〔※美嗣/現在〕
「おじさん、お願いします!私の、私の記憶の中の姉の紬に、もう一度だけ会わせてください!」
美嗣は、薄暗いラボの片隅で白衣を着た老人に必死に懇願した。
老人は深い皺の刻まれた顔をゆっくりと動かし、しばらく考え込む。
「……分かった。ただし、これができるのは一度きりだ」
静かながらも重みのあるその言葉に、美嗣は何度も頷いた。
案内された先の部屋には、無機質な機械が並んでいる。
その中央には、カプセルのような装置が鎮座していた。
「ここへ入るんだ」
老人の指示に従いながら、美嗣は緊張した面持ちで装置に近づく。
「本当に、紬さんに会えるんですか?」
声が震える。
「ああ。ただし、これは危険な試みでもある。途中で意識を失う可能性もあるし……最悪の場合は……」
老人は言葉を濁した。
それでも、美嗣の決意は揺らがない。
「お願いします。紬さんに、もう一度だけ会いたいんです」
装置の中へ横たわると、冷たい金属が肌に触れ、現実味を強くする。
「準備はいいか?」
問いかけに、美嗣は深呼吸をし、静かに頷いた。
装置が起動し、意識が徐々に沈んでいく。
深い眠りに落ちていくようだった。
〔※???〕
どこまでも広がる白い空間。
美嗣は、その場にぽつりと佇んでいた。
「美嗣……?」
優しい声が響く。
瞬間、美嗣は声のする方へ走り出した。
そこにいたのは、紬だった。
「紬……!」
涙が溢れ、美嗣は紬にしがみついた。
温かい。
確かに、そこにいる。
「ごめんなさい、紬。私、何も覚えてなくて……」
泣きながら謝る美嗣を、紬は優しく抱きしめた。
「いいのよ、美嗣。辛かったわね」
彼女の手が頭を撫でる。
本物の人間のような感触がした。
「私ね、美嗣とのこと、全部覚えてるの」
紬は微笑む。
その笑顔が、美嗣の心を優しく包んでいく。
「私たち、一緒に暮らしていたこともあったのよ。あなたが生まれたとき、両親と四人でね」
「え……確か私は、本当の両親が亡くなった後に紬の記憶を元に作られたクローンだって……?」
戸惑いながら問いかける。
「違うんだよ。本当は――」
紬は、悲しげな顔をした。
「私には、美嗣という妹がいたの。幼いころ病気で亡くなった、大切な妹」
紬は静かに語り始める。
優しい親戚夫婦との暮らし――
幼い美嗣との束の間の触れ合い――
どれも、美嗣にとって初めて聞く話ばかりだった。
「美嗣は、とても可愛い子だったわ。いつも私と母さん
紬の言葉は、美嗣の胸を熱くする。
まるで、その記憶が自分にも刻まれているようだった。
「初めて会った日のこと。美嗣は赤ちゃんだった。お母さんが抱きしめて、『妹ができたよ』って私に言ったの」
小さな手を握った日のことを語る紬の瞳が、優しく輝いている。
「美嗣が初めて笑ったときも覚えてる。私が絵本を読んでいたら、急にニコって笑ったの。あの笑顔が嬉しくて、私は何度も抱きしめたわ」
紬は目を細め、懐かしむように微笑む。
「公園へ行ったこと、お祭りの花火を一緒に見たこと、クリスマスにプレゼント交換をしたこと……」
どれも、美嗣には知らない記憶のはずだった。
なのに、懐かしさが込み上げる。
本当に体験していたかのように――
「美嗣が熱を出した時、一晩中看病したわ。あなたが眠っている間、ずっと手を握っていた。早く良くなってほしいって、それだけを願っていたの」
紬の言葉が、静かに胸の奥へ染み込んでいく。
同時に、鋭い痛みが走った。
「ねぇ、紬。教えて。あの時、一体何があったの?」
美嗣は、意を決して問いかけた。
紬の表情が、一瞬曇る。
「美嗣……ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまうかもしれないけど……」
深く息を吸い込むと、紬は静かに語り始めた。
※次回は紬の回想シーンから始まります。