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第36話 冥伝六軍烽火

「じゃあ、庭の木で3回も自殺があったの?」

「うん……あのハルニレは樹齢300年で、元々はこの庭じゃなくて近くの国道沿いにあったんだって……」



 春馬は花魄かはくの通訳を続けた。それによれば、ハルニレは30年ほど前、国道の拡張工事の際にこの場所へと移植されたらしい。


 地元では泣き声が聞こえる妖木ようぼくとして怖れられており、どんな祟りがあるかと誰も木をりたがらなかった。遅々ちちとして進まない工事を見かねた涼の叔母夫婦が庭へ移植することを申し出ていた。花魄かはくにしてみれば憑代よりしろであるハルニレが伐採されるところを救ってもらったことになる。



「花魄さんはとても感謝してて、それからずっとこの家を見守っているんだって」

「そうだったんだ……」

「キュ、キュー」



 春馬と小夜を見ていた花魄は自分の言葉が理解されていると気づいたらしい。春馬が説明を終えると再びさえずり、何かを訴えた。



「春馬、なんて言ってるの?」

「涼さんの身に起きたことを教えるから、を見て欲しいんだって……」



 春馬は廊下の奥を指さした。そこには布をかけられた姿見すがたみが置かれてある。



「鏡?」



 小夜は姿見に近づいて布を取った。



「「え!?」」



 小夜と春馬は同時に目を見張った。口紅かカラーリップでも使ったのだろう、姿見の表面全体に梵字や象形文字のような文様が描かれている。まるで、姿見全体が一つの護符のようだった。



「キュー!!」

「これを、涼さんが自分で描いたんだって……」

「涼が!? そんなはず……」



 小夜の知る限り、涼は儀式的な文様をまったく知らない。花魄の言うことが本当なら、涼は何者かにとりかれて描いたのだろう。



──もしかして、笑い声が聞こえてたのって……。



 小夜は涼と会ったときを思い出した。あのとき涼はすでに怪異に魅入られ、何者かにとり憑かれていた。



──なんでわたしは気づかなかったの……涼の話をもっとちゃんと聞いておけば……。



 小夜は眉根をよせて黙りこんでしまった。すると、春馬が心配そうに顔を覗きこんでくる。



「小夜さん、とりあえずこの鏡を写真に撮ってひろしさんやおみ君に見せようよ。きっと、涼さんの手がかりを見つけてくれるよ」

「そ、そうだね……」



 小夜はポケットからスマホを取り出すと姿見を撮影して寛、臣、睡魔へ送った。送信が終わると突然、後ろから声が聞こえてくる。



「これは『冥伝六軍めいでんりくぐん烽火ほうか』じゃな」

「「!!??」」



 小夜と春馬が驚いて振り返るとそこには禍津姫が立っていた。



「通訳は退屈で面倒じゃ……」



 禍津姫まがつひめは大きく背伸びをした。



「ま、禍津姫さん……」

「春馬、わらわのことはあきと呼べと言うておるのに……」

「ごめん。気をつけるよ」



 ふいに現れた禍津姫は春馬の頬へ右手をそえてクスリと笑う。春馬が少しだけ頬をゆるめると、親密な二人を見て小夜さやは一瞬だけ顔をしかめた。



「媛、学校は? 大丈夫なの?」

「学校をサボったそなたに心配されるとは面白い。まあ、安堵いたせ。授業はとうに終わった。それにしても……」



 禍津姫は花魄かはくを見下ろして目を細めた。



花魄かはくとは珍しい。い姿をしておるのう」

「キュー!?」



 禍津姫と目が合った花魄はカタカタと震えて小夜の足の後ろに隠れた。



「ちょっと媛。怯えてるじゃん」

「すまぬ、怖がらせるつもりはなかった。花魄よ、許せ」



 禍津姫が物腰ものごし柔らかに語りかけると花魄は小夜の影からピョコッと顔を出した。小夜は花魄へ微笑みかける禍津姫に話しかけた。



「で? そのメイデンナントカってどういう意味なの?」

「『冥伝めいでん六軍りくぐん烽火ほうか』じゃ。その名の通り、烽火ほうかとは狼煙のろしのこと。そして、古代中国では諸侯が三軍をようし、諸侯の上に君臨する天子が六軍りくぐんを擁した。つまり、『冥府の皇帝が大軍を率いて襲来するのを伝える狼煙のろし』という意味じゃ」

「じゃあ……この姿見は僕たちに緊急事態を知らせているの?」



 春馬が尋ねると禍津姫は静かに首を振った。



「ちと、違うな。『冥伝めいでん六軍りくぐん烽火ほうか』は名称であって、その内実は厄介じゃ……」

「媛、時間がないの。サクッと説明して」

「小夜、急かすでない。まあ、この文様を定められた場所に描くと、地獄のふたを開けることができるのじゃ」

「地獄の蓋が……開く……!?」



 春馬はゴクリと生唾を飲んだ。



「さよう……」



 禍津姫はゆっくり瞼を閉じた。



現世うつしよ幽世かくりよ、そして神域しんいき……すべての垣根が無くなり、それこそ三千世界が混沌に包まれるのじゃ」



 禍津姫はどこかうっとりとした表情になり、遠い過去を懐かしむようにつぶやいた。小夜と春馬は言葉を失っていたが、やがて小夜の目つきが鋭くなった。



「だから何!? 三千世界とかどうでもいい。涼はどうなったの!?」



 小夜は語気を強くして禍津姫に詰めよった。禍津姫は陶酔から強引に呼び戻されて不機嫌そうに目を開いた。



「小夜、三千世界よりも恋人が大事と申すか?」



 禍津姫は小夜へ醒めた眼差しを向ける。小夜は禍津姫の凍てつく眼光にひるまず、真っすぐに睨み返した。二人の間で緊張が高まると禍津姫は「ふふっ」と口元をゆるめた。



「やはり、小夜は気丈な女子おなごよ。そなたに慕われる涼とやらは幸せ者じゃな……さて……」



 禍津姫は苦笑しながら再び花魄を見下ろした。花魄かはくは緊張した様子でなりゆきを見守っている。



「花魄よ、何か他に涼について知っておらぬか?」

「キュ、キュー……」

「ほう……」



 禍津姫は花魄の鳴き声を聞くと意外そうに片眉を上げた。



「涼とやらはここ一週間……毎日、人を連れて帰っていたそうじゃ」

「「人を!?」」



 小夜と春馬が声をそろえると禍津姫は頷き、クスクスと微笑んだ。



「涼は毎日、背中に人を背負って帰って来たそうじゃ。ざんばら髪に、夜目にもわかる白い肌……両眼と口を赤い糸で縫い付けた女子おなごじゃったそうな……涼には面白い友達がおるのう」

「お、面白いって……それ、友達じゃなくて悪霊かなんかじゃ……」



 春馬が額に汗を浮かべていると花魄は両手を大きく振って続けた。



「キュ、キュー」

「なるほどのう……」



 禍津姫は興味深そうに相槌あいづちを打った。



「涼にとりく者は、わらわや小夜と似たころもを着ておったらしい。ころもには藤の葉に似た紋章が印されていたそうじゃ」

「じゃあ、藤の葉に似た紋章って校章のこと?」

「そうじゃないかな。僕も『雨藤あまふじ』の制服のことだと思う」



 『雨藤』とは涼の通う雨藤女子高等学校のことであり、校章は藤の葉をデザインしたものだった。



「やっぱり、涼さんの失踪には『幽霊当番』が関係あるよ」

「そうだね……」

「小夜さん、これからどうするの?」

「……」



 春馬が尋ねると小夜は眉間に皺をよせて考えこむ。この先はどうしてもDMHデッドマンズハンドの力が必要だった。すると、会話の終了を見計みはからったように小夜のスマホが振動する。スマホはひろしからの着信を伝えていた。



「もしもし……」

「オイ、小夜。こんなモンどこで見つけた!?」



 小夜がスマホをタップすると寛の大きな声が聞こえてくる。「こんなモン」とは『冥伝めいでん六軍りくぐん烽火ほうか』のことだろう。小夜は今までの経緯いきさつをすべて話した。



「ごめん、兄さん。実は……」

「……」



 小夜が「春馬もいる……」と教えると寛は絶句した。もちろん、小夜は「わたしが『兄さんには言わないで』って、頼んだの」と説明したが、寛は納得しない。



「兄さんが代われって……」



 小夜は申し訳なさそうに春馬へスマホを手渡した。



「春馬君さぁ~」



 電話先の寛はヘラヘラとした口調だった。それは稲邪寺とうやじで春馬の目をえぐろうとしたときの口調と似ていた。



「いくら小夜に口止めされたからってさぁ~。黙っているのはどうかと思うよぉ~」

「す、すいませんでした!!」

「バフォメットをたおしたからって……調子に乗り過ぎじゃないかなぁ~?」

「も、申し訳ありません……」



 寛の間延びした声を聞いていると春馬のこめかみを冷や汗が伝ってゆく。春馬は謝ることしかできず、肩を丸めて小さくなった。すると突然、寛は真剣な口調で呼びかけた。



「春馬君、君にとって小夜は赤の他人かもしれないけれど、俺にとっては大切な妹なんだよ。小夜が危険な目にあってからじゃ遅い。君ならわかるだろ?」

「……」



 春馬は何も言えなかった。脳裏にはの面影が去来していた。



──寛さんが怒るのは当たり前だ……。



 春馬は夏実の救出を寛やおみにお願いしている。その春馬が寛の妹である小夜を危険に晒してよいわけがない。寛には春馬の行動が自分勝手に映ったのだろう。春馬は絞り出すような声で再び謝った。



「本当に……すいませんでした」

「今後は気をつけてくれよ。不安は共有しようぜ。小夜も俺も、そして春馬君も同じDMHデッドマンズハンドなんだからさ……」

「はい」

「じゃあ、今から迎えに行くから。位置情報を送っておいてくれ」

「わかりました。あ、小夜さんに代わりますか?」

「いや、いいよ。位置情報だけよろしく」

「はい」



 春馬は平身低頭で答え、通話が終わるとスマホを小夜へ返した。



「小夜さん、位置情報だけ送って欲しいって」

「……わかった。……ごめんね、春馬……」



 小夜は気落ちする春馬を見て申し訳なさそうに謝った。結果として、小夜の代わりに春馬が怒られた。



「いいよ、気にしてない。寛さんが怒るのは当然だよ」

「……」

「小夜、春馬がよいと申しておるのじゃ。気にするでない」



 禍津姫までもが小夜を気づかっている。禍津姫は暗い雰囲気を嫌い、明るい声で尋ねてくる。



「さて、これからどうするのじゃ?」

「取りあえず一度、稲邪寺に帰って考える。これはもうDMHデッドマンズハンドの領域だから……」

「うん。寛さんや臣君に相談した方がいいよね……」

「春馬も……一緒に稲邪寺とうやじへ来てくれる?」



 小夜は春馬を連れ出したことに罪悪感を感じている。遠慮がちに尋ねた。



「もちろん行くよ。だって、僕も……DMHデッドマンズハンドだから」



 春馬がそう言って微笑むと小夜の口元も心なしかほころんでいた。


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