========= この物語はあくまでもフィクションです =========
============== 主な登場人物 ================
南部[江角]総子(ふさこ)・・・大文字伝子の従妹。南部興信所所長の妻。EITOエンジェルのチーフ。
南部寅次郎・・・南部興信所所長。総子の夫。
大前英雄管理官・・・EITO大阪支部の管理官。コマンダー。総子からは『兄ちゃん』と呼ばれている。
足立祐子・・・EITO大阪支部メンバー。元レディース・ホワイトのメンバー。
石動悦子・・・ EITO大阪支部メンバー。元レディース・ホワイトのメンバー。
宇野真知子・・・ EITO大阪支部メンバー。元レディース・ホワイトのメンバー。
丘今日子・・・EITO大阪支部メンバー。看護担当。元レディース・ホワイトのメンバー。
河合真美・・・ EITO大阪支部メンバー。元レディース・ホワイトのメンバー。
北美智子・・・ EITO大阪支部メンバー。元レディース・ホワイトのメンバー。
久留米ぎん ・・・ EITO大阪支部メンバー。元レディース・ホワイトの総長。EITOエンジェルス班長。
小峠稽古 ・・・ EITO大阪支部メンバー。元レディース・ホワイトのメンバー。
和光あゆみ・・・EITO大阪支部メンバー。元レディース・ブラック7のメンバー。
中込みゆき・・・EITO大阪支部メンバー。元レディース・ブラック7のメンバー。
海老名真子・・・EITO大阪支部メンバー。元レディース・ブラック7のメンバー。
来栖ジュン・・・EITO大阪支部メンバー。元レディース・ブラック7の総長。EITOエンジェルス班長。
愛川いずみ・・・EITO大阪支部メンバー。EITOエンジェルスの後方支援担当になった。
本郷弥生・・・EITO大阪支部、後方支援メンバー。暫く米軍に研修に行っていた。
大前[白井]紀子・・・EITO大阪支部メンバー。事務担当。ある事件で総子と再会、EITOに就職した。
神代チエ・・・京都府警の警視。京都府警からのEITO出向。『暴れん坊小町』の異名を持つが、総子には、忠誠を誓った。
芦屋一美(ひとみ)警部・・・大阪府警テロ対策室勤務の警部。総子からは『ひとみネエ』と呼ばれている。アパートに住んでいる。
用賀[芦屋]二美(ふたみ)二曹・・・。三つ子の芦屋三姉妹の次女。陸自からの出向。総子からは『ふたみネエ』と呼ばれている。オスプレイやホバーバイクを運転することもある。後方支援メンバー。総子の上の階に住んでいたが、用賀と結婚して転居した。
芦屋三美(みつみ)・・・芦屋グループ総帥。EITO大株主。芦屋三姉妹の長女で、総子からは『みつみネエ』と呼ばれている。芦屋三姉妹と総子は昔。ご近所さんだった。
小柳圭祐警視正・・・警視庁から転勤。大阪府警テロ対策室室長。
指原ヘレン・・・元EITO大阪支部メンバー。愛川いずみに変わって通信担当のEITO隊員になった。
用賀哲夫空自二曹・・・空自のパイロット。EITO大阪支部への出向が決まった。二美の元カレだったが、二美と結婚した。
中村浦野助・・・歌舞伎俳優。
江角真紀子・・・総子の母。
江角徹・・・総子の父。
花菱綾人・・・南部興信所所員。
横山鞭撻・・・南部興信所所員。
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= EITOとは、Emergency Information Against Terrorism Organizationを指す =
==EITOエンジェルズとは、女性だけのEITO大阪支部精鋭部隊である。==
※太左衛門橋(たざえもんばし)。
橋の名は橋の東南角で歌舞伎の小屋を開いた興行師大坂太左衛門に由来するという。寛永3年(1626)に道頓堀の南側に芝居と遊郭が公許され、大坂太左衛門ら6名が京都から進出した。
太左衛門橋がいつ架けられたかは明確ではないが、芝居小屋などへの通路として早くから架けられていたに違いない。
以降道頓堀の芝居町を中心にして周辺の町々の負担で維持されてきた。織田作之助の作品に『女の橋』『船場の娘』『大阪の女』という三部作があるが、ストーリーの節目に太左衛門橋が、一場を構成する重要な役割を与えられている。
太左衛門橋は昭和になっても狭い木橋のままであったが、大阪大空襲の際に焼失し、地元の人々によって復旧された。
近年は、道頓堀川の水辺整備に合わせて、本橋の西側と東側に側道橋を整備したが、整備にあたっては、有識者から成る道頓堀川遊歩道・橋梁デザイン検討委員会において、橋のデザイン検討を行った。今回改修した橋は、その名前が、かつてこの地で歌舞伎の興行を行っていた興行師に由来することや、多くの芝居小屋があったことから、木を基調とする歴史的な意匠を取り入れた橋となった。
午後3時。大阪市中央区。太左衛門橋。
ナンパの名所、『引っかけ橋』で有名な戎橋より東の橋から、身を乗り出している男がいた。
通りがかった、江角真紀子・徹夫妻は、瞬間、『身投げ』と判断した。
「止めなさい。阪神はまだ優勝してへん。」
「大寒波来てるんや。飛び込む気やったら、夏か秋にシイ!!」
「僕は巨人ファンです。」
うつろな目をした男は、それだけは、はっきりと言った。
いかんせん、半身が外にあるので、引きずり下ろせない。
そこへ、たまたま通りかかった、高齢者の男二人が助っ人に入った。
四人がかりで、やっと男を引きずりおろすことに成功した。
安堵したのも束の間、10人くらいの男達が、5人を取り囲んだ。
助っ人は、南部興信所の花菱と横山だった。
男達はナイフを持っている。
よく見ると、『ナイフガン』と呼ばれる特殊な銃に装填して使う、特殊なナイフだ。
花菱と横山は、以前の事件で、そのナイフを知っていた。
江角夫妻とも知己で、意外な展開なので、状況が把握出来るまで様子を見ることにし、目で合図を送り合った。
江角夫妻も、花菱と横山の様子から黙っていることにした。
男達は、5人を『浚った』。
午後3時半。EITO大阪支部。司令室。
ヘレンが、「本部から緊急通信です。」と、大前と総子に告げ、マルチディスプレイに映像を繋いだ。渡だった。
「応援ですか?でも・・・。」と、大前は質問を呑んだ。応援なら、理事官か夏目が先に出る筈だ。
「大前さん、南部興信所の花菱所員・横山所員、そして、江角真紀子さん、江角徹さんのDDバッジが同時に動いています。『たざえもんばし』という場所で合流し、移動中。徒歩ではありません。道頓堀川の橋ですか?」
「江角真紀子さん、江角徹さんは、総子ちゃんの両親よね。」と、渡の横から、なぎさが顔を出した。
「なぎさ姉ちゃん、その通りやわ。花ヤンと横ヤンが一緒って・・・。」
「実は、その橋の近くの防犯カメラ映像が手に入りました。見て下さい。」
ヘレンは、送られてきた、動画を画面の横に再生した。
「これ、誘拐に見えるけど?」と、小町が叫んだ。
「チラつかせているのは、ナイフガンナイフね。」と、二美が言った。
「4人だけやないわ、誘拐されたのは。真ん中の男が本命ちゃうんかな?」と、ぎんが言った。
「仲井閒君に似てるわ。」
稽古の言葉に、大前は言った。「知り合いか?稽古。」と尋ねた。
「いや、元スタップのメンバーで、司会が旨かった子。女性問題で示談して解決したけど、マスコミが騒いで、引退して・・・電波オークションの後は見イへんかったけど、また週刊誌が『目撃情報』って騒いで・・・似てるな。」
「元アイドルかどうかは、夏目リサーチでしらべさせるよ。」夏目が言った。
「応援要請でなくて、ごめんね、総子ちゃん。でも、ご両親が事件に巻き込まれたのは事実よ。」と、なぎさが言った。
そして、夏目が「応援に行きたいところだが、迂闊に動けない。そちらで対処して下さい、コマンダー。」と言った。
「了解しました。」
「あ。そうそう。先日送った、サブのシステムを起動して、DDバッジの行方を追って下さい。」と渡が言った。
画面から、東京本部が消えると、ヘレンはIDとパスワードを入力して、DDバッジ追跡システムを本部に繋いだ。
マルチディスプレイには、大阪市内の地図と、その上に4つの点が動くのが見えた。
「よし。ジュンのチームは、小町連れて『点』を追え。ヘレンは、進捗をオスプレイに報告。ぎんのチームは、太左衛門橋で聞き込みや。クルマに乗り込むか、飛び込み未遂を目撃した人間を探すんや。総子は、南部さんに連絡執って、花ヤン横ヤンの足取りを掴んでくれ。」
「了解。」EITOエンジェルズは出動した。
総子は、南部に連絡を執った。
「張り込みを幸田と倉持に引き継いだ後、あそこを通ったみたいやわ、兄ちゃん。」
「そうか。総子の両親や花ヤン横ヤンは、巻き込まれたんやな。本命は、稽古が言ってた仲井閒君か。しかし、今頃誘拐して、どうするんやろ?」
紀子が、何故か、ドラ焼きを3人に配って、自分も食べ始めた。
午後6時。泉南市。金熊寺(きんゆうじ)。
東京本部の草薙や渡が感心しそうな、難読漢字地名だ。地元では『きんにゅうじ』と呼ぶ人もいる。
ジュンや小町達が追って来た場所は、山間部の村で、別荘が幾つもあった。
反社は何故か、山間部・閑静な土地に『別荘』を持ちたがる。
目的地が近いと判断した小町は、地元署に連絡するように、小柳警視正に『進言』した。
すっかり、『弱み』を握られている格好の小柳は、「了解。慎重にな。」と応えた。
「やっぱり、元ヤンと警視では違うな。」「ちゃうちゃう。小柳さんは、例の件で後ろめたいだけや。」と、小町は、にっこり笑った。
ある別荘に、クルマは入って行ったが、静かだった。
ジュンは、15分待って、踏み込むかどうかの指示を仰ごうかと思ったが、大前から連絡が入った。
「ジュン、踏み込め。4人のDDバッジがそこで止まったままや。そこ、裏口ないか?」
小町が走り出して、裏口を見付けて、ジュンに合図した。
「道に、轍(わだち)がありまーすっ!!」
ジュン達が、入って行くと、奥の部屋に、4人は縛られていたようだった。
ようだった、というのは、花ヤン横ヤンが、自分達のロープを解いて、江角夫妻のロープを解きにかかっていたからだ。
「仲井閒君、連れて、また出て行った。」「今度こそ、って言ってたから、大阪市内や。」
午後7時半。大阪市中央区。相合橋(あいあうばし)。
一人の男が、飛び込んだ。その場所には、遺書が残されていた。
午後9時。大阪市中央区南船場。
泉南市に別荘を持つ、大阪木更津組事務所。
「火事やー、火事やー!!」「大阪木更津組燃やしたぞー!!」
数人の叫ぶ声に、組員は自社ビルを飛び出した。
『殴り込み』の可能性を考えてか、日本刀を持っている。
「仲井閒君は、死んでへんで。」
「誰や、お前らは。何もんや。」
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。悪を倒せと我らを呼ぶ。参上!EITOエンジェルズ。満を持して。」
「なんや知らんけど、いてまえ、たたんでまえ!!」
「たたむ、っていうのはナア、こうやるんや。」
EITOエンジェルズは、バトルスティックとバトルロッドで、真剣の日本刀に向かって行った。バトルスティックは、戦闘用の棒で、バトルロッドは、3段変形出来るバトルスティックだ。後始末が大変なので、夜はなるべく飛び道具や胡椒ガン等は使わないように小柳に言われている。危険極まりないのだが、大前は、ホバーバイクで後方支援することでカバー出来ると考え、承知した。
ホバーバイクとは、『宙に浮くバイク』のことで、民間会社が開発、EITOが採用して、改造、戦闘または運搬に使用している。
今回は、『ライトアップ』だ。弥生といずみ、用賀と二美は、ホバーバイクから、戦闘場所を『照明』でバックアップした。
ものの15分で、戦闘は終った。
当番の、みゆきが長波ホイッスルを吹いた。
長波ホイッスルとは、犬笛に似た、人間には聞き取れない笛だ。
主に、待機している警官隊に『戦闘終了』の合図に使っている。
間もなく、警官達が、逮捕連行しに来た。
EITOエンジェルズの役目は、ここまでだ。警察でも自衛隊でもない、民間の『自警団』だから。
午後10時。大阪府警の外。
飛び込んだ『仲井閒』は、実は中村浦野助で、橋の下で大前がホバーバイクで待機し、浦野助をキャッチしたのだ。
出てきた浦野助と総子は話した。
「浦野助さん、ありがとう。」
「ふうちゃんの頼みやったら断ること出来んしナア。2つ返事で来るがな。でも、仲井閒君のことは、気になってたんや。女の子を妊娠させたのは事実やろ。でも、奴らは、やり過ぎた。変態プレイっていうのはデマやろ?昔から、『おんな遊びは芸の肥やし』って言う。僕も、やり過ぎたことは、あったけどな。会社の亡き社長が『森蘭丸好き』やったとしても、会社解散するまで追い込めた。それで飽き足らず、会社が更生して再出発しても、隙を狙っていた。電波オークションするまでは、好き放題やってたテレビ会社を着々と乗っ取ろうとしていたら、電波オークションでテレビ会社が無くなった。それで、今度は、元アイドルでスターの仲井閒君を嵌めることにした。奴らの侵略の餌食になるとことやった。仲井閒君は、もう引退している。思い詰めているから洗脳しやすかった。ふうちゃんのお父さんお母さん、部下の探偵・・・あ、興信所所員のお陰で助かった命や。後は僕に任せといて。」
「任せるって、どうするんですか?」
「入院したけど、クスリが切れて、綺麗な体になったら、裏方やって貰います。給料は、僕の事務所からも出るけど、準公務員やから、国からも出る。さっき、本人にも確認したよ。辞めたなったら、いつ辞めてもええ、って条件や。」
「重ね重ね、ありがとう。ウチ、実はスタップのファンやった。メンバー解散騒動の時も、「上納」騒動の時もショックやった。」
「『上納』と『献上』は違うからね。当時、テレビ会社は『献上』で逃げようとしていたが、告発者の言葉を信じた世論が許さなかった。志田前総理は、それを利用した。それで、市橋総理が『清濁併せ呑む』決意で『電波オークション』を決行した。マスコミは、ネタに困ったのか、また仲井閒君を追い詰めようとした。だが、黒幕がおった。反社を使ったのは、あの国の指示やろうな。でも、EITOエンジェルズのお陰で、一件落着や。また、いつか会おうな。」
浦野助は、三美が乗ってきたランボルギーニに乗って、去って行った。
「わしら、出る幕無かったな。」「エエヤン、兄ちゃん。私らも、一種、『裏方』やしな。」
「そやな。」総子は、ヘルメットを被り直して、大前のバイクの後ろに跨がった。
「明日は、雨かな?さっき、夕焼け出てた。」「それ、朝焼けと違うた?」「そやったかな?」
2人は、会話しながらバイクで去った。夜更けの大阪を。
―完―
※ 相合橋(あいあうばし)。
この橋が初めて架けられたのは1680年代で、当初は中橋あるいは新中橋とよばれていた。宝永4年(1707)に初演された近松門左衛門の『心中重井筒(しんじゅうかさねいづつ)』の一節にも中橋として登場している。
相合橋と名付けられた時期は不明である。橋の南側は芝居櫓が立ち並ぶ芝居町で、北側は川筋の宗右衛門町のお茶屋街、橋筋には俗に六軒町と呼ばれた遊郭があった。このように橋の周辺は大変華やかな雰囲気があり、「相合橋」という艶のある名前がつけられたのであろう。しかしこの橋は、渡ると男女の縁が切れる“縁切り橋”ともいわれ、遊里の人々は橋を渡るのを嫌った。また婚礼の行列もこの橋は渡らなかったらしい。
相合橋が鉄橋になったのは昭和37年のことで、昭和58年には橋の幅を両側へ大きく拡げ、橋の上に憩いの広場が設けられた。また、平成23年には橋面の改装工事を実施している。