「すみませ~ん!」
隣のコートから、パックマンみたいにテニスボールが転がってきた。また誰かがボールを打ち損じたのだろう。ぼくはボールを拾って投げ返してあげた。
「ありがとうございます」
瞳のくりっとしたテニス女子がペコリと頭を下げる。
「おい」
うしろから肩を掴まれる。同級生の
ぼくらは野球部の補欠で、お決まりの玉拾いをさせられていたのだ。
「さっきもお前のところにテニスボール飛んで来なかったか?」
「ああ、そう言えば」
「あれはさぁ、あの女子がおまえの気を引くためにわざとやってるんじゃないかな?」
「え。そんなこと」ぼくは思わず浮き足立ってしまった。「・・・・・・あったらいいな」
「んなわけねえだろ!」
青柳はグローブをぼくの頭に軽快に叩きつけた。
「おいお前ら!練習中になに
そんなわけで、野球部のぼくと青柳はだだっ広いグランドをへいこら走るはめになった。
走っている最中、テニス部のコートを横目で見る。あの女の娘がサーブの練習をしているところだった。何度か地面にトスを入れて、高々とボールを上げる・・・・・・と、空振りをしてボールは地面に落ちた。
「あちゃあ。あんまりテニスうまそうじゃないな彼女」青柳が走りながら笑う。
ぼくは考えながら走っていた。
(彼女いいな、かわいいな)
※※※※※※
翌日ぼくは今度ボールが飛んできたら、意を決して彼女に話かけることを決意した。
案の定、彼女の打った黄色いボールが放物線を描いてぼくの足元に転がってきたのだった。ぼくはボールを拾って投げ返してあげる。
「ありがとうございます」
「あの・・・・・・きみ、な、名前なんて言うの?」
彼女は一瞬固まったが「
「いつもありがとうございます。野球がんばってください!」
そう言い残すと、白いスコートを翻してコートに戻って行った。すらりと伸びた健康的な足がまぶしかった。
「おいおい。練習中にナンパしてんじゃねえよ」青柳が寄って来た。
「彼女・・・・・・いいな」
「おいそこ。なにやってる!」そこにまた監督の声が飛んできた。「走り込み3周の後、腕立て100回!」
「ひえ~!」
※※※※※※
それからぼくとヒロミは少しずつ言葉を交わすようになっていった。
彼女は1年生でぼくは2年生だった。その日は部活の帰り道で、ヒロミとばったり出会ったときにはお互いびっくりした。制服姿のヒロミを見るのはこれまた新鮮だ。
「
「そう」
「野球部って練習きつくない?」
「もう死にそうだよ。でもレギュラーじゃないから・・・・・・運動神経もそんなによくないしね」
「あたしも」
ヒロミはつま先で道端の石をおはじきでも弾くように蹴る。
「あのさ。もしよかったら、今度映画でも観に行かない?スターウォーズの新作やるじゃん」
ぼくは頬が赤くなるのを感じた。でも部活で真っ黒だから彼女にはバレないだろう。
「誘ってくれるんですか?」
ヒロミが大きな瞳を輝かせる。
「ちょっときみ!」
そのとき、背後から誰かが声をかけてきた。高圧的で威厳のある声だった。振り向くとそこに背の高い男子学生が立っていた。
「榊原部長」
ヒロミの顔になぜか影が差したような気がした。榊原?
「うちの部員になにか用か?」
太い眉をつり上げた四角い顔の男だった。
「いえちょっと・・・・・・」
「この女子はうちのかわいい部員なんだ。気安く近づかないでもらいたい」と氷のような口調で言った。
「男女の恋愛は別じゃないんですか?」
このときぼくはいつになく食い下がっていた。
「恋愛?きみがか。まあ、部内恋愛は禁止されているが、きみは部外者だから問題はないんだが・・・・・・」
「じゃあ、つき合わせてくださいって・・・・・・なんで部長のあなたの許可が必要になるんですか?」
「別に許可とは言わないが、ヒロミにふさわしい人物ならおれも考える。いまヒロミは大事な時期なんだ」と榊原はぼくの頭の先からつま先までじっくりながめて言った。「よし、おれとテニスで勝負をしろ。勝ったら交際を認めてやる」
「わかりました」ぼくは思わず男をにらみつけていた。「受けて立ちます」
「いい度胸だ。それじゃあ今週の日曜日にコートで会おう」
ぼくはその場を後にした。そして猛烈に後悔していた。
ぼくは生まれてこの方、テニスなんてスポーツを一度もやったことがなかったからだ。
※※※※※※
「どうするんだよ」と、青柳がぼくの部屋でコーラを一気飲みしながら言う。
「どうもこうもないよ。約束しちゃったんだから」
「バカじゃねえの。勝てるわけねえだろうが。あのキャプテンは県大会の優勝者だぞ」
「まじか。終わった。いや待てよ・・・・・・ちょっと電話してくる」
ぼくは階段を下りて行った。
「どこへ?」青柳が階段の上から顔を突き出す。
「ちょっと」
※※※※※※
日曜日。榊原部長以外に男たち3人がテニスコートで待っていた。審判と副審はテニス部の部員たちが行うようだ。
「よくおじけづかないで来たな。それじゃ始めよう。きみは初心者だから3ゲームで勝負しよう。どちらか2ゲーム先取し方が勝ちだ」榊原が不敵な笑みを浮かべて言った。「最初のサーブ権はきみにあげよう。入ればの話だけどな」
ぼくは無言でボールをトントンと地面に突くと、高々と頭上にトスしてラケットを振りかぶった。ボールは榊原のコートの端に矢のように突き刺さった。榊原は驚いて目をむいた。
二人のラリーが続き、
2ゲーム目は本気をだした榊原が奪い返した。そして3ゲーム目は接戦の末、こちらがゲームを制したのである。
「驚いたな。きみ本当に野球部か。テニス部に入らないか?」
榊原が汗を拭いながら握手を求めて来た。
「いやですよ。部内恋愛禁止なんでしょう?」
「ああ、あれか。表向きはそうなっているんだが・・・・・・実はヒロミとおれは血が繋がっていない兄妹でね。こっそりつき合ってるってわけだ。ごめん。だから悪いがヒロミのことはあきらめてくれ」
「ごめんなさい」そのときぼくは木陰から姿を現した。「じつはそれぼくの弟なんです。だまして済みません」
ぼくはふたりに近づいた。
「実は双子の弟は隣の県の高校テニス部で、両親が離婚して別れて暮らしています。しかも実力者という噂を聞いていたんで、ぼくは弟に代役を頼んだんです。でも二人の試合を見て感動しちゃいました。ぼくをテニス部に入れてもらえませんか。恋愛抜きで構いません」
この一部始終をもうひとつの熱い視線が見つめていた。
※※※※※※
「キミが弟くんだね」
「あなたは?」
「榊原ヒロミ。わたしをここから連れ出してほしいの」
「それじゃあ・・・・・・」
「そうよ。こうなるように仕向けたのは全部わたし。兄を負かしてわたしをさらってくれるひとを探していたってわけ」
「そうだったのか。それじゃあ行こう」
ぼくの弟はヒロミの手を取って消えてしまった。いつかきっと、弟と対決する日が来るのかもしれない・・・・・・。
「変なオチ!」青柳が後ろで腹をかかえて笑っている。「もっとましな小説が書けないかな~」
「だって最初からぼくは言ったよね。