目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

戦の前には嫉妬あり10

そこへ、はあはあと、息を切らせながら、菜児が飛び込んで来た。


「父ちゃん!市場の元締めに、宿屋街に、馬丁ばていに、城門の見張りに、声かけてきた!」


「おー、そうか、菜児、すまねーな。で?」


「うん、若い衆を、交代で、後をつけさせてる。あいつは、ただの薬の行商なんかじゃない。玄人だよ」


やっぱりなぁ。と、全陵ぜんりょうは、渋い顔をする。


「諸葛亮の旦那、こりゃー、そろそろってことですかねぇ」


「おや、父上様も、そう思いますか?」


言ったきり、二人は、うーんと、唸り合った。


「諸葛亮よ!分かるように言ってくれ!」


沈黙に浸る孔明に、関羽が焦れた。


「あ、ああ、はい。あの、商人とやらの上着です。継ぎ接ぎだらけ、それは、良いでしょう。あちらこちら、巡って商っているのですからね。ただ、継ぎ接ぎの強度を高める、刺し子が……。あの、模様は、北で良く刺されている意匠です。さらに、継ぎの厚さが、幾重にもなっている。寒さ対策も兼ねているのでしょう。まあ、商人です。北方で、たまたま、古着を買った、と、言えばそれまでのことですが……しかし、私の事を知りすぎている。誰と縁戚かなど、の者でない人間が、どうして知っているのでしょう?そして、そのような、探りを、わざわざ、国、でもない、単なる、州に、仕掛けてくると言うことは……」


「あっちは、ここいらより、寒さが厳しい、そして、早くやってくる。冬の間は、土地は凍りつき、農作物は、実らない。秋の収穫時が終れば、農民は、さっぱりだ。しかし、年貢は納めなきゃーいけねぇ。と、なると、余所へ出稼ぎに出る者が増えるんでさぁ。ここにも、流れてきますがね、うちとしちゃー、それも、稼ぎ時となる。しかし……」


出稼ぎに、あぶれる者もいる。


そうなると、手っ取り早く金になる、その他大勢、頭数揃えの歩兵に志願するのだと、全陵は言った。


「つまり……そろそろ……北は……」


言ったきり、関羽は、黙りこんだ。


「徐庶、あなたは、どう思いますか?」


孔明は、全陵の話しに頷きながらも、自分とは異なる洞察力を持つ、友へ問うた。


「ああ、そうかもしれんし、そうでないかもしれん。そうだなぁー、諸々、動いているのは、確かだろう。まあ、あの男の身元は、由として、孔明、我らが、賭場にいた、ということを、あの男に、知られてしまった事は、まずくないか?」


あの、行商人らしき男が、劉表りゅうひょう蔡瑁さいぼうの、名前を出して来たのは、なぜか。


北の曹操が、と、いうよりも、これは、足元から崩される可能性があるのではないか?


徐庶の指摘に、孔明は、小さく唸った。


「なるほど……狙いは、劉備様か。よし!城へ戻りましょう。そして、劉備様にも、事情を知っておいてもらいます」


「ああ、蔡瑁に、つけ込まれぬうちに、手を打っておいた方がよかろう」


孔明と、徐庶のやり取りを見ていた月英が、旦那様!と、言って、いきなり頭を下げた。


「あ、あ、あれ、黄夫人?!ど、どうしました!!あ、あの、私、何か、しでかしましかっ?!」


「いえ!!私が、軽はずみに、賭場になど、足を運んだから……」


厄介事の理由を作ってしまったのだと、月英は、顔をこわばらせている。


「あーーー!ち、ちがいます!!黄夫人は、関係ない!!むしろ、お手柄ですよ!!こうして、賭場にいなければ、おかしな動きがあると、気がつかなかったのですからっ!!!こちらこそ、助かりました!!!」


言って、孔明も、深々と頭を下げた。


「……諸葛亮よ、何やってんだ?


「ああ、徐庶、何かあれば、頭を深く下げておけと、黄夫人に言われていて……なので……下げている」


それ、違うだろ!


関羽、全陵、ついでに、菜児も呆れたが、豪快な徐庶の笑いに、すべてかき消された。


「で、結局、惚気か!」


ハハハと、皆、徐庶につられて笑った。


「なんじゃー?!やけに、楽しそうじゃのお、ワシも入れてくれ!」


張飛が、口をとがらせながら、仲間はずれにされたと、ぶつくさ言いながら、やって来た。


「城へ、皆で戻るぞ!」


「あ、ああ、そりゃいいが、皆でとは?関羽の兄じゃ?」


関羽も張飛も、劉備に付き従い、劉表の居城であり、官庁でもある、城に居候しているが、孔明、徐庶は、それぞれ、住みかがあり、通いの身の上。そして、お役目の時間は、とっくに過ぎており、二人とも、退庁している。


「あー、そうですねー、忘れ物を取りに戻ったなどと、小さな理由では、収まらないでしょう……そうだ!」


あれは?と、孔明が先を見た。


「……酒壺だが……、おお!酒盛りかっ!!」


「うん!それがよい、劉備様を交えて、酒盛りだ!」


「ちょっとー!関羽!あの壺は、もう、空だぞ!皆が、あっという間に、飲み干してしまったじゃないかー!」


菜児や、と、月英が、声をかける。


「水を入れなさい。酒盛りは、単なる理由付け、もしも、誰かに、見つかった場合に備えて、水を入れておくのです。ぱっと見、酒だか、水だか、わかりませんからね」


「あー!!はいっ!!奥様!!」


水だぁー!と、若い衆に指示する菜児に、よし、馬を回せ!と、賭場は、いっきに、あわただしくなった。


「へぇー、なかなか、やるもんですなぁ」


「ええ、今はまだ、表舞台に立てませんが、その時が来たら、きっと……」


「ねえさん、ありゃー、やりますよ、あの方々なら……」


月英と全陵は、城へ向けて、賭場を出て行く男達を、誇らしげに見た。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?