夜』という名前が出てくる。それは、小夜とのたわいもない思い出をつづったものだった。



『小夜とアイスを食べた。小夜はバニラが好き』

『大会を見に来てくれた。小夜がいると頑張れる』

『学校祭に誘う。来てくれると嬉しい』



 一文は短いが、どれも小夜へ対する愛しい想いに満ちている。



──涼……。



 小夜は涼の気持ちに触れて頬が熱くなった。しかし、赤面しながら読み進めていた小夜の顔色が変わる。小夜は深刻な顔つきで春馬を呼んだ。



「春馬、このページ読んでみて」

「いや、だから僕は……」

「いいから、読んで」



 小夜は真剣な声色こわいろでノートを押し付ける。仕方なく、春馬はノートを受け取って視線を落とした。



「え……!?」



 指定されたページを読んだ春馬は、備考欄に『幽霊当番』という文字を見つけてドキリとした。ノートには時系列順で毎日短くこう書かれてあった。



『わたしが掃除当番のときに花を飾らないことに決まった。カナの代わり』

『掃除当番になる。花を飾らなかった。幽霊当番なんてただの噂』

『今日、笑い声が聞こえた。誰かがふざけているだけ。くだらない』

『気のせいじゃない。笑い声は日増しに大きくなる。多分、女性』

『笑い声がやまない。小夜に相談してみようと思う。小夜に嫌われないか不安』

『夜中、気づいたら2階の姿見すがたみの前に立っていた。限界。明日、小夜に相談する』



「これって……」



 春馬は涼が何者かにとり憑かれている可能性を口にしようとしてやめた。そんなこと、小夜はすでに気づいているはずだった。



「小夜さん、おみ君や寛さんに相談しようよ。小夜さんの言う通り、DMHの領域だよ」



 春馬がノートを返すと小夜は黙ってうなずいた。事態は急を要するかもしれない。二人はノートを元あった場所へ戻して部屋を出た。そのとき。



 タタタタタ。



 誰かが家の階段を勢いよく駆け上がる足音がした。

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