「何でオレまで? やだよ、食堂で待ってる」
「そう言わずに一緒に来てくれ。泡沫記憶の件で、お前に礼を言いたいそうなんだ」
「えぇ……そんな事言われても」
仕事終わり、廊下を歩きながらオレは戸惑っていた。航太から急に、まだ時間があるから開発研究部へ顔を出さないかと言われたのだ。
「無理強いはしないけど、精密検索システムだってお前の力があったから完成させられたんだ。ちょっと顔を見せるだけでも嫌か?」
「うーん」
困ったことになった。たしかに実行まではまだ時間があるけれど、開発研究部に知り合いを作るつもりはない。
考え込んでしまったオレを見て、航太がふと足を止めた。
「そもそも、楓はどうしてそんなに研究職を嫌がるんだ?」
びくっとしてオレも立ち止まる。振り返ると航太がまっすぐな目をしてオレを見つめていた。
「そ、それは……その……」
自分の胸に問いかけてみる。しかし明確な答えはどこにもなく、それどころか脳が言う。
「色眼鏡で見られたくないだけだ」
「ああ……でも、楓も本当はこっち側だろう?」
苦笑半分に航太が優しく言い、オレは視線をそらす。
小さな頃はたしかに親父に憧れた。実験や研究をしている大人たちが身近にいたから、すごくかっこよく見えた。
「けど、少しでも溶け込みてぇんだ」
ぽつりとつぶやいたオレの肩を、航太がそっと抱く。
「それなら、なおさら会いに行こう。知らないから色眼鏡で見られてしまうんだ。知ってもらえたら、ちゃんと本当の楓を見てもらえる」
そうとは思えなかったけど、そうかもしれないとも思った。矛盾する気持ちを抱えたまま、オレは弱々しくうなずいた。
「分かった、行ってみる」
「ありがとう。もし楓を傷つける結果になってしまったら、その時は僕を責めてくれていいからな」
にこりと笑う航太は頼もしくて、どんな結果になったとしても、オレは必ず文句を言おうと決めた。
開発研究部は隣の建物にある。人数は十五人程度だと聞くが、RASなどの大がかりな装置や研究設備があるために場所を取るのだそうだ。
そのせいで警備も厳重らしく、職員証では扉が開かないようになっていた。代わりに航太は一定のリズムで叩いた。
やがて内側から扉が開き、三十歳くらいと思われる男性が現れた。
「千葉くん、待ってたよ」
「お疲れさまです」
「どうぞ、入って」
男が気さくな調子で言い、オレは航太の後に続いて中へ入る。
部屋にはいくつかの机が設置されていたが、使われているのは二つだけだ。どうやらこの部署には二人しかいないらしい。さらに今は男だけだ。
「君が田村くんだね。はじめまして、
と、にこやかに握手を求める彼を見て、オレはどぎまぎしてしまった。
「えっと、業務課の田村です」
オレが手を出さなかったにもかかわらず、彼は気にしない様子で近くの椅子を引いた。
「どうぞ、座って」
「し、失礼します……」
てっきりもっといろんな人がいるのかと思った。そうでなくて安心だが、同時に戸惑いもあって、どうしたらいいか分からない。
航太も空いていた椅子を引いて腰かけ、類沢さんも自分の席へ戻った。
「まずはこれだな。泡沫記憶の消去について、君たちのおかげで効率を上げることができたよ」
と、パソコンを操作して画面を表示させる。
「袋型の破砕機が上手くいってね。虚構記憶まで持っていったら、一瞬で消えたんだ。これなら今までの三倍は早いし、量的には五倍もの記憶を一度に消せる」
「すごいじゃないですか、類沢さん」
と、航太が嬉しそうに言い、類沢さんも微笑む。
「君たちのおかげだって言っただろ? すごいのは君たちだ」
呆然とするオレへ航太が目をやり、「だってさ」と笑った。