定時になったので帰ろうと思い、席を立った時だった。
「田村、ちょっとこっち来い」
主任の灰塚さんに手招きされ、オレは少し緊張しつつそちらへ向かった。何かやらかしたかな、オレ。
できるだけ表情には出さないようにして「何ですか?」と、灰塚さんの前に立つ。
灰塚さんはにかっと笑うと、明るく言った。
「消去数累計千五百突破、おめでとう」
左から右からクラッカーが鳴らされて、オレはびくっと肩をすくめてしまった。
見れば、みんながオレを笑顔で見ている。そういえば、前にもこんなことあったな。あの時は千だったから、あれからさらに五百も消去したらしい。
「おめでとう、田村くん。初期からやってる私たちでも、なかなか千五百はいかないわ」
と、B班の班長である舞原さんが言い、隣で麦嶋さんも口を開く。
「あたしなんてまだ五百もいってないんだから、田村は本当にすごいよ」
面と向かって褒められると恥ずかしくて伏し目がちになる。
「これからも頼りにしてるよ、田村くん」
と、三柴さんまでにこにこと笑いながら言う。オレはただ、楽しくてやっているだけなのだけれど。
「まったく、こういう時くらい素直に喜べよな」
樋上さんに言われて、オレはますます反応に困ってしまった。素直に喜びたいけど、どうしても恥ずかしさが上回ってしまうのだ。
「無理はしなくていいよ、田村くん。おめでとうって言われて、嬉しくない人なんていないんだし」
優しく深瀬さんが言ってくれてほっとした。
「名実ともに、あんたはうちのエースよ。これからも頑張りなさいね」
と、土屋さんも穏やかに笑ってくれて、オレは照れくさくなりながらうなずいた。
「はい、ありがとうございます。頑張ります」
上司が灰塚さんでよかった。仲間たちがみんなでよかった。
そう思って、オレは少しだけ笑った。
「よかったな、楓。おめでとう」
いつものように二人でオフィスを出た後、航太がそう言ってくれた。
オレは口元がにやけるのをそのままにして返す。
「おう」
千五百も虚構の住人を消したなんて、まったく意識していなかったから自分でもびっくりだ。
「ランキングがあったら、きっとお前が一位なんだろうけどな。ちょっと残念だ」
「別にいいよ。みんなに祝ってもらえるだけで嬉しいし」
心の中はまだほかほかとしていて温かく、夏の不快な暑さが気にならないくらいだ。
「やっぱり、楓は向いてるよな」
ふいに航太が言い、オレは彼の方を見る。
「向いてるって何が?」
「だから『幕引き人』に、だよ」
はっとして心臓が鋭く痛む。いつか真逆の言葉を航太にかけたことが脳裏をよぎった。
航太はいつもと変わらない、穏やかな顔で言う。
「前にも話したが、楓にはもっといろんなことを知って、広い世界に出てほしいって思ってた。けど、今のままでもいいのかもしれない」
「……」
「決めるのは楓だし、僕がどうこう言ったところでどうしようもない。でも、楓の幸せがここにいることなら、それでいいのかもしれないと気づいたんだ」
オレは今のままでいいし、今のままがいい。優しいみんなに囲まれて、楽しく仕事をしていきたい。
「だからもう、僕は何も言わない。楓のしたいようにしてくれ」
「分かった」
でもオレは、航太のしたいようにしてくれとは返せなかった。
微妙に気持ちがすれ違っていることには気づいたけれど、どうすれば修復できるのか分からなくて、ただオレは航太の手にぎこちなく触れた。
航太はすぐにオレの手を握ってくれたが、すれ違っている感覚はどうしても