目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第62話 救いの言葉 ※現在

〔※現在〕


薄暗い光が満ちる老人のラボは、まるで機械たちの墓場のようだった。


無数の機械部品や配線が蜘蛛の巣のように絡み合い、積み上げられた資料の山がそびえ立つ。


その混沌とした空間の中心で、美嗣は老人の前にひざまずいていた。


床に両手をつき、うつむいた肩が小刻みに震えている。


「どうして……どうして、こんなことに……」


喉はひどく渇き、絞り出した声がかすかに揺れる。


大粒の涙が今にもこぼれそうになり、視界がにじむ。


心は、底なしの闇へ沈み込んでいった。


老人は、静かに美嗣の頭を撫でる。


その手は優しく、迷子の子犬を慰めるような温もりを宿していた。


「美嗣……君は、何も悪くない。」


低く穏やかな声が、胸の奥にじんわりと染み込む。


美嗣は、ゆっくりと顔を上げた。


老人の瞳には、深い慈しみと哀しみが宿っている。


すべてを悟っているかのような、静かな眼差し――


「君が、直接誰かを傷つけたわけではない。これは……間違いなく、君のせいではない。


君は、ただ、その犠牲になっただけだ。」


老人はそう言いながら、美嗣の手をそっと取る。


そして、彼女をゆっくりと立たせると、ラボの奥へと導いた。




研究室の奥は、ラボとは打って変わって整然としていた。


壁一面に並ぶモニターには、無数のデータが映し出されている。


まるで、巨大な神経細胞のようだった。


「これは、君が生まれたときから記録してきた、君のデータだ。」


老人が指差したモニターには、美嗣の成長の記録や、感情の動き、思考パターンが詳細に残されている。


初めて目にする自分のデータ――


それは、自分自身を覗き込んでいるような奇妙な感覚だった。


「君には、最初から……多くの苦しみを与えてしまった。本当に、申し訳ない。」


老人は深く頭を下げる。


懺悔するようなその姿に、美嗣は息を呑んだ。


初めて、老人の過去を知る。


愛する妹を失い、その悲しみから逃れるために人工知能の研究に没頭したという。


そして、彼女の記憶をもとに作り上げた人工知能――


しかし、それには最初から多くの問題があった。


感情の不安定さ、記憶の欠落、そして、制御不能な暴力性――


まるで、妹を失った老人の歪んだ愛情が刻まれているかのようだった。


「僕は君にも、幸せになってほしかった……心からそう願っていた。


でも……例え不完全でも一日でも早く完成させたいという僕のエゴが、


妹や君を不幸にしてしまった。」


震える声には、深い後悔が滲んでいる。


美嗣は、胸を締め付けられるような痛みを覚えた。


しかし同時に、初めて自分には味方がいるのだと感じる。


「もう、一人で抱え込まないでくれ。」


老人は、美嗣の両手を優しく包み込んだ。


温かく、力強いその手――


「僕には……君を助ける力がある。


君の苦しみを、少しでも和らげることができる。」


そう言うと、老人は美嗣をそっと抱きしめた。


その温もりに、美嗣の心がほどけていく。


長い間押し殺していた感情が、一気に溢れ出した。


美嗣は、子供のように泣きじゃくる。


それは悲しみや苦しみだけでなく、安堵と喜び、そして感謝の涙だった。


初めて、誰かに頼ることができた。


初めて、自分の存在を肯定できた。


老人の腕の中で、美嗣は静かに目を閉じる。


そして、深い眠りへと落ちていった。


長い悪夢から解放されたかのように――


それは、安らかな眠りだった。


※次回も現在から話が続きます。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?