母さんはにこりと笑って答えた。
「今日は午後からよ。四区の小学校で講義をするの」
「へぇ、訪問診療じゃないのか」
彼女はスペースコロニーで暮らすようになってから、訪問診療を始めた。慣れない環境で体調を崩す人たちを助けていたのだ。
しかし状況が変わったらしく、母さんは首を左右へ振った。
「そっちは全然ダメ。みんな宇宙で暮らすのにすっかり慣れちゃって、医者を必要としなくなっちゃった」
「そんなことねぇだろ」
オレが笑うと母さんもくすっと笑った。
「そうね、言い過ぎた。でも仕事が減ったのは本当よ」
「そっか」
とはいえ、親父の稼ぎだけで十分に暮らしていけることを、オレはよく知っている。自分が働き始めてから、なおさらそれが分かるようになった。
「それじゃあ、もう行くから」
オレはすぐに部屋を出て玄関へと向かう。
「もう行っちゃうの?」
「親父の職場まで遠いだろ。夕方には人と待ち合わせしてるし」
「あら、そう……」
靴を履きながら、オレは横目にちらりと母さんを見る。笑っているが、どこか寂しそうな顔をしていた。
「あの、オレ……今、付き合ってる人がいるんだ」
母さんの顔が驚きと喜びで輝き出す。
「付き合ってるって、恋人できたの!?」
「うん。めちゃくちゃかっこいい彼氏」
口にすると自然に顔がにやけて、オレはすぐに扉を開けた。
「それじゃあ」
照れくさくてそそくさと歩き出す。後ろから母さんの明るい声がした。
「おめでとう、楓! 今度戻ってきた時に、ゆっくり聞かせてねー!」
親父の職場は一区の端の方にある。国際宇宙技術連携研究機構、通称ISTAの日本支部だ。
オレのよく知る研究者たちが多く所属していることもあり、受付で名前を名乗るだけで話が早く進む。
比較的スムーズに研究室まで入ることができ、親父ともすぐに会えた。
「楓! 急にいったいどうしたんだ?」
驚きながらもオレを手招きする親父。
オレは少し緊張しつつそちらへ歩み寄る。
「ちょっと事情があって、知りたいことがあるんだ」
「知りたいこと?」
何人かの知り合いと、何人かの知らない顔がオレを見てくる。室内にはいくつものパソコンやモニターが並び、壁際のホワイトボードにはオレでも知らない方程式が書かれている。
どう説明しようか迷いながらもオレは言った。
「人間の脳に量子システムが組み込まれてるって、本当なのか?」
何人かがはっとし、何人かは視線をそらす。それだけではったりの効果があったことが分かる。
親父も困ったような顔をした。
「いったいどこでそんな情報を手に入れたんだ?」
「いいから、答えろよ。オレの友達が知りたがってるんだ」
「え、友達?」
親父が目を丸くし、次の瞬間にはオレを抱きしめていた。
「そうかそうか! やっと楓にも友達ができたんだな!」
「ちょ……やめろって、親父」
「いやあ、だって嬉しいじゃないか。楓にも地球人の友達ができたんだなぁ」
本当に嬉しそうにしみじみと言う。顔見知りの人たちも微笑ましげに拍手を送って祝福してくれていた。
親父から何とか離れて、オレはもう一度真剣に言った。
「教えてくれ。脳の中に量子システム、入ってるんだろ?」
「ああ、そうだね」
親父は曖昧にうなずき、移動した。
「ついておいで。落ち着いてゆっくり話そう」
オレはありがたく後をついていった。いい情報が手に入りそうだ。