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風邪

 幼馴染おさななじみというのは、ある意味困ったものである。


 家が近所というだけで、冬美子ふみこはまるで自分の部屋のように我が家に上がり込んでくる癖がついてしまったようだ。同い年とはいっても、彼女は1月、ぼくは3月生まれ。ちょっと彼女の方がお姉さんなのである。


「風邪ひいたんだって?」


 まだ昼下がりである。スーパーの袋をかかえ、ダッフルコートを着込んだ冬美子がアパートを訪ねてきた。椅子にコートを掛ける。白い厚手のセーターにピッタリしたジーンズ姿がちょっとまぶしい。


 せっかく東京の大学に入って、一人暮らしをはじめたばかりなのに、親が監視役として冬美子に合鍵を渡してしまったのだ。よりにもよって、同じ大学を受けていたとは露知らず・・・・・・。


「お母さん心配してたよ」


「余計なお世話だ」


 たしかに冬美子は頭が良くて、よく宿題を写させてもらったことは間違いない。


 生徒会で広報をやっていた時にもそうだった。インスタントカメラの『写ルンです』を構えて、運動会で走っている者をそっちのけで、冬美子ばかりをファインダーに収めていたのも事実だ。


 そう、そしてもう二度とそんなことはしないと心に誓ったのだ。


 そうだ、大学生にもなって恋人の選択肢が冬美子ひとりしかいないなんてことはないはずだ。ぼくには、まだ多くの女性と知り合い、恋に落ち、愛を育み、幸せな家庭を築く、夢と希望に満ちあふれていていいはずなのだ・・・・・・。


 ドアチャイムが鳴る。


 冬美子がドアを開けると、中年女性がふたり犬の置物のように立っていた。ふたりとも古着のようなコートに身を包み、分厚いレンズのメガネを掛けている。


「神はあなたの罪をお許しになります。よろしければこちらの本を・・・・・・」


 なにやら怪しい小冊子を差し出された。


「けっこうです」


 冬美子は事務的にドアを閉めた。


 するとまたチャイムが鳴る。今度は派手目なスーツを着た若いの女性がひとり立っていた。


「〇×生命からやってきました」


「病人がいるので結構です」


「なら、なおさら生命保険を」


「彼は死にません!」


 潜水艦のハッチでも閉めるかのように厳重にドアを閉じるとまたもやチャイムが鳴った。そこには顔中ひげで覆われていていかにも胡散臭そうな彫りの深い顔をした中年男が立っていた。


「幸運の水を買いませんか。今なら5リットルサービス・・・・・・」


「病人がいますけど、まったく必要ありません」冬美子はドアをシャットアウトすると、もう二度と開けるものかと背中でドアに寄りかかった。「いったいどうなってんのこの部屋は」


 すると今度はチャイムも鳴らさずにドアは勝手にこじ開けられた。冬美子は驚いて振り向くと、頭髪が薄い、いかにも人相のよくない男がなだれ込んできた。しかも手には出刃包丁を握っている。


「きゃ!」冬美子はおもわず悲鳴をあげた。


「静かにしろ。悪いな。ちょっと人をっちまってよ。警察に追われてるのよ」


「あの、病人がいるんです」


 なんてことだ。


『犯人に告ぐ。おまえは完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて出てきなさい』


 警察隊らしい。窓の外から拡声器を通した音声が聞こえてくる。


「黙れ!」


 窓に向かって男が叫ぶ。


「あの、ちょっとお静かに。病人が・・・・・・」


 男は冬美子の首に左腕を回し、右手の包丁を彼女の喉元に押し当てた。


「さもないとこの女の命はないぞ!」


「あの、ですから病人」


「うるさい!」


「うるさいとはなんだ!」


 冬美子の腕が犯人の腕をつかむと、そのまま男の腕をねじりあげ、右足で男のひざを蹴りあげる。あわれ男は、一本背負いで窓の外に投げ飛ばされてしまった。男の叫び声が小さくなっていく。


「冬美子ちゃんかっこいい」


 そう、言い忘れたが彼女は柔道四段の腕前なのである。



 その夜・・・・・・なんてことはない。“心の誓い”なんて簡単に破られてしまうものだ。


 ぼくは、すっかり冬美子に風邪をしまった。


 しかも濃密な寝技で。

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