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第55話 プールデート

 水はほどよく冷たかった。思いきって中へ入れば、夏の蒸し暑さから解放されたような気持ちになる。

「気持ちいいな」

 隣で航太が言い、オレはうなずく。

「ああ、すっげぇ気持ちいい」

 プールに入るのなんて地球にいた頃以来だ。

 スペースコロニーでは水は貴重なものとされているため、プールの入場料金は高い。地球にあるものと違って広さもなく、こじんまりとしたウォータースライダーが目玉になっているほどしょぼい。

 それでも水遊びを楽しむべく、親子連れやカップル、友達同士などさまざまな客が来てにぎわっていた。

「浮き輪、使うか?」

「おう」

 航太が持っていた浮き輪をこちらへ寄越し、オレはそれに腕を乗せようとして沈んでしまった。同時に浮き輪がばしゃっとひっくり返り、何が起きたか分からずにオレはぱちくりと瞬きをする。

 見ていた航太はおかしそうに笑って浮き輪を取り上げた。

「輪の中に入るんだよ」

 と、ひっくり返してから真ん中の穴にオレを通す。

「お、おお……」

 恥ずかしいのをこらえつつ、今度こそ両腕を乗せてぷかぷかと水へ浮く。

「できた」

「うん、それでいい」

 泳げないオレにとって、浮き輪の力を借りて浮くのはなかなか不思議な体験だ。母親から勉強は学べたけれど、宇宙に水はないため水泳までは学べなかった。

「っていうか、航太は眼鏡外してて平気なのか?」

 水の中をあてもなく進みながら、オレは彼へたずねた。

 しっかりと隣をキープして航太は言う。

「ああ、別に視力が悪いわけじゃないからな」

「ん?」

「高校を卒業して大学へ入るまでの間、時間があったからレーシックで矯正きょうせいしたんだ」

「はあ!? じゃあ、何で眼鏡かけてんだよ!?」

「外見的特徴がないからだ」

「いや、あるだろ。背高いし、がっしりしてるし」

「でも顔立ちは地味だ」

 これまで知らなかったが、どうやら航太は自分の顔にコンプレックスがあるらしい。それで眼鏡をかけていたわけだ。

 思い返せば、ベッドの上でも普通にしてるよな。視力が悪いようには見えなかったけど、本当に視力が悪いわけじゃなかったのか。

 じーっと彼を見てオレはつぶやく。

「たしかに眼鏡かけてる方がいいかもな」

 本当は眼鏡を外した顔の方が好きだけど、だからこそ眼鏡をかけていてほしい。

「そうか?」

 と、航太が首をかしげるのを無視して、オレはプールの底を少し強めに蹴った。


 水の中にいるのに飽きて、オレたちは屋内にある温水プールに移動した。

「あー、あったけぇ」

「ほっとするな」

 ほぼお風呂といった感じだが、だからこそ落ち着く。

「どうする? このあと、またプールに入るか?」

「うーん、どっちでもいい。とりあえずオレは満足した」

「そうか」

 デバイスをロッカーに置いてきているため時間は分からないが、もう数時間は経っているだろう。

「楽しんでもらえたようでよかった」

 と、航太が笑みを浮かべ、オレも少しだけ頬をゆるめる。

「航太は楽しめたか?」

「ああ、とても楽しかったよ。可愛い楓がたくさん見られた」

 浮き輪での失敗を始めとし、波のプールではさらわれそうになり、ウォータースライダーでは思ったより高さがあることで怖気おじけづき、とんでもなく情けない姿を見せてしまった。

 すぐそばで航太が笑ってくれたからよかったものの、思い出すと嫌になる。

「別に可愛くねぇし」

 と、口をとがらせるオレの手に、水中で航太が手を重ねてくる。

「また一緒に来ような。来年にでも」

「……おう」

 保証のない未来に約束をするのは不合理な気がしたが、一年後も一緒にいたいという思いは同じだった。

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