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第65話 先輩の背中

「いやー、さっきの虚構、おもしろかったなぁ」

 オフィスに戻って報告書を書き終えると、オレはわざとらしくつぶやいた。

 室内にいるのはA班とオレたちC班の六人だ。

「乙女な土屋さん、めっちゃ新鮮でしたよ」

「ちょっと、田村くん? 口はつつしみなさい」

 土屋さんがにらみつけてくるが、オレの視線は樋上さんへと向いている。彼がこちらの話に聞き耳を立てているのは明らかだった。

「だって本当のことですもん。なぁ、航太」

 と、オレが話を振れば、航太もうなずく。

「ええ、正直に言ってもっと見ていたかったです」

「千葉くんまで変なこと言わないでよ。まったくもう」

 しかしその時のことを思い出したようで、土屋さんの頬はかすかに紅潮している。

「そういや、土屋さんってどういう人がタイプなんすか?」

 オレがたずねると樋上さんの肩がぴくりと動いた。気になっているようだ。

「どういう、って……うーん、そうね」

 頬を赤くしたまま土屋さんは考える。

「背が高くてしっかりした人、かしら。ちょっとくらい気が弱くてもいいけど、やっぱり、その……私も甘えたい、っていうか」

 めずらしく声がやわらかくて女性的だ。乙女心が彼女をそうさせているのだろう。

「ふーん、年上っすか?」

「そうね、年上だといいかも」

 何かを察したらしい灰塚さんが、樋上さんの肩へぽんと片手を置くのが見えた。どうやら彼が片想いをしていることを知っていたようだ。

 すると航太もようやくオレの意図を察し、樋上さんの方をちらりと見る。

 樋上さんは三十二歳、身長は百七十八センチ。性格さえしっかりしていれば、脈はありそうだ。

「それなら」

 と、オレが言ったところで樋上さんががたっと席を立った。

 思わず口を閉じてしまったのはオレだけでなく、妙に静まった室内を無言で樋上さんが廊下へと出て行く。

 土屋さんは目を丸くしているばかりで、ちっとも気づいた様子がない。これは前途多難だ。

「やれやれ」

 灰塚さんがつぶやき、航太はオレへ苦笑いをした。

「後で怒られるかもな」

「もしかして、やりすぎたか?」

 首をかしげるオレを見て土屋さんは怪訝そうにした。

「何よ、何の話?」

「いえ、何も。気にしないでください」

 と、オレは体の向きを変えてパソコンを見る。

「土屋さんは気にしなくていいです」

 航太もそう言って話を終わらせ、土屋さんは腑に落ちない様子で「それならまあ、いいけど」と、つぶやくのだった。


 定時後、廊下へ出たところで航太が言う。

「それにしても、楓にもあんな真似ができたんだな」

「あんな真似って?」

 航太が唇の端をにやりと上げる。

「樋上さんの背中、押そうとしただろう?」

「だって、あの二人が付き合ったらいいなって思うじゃん?」

 と、オレも口角を上げた。

「けっこうお似合いだと思うし」

「たしかにな」

 航太が同意し、オレたちはくすくすと笑い合う。

 すると後ろから首根っこをつかまれて、オレはびくっと頬を引きつらせた。

「さっきはよくもやってくれたなぁ、田村」

 樋上さんだ!

 航太はすぐに笑顔を浮かべて「お疲れさまでした」と、足早に去っていった。

「おい、航太!?」

 無情にも彼は遠ざかっていき、慌ててオレは叫ぶ。

「可愛い後輩が先輩の背中を押そうとしただけっすよ!? 悪気はないっす!」

「どっちでもいい、もうよけいなことすんな」

 乱暴に突き放されてよろけるオレの前を、樋上さんが不機嫌そうに通り過ぎていった。

 うーん、やっぱり樋上さんは小心者だな。もっとちゃんと怒ればいいものを、中途半端で許してしまうのだから。

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