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思い出4 失われた器

【追憶】バラモン祭

これは、カムラとアミュリタのすれ違いの前日の夜の話。


村にはいつになく華やかな飾りが施され、色とりどりの旗や布が風にたなびいていた。

バラモンや貴族の人々が高貴な衣をまとい、香を焚きながら歩を進めるその様は、まるで別の国の祭典のようだった。


アミュリタは両親の後ろを小さく歩いていた。深紅のサリーに金の飾りが揺れ、けれどその美しさとは裏腹に、彼女の胸は重く沈んでいた。


「……息が詰まる」


誰とも目を合わせないようにしながら、アミュリタは木陰に足を向けた。


だが、背後から酔った声が響く。


「おや、バラモンの姫様が、こんなところで何をしてるのかな?」


若い男の視線が舐めるように彼女の全身を追い、近づいてくる。


「お名前を伺っても……いや、もう知ってるよ、アミュリタ様」


アミュリタの肩が震えた。


声を出そうとしても、喉が張りついて何も出てこない。


父や母の姿は人垣の向こう。


逃げ道はなかった。


「やめてください……」


それは羽のようにか細い声。


男は笑みを深め、手を伸ばそうとした――そのときだった。


バッ、と人垣を割って現れたのは、顔を布で覆った幼い少女だった。

その動きはためらいなく、一直線に男の懐へ踏み込み、


「離れろ、クズ」


低く唸るような声と共に、強烈な蹴りが男の股間を打った。


男が悲鳴を上げて倒れ込むより早く、その少女はアミュリタの手を引いた。


「ついてこい、アミュリタ!」


「カムラ……ちゃん?」


混乱の中、アミュリタはその名を呼んでいた。いつもの土色の布、傷のついた腕、そしてなにより、手を握る力強さ。間違えようもない。


人々の驚きの声が遠ざかる中、二人は露店と人混みをかすめ、裏道を駆けた。


そして、小さな神殿の陰にたどり着いたとき、アミュリタはようやく呼吸を取り戻す。


「カムラちゃん……、なんで……?」


カムラは布を外し、ぽんと頭をかいた。


「見てたんだ。アミュリタが変なやつに絡まれてたから、黙ってらんなかった」


「でも、あなた……出てはいけない場所だったんでしょう?」


「知ってるよ。でも……アミュリタが怖がってる顔なんて、二度と見たくなかった」


アミュリタの目から、ぽろりと涙が零れた。


「……ありがとう、カムラちゃん……」


「いいって。……アミュリタが無事なら、それでいい」


その言葉には、不思議なほどの静けさが宿っていた。

下層民である彼女が、上位階級の少女を助け、共に逃げてきたという事実。


二人を引き裂く社会の壁は、確かにそこにあった。

けれど、今だけは、それを忘れさせるぬくもりが、手のひらを通して伝わっていた。



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