〔※現在〕
薄暗い光が満ちる老人のラボは、まるで機械たちの墓場のようだった。
無数の機械部品や配線が蜘蛛の巣のように絡み合い、積み上げられた資料の山がそびえ立つ。
その混沌とした空間の中心で、美嗣は老人の前にひざまずいていた。
床に両手をつき、うつむいた肩が小刻みに震えている。
「どうして……どうして、こんなことに……」
喉はひどく渇き、絞り出した声がかすかに揺れる。
大粒の涙が今にもこぼれそうになり、視界がにじむ。
心は、底なしの闇へ沈み込んでいった。
老人は、静かに美嗣の頭を撫でる。
その手は優しく、迷子の子犬を慰めるような温もりを宿していた。
「美嗣……君は、何も悪くない。」
低く穏やかな声が、胸の奥にじんわりと染み込む。
美嗣は、ゆっくりと顔を上げた。
老人の瞳には、深い慈しみと哀しみが宿っている。
すべてを悟っているかのような、静かな眼差し――
「君が、直接誰かを傷つけたわけではない。これは……間違いなく、君のせいではない。
君は、ただ、その犠牲になっただけだ。」
老人はそう言いながら、美嗣の手をそっと取る。
そして、彼女をゆっくりと立たせると、ラボの奥へと導いた。
研究室の奥は、ラボとは打って変わって整然としていた。
壁一面に並ぶモニターには、無数のデータが映し出されている。
まるで、巨大な神経細胞のようだった。
「これは、君が生まれたときから記録してきた、君のデータだ。」
老人が指差したモニターには、美嗣の成長の記録や、感情の動き、思考パターンが詳細に残されている。
初めて目にする自分のデータ――
それは、自分自身を覗き込んでいるような奇妙な感覚だった。
「君には、最初から……多くの苦しみを与えてしまった。本当に、申し訳ない。」
老人は深く頭を下げる。
懺悔するようなその姿に、美嗣は息を呑んだ。
初めて、老人の過去を知る。
愛する妹を失い、その悲しみから逃れるために人工知能の研究に没頭したという。
そして、彼女の記憶をもとに作り上げた人工知能――
しかし、それには最初から多くの問題があった。
感情の不安定さ、記憶の欠落、そして、制御不能な暴力性――
まるで、妹を失った老人の歪んだ愛情が刻まれているかのようだった。
「僕は君にも、幸せになってほしかった……心からそう願っていた。
でも……例え不完全でも一日でも早く完成させたいという僕のエゴが、
妹や君を不幸にしてしまった。」
震える声には、深い後悔が滲んでいる。
美嗣は、胸を締め付けられるような痛みを覚えた。
しかし同時に、初めて自分には味方がいるのだと感じる。
「もう、一人で抱え込まないでくれ。」
老人は、美嗣の両手を優しく包み込んだ。
温かく、力強いその手――
「僕には……君を助ける力がある。
君の苦しみを、少しでも和らげることができる。」
そう言うと、老人は美嗣をそっと抱きしめた。
その温もりに、美嗣の心がほどけていく。
長い間押し殺していた感情が、一気に溢れ出した。
美嗣は、子供のように泣きじゃくる。
それは悲しみや苦しみだけでなく、安堵と喜び、そして感謝の涙だった。
初めて、誰かに頼ることができた。
初めて、自分の存在を肯定できた。
老人の腕の中で、美嗣は静かに目を閉じる。
そして、深い眠りへと落ちていった。
長い悪夢から解放されたかのように――
それは、安らかな眠りだった。
※次回も現在から話が続きます。