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第31話 先輩、胃袋掴ませてもらいます3

 追加量に貰ったケチャップをふわふわ卵の上に少量かけ、スプーンを通す。


 力を入れるまでもなく、スプーンの自重だけで割れ目が入る卵。中のケチャップライスとそれを絡めて一つにしてから、口へと運ぶ。


「どう……ですか?」


「……美味すぎだろ、これ」


 比喩無しで。これまでに食べてきたどのオムライスよりも美味しかった。元々オムライス自体は結構好きで、何度か外食に行ったこともあるけれど。そこで食べたお店の物より遥かに……それこそ、別の料理なのではないかと思うほどに美味しい。


「よかったです。じゃあ、私も……」


 一口。小さな口でパクリとオムライスを食べると、えるは舌鼓を打ちながら頬に手を当てた。どうやら彼女の中でも、最高傑作の出来だったようだ。


「中のケチャップライスもめちゃくちゃ好みの味してる。刻まれてる玉ねぎとか……あとはピーマンも。好きなものがたっぷり詰め込まれてて、死ぬほど美味いよ」


「先輩の好きな食べ物は普段のお弁当で調査済みですからね! ピーマンさんが好きなんて少し珍しいですし、入れるか悩みましたが。これは入れて正解だってみたいですね!」


 上機嫌の彼女と会話しながら、目の前のオムライスを頬張る。


 お互いに、完食は早かった。ものの十分程度で米粒一つ残らない状態となった二つのお皿を、せめてものお礼として夏斗が運び、キッチンで洗剤をつけて洗う。


 えるは自分も手伝うと口では言いつつも、お腹がパンパンになり幸せオーラを示す身体は椅子に張り付いて動かなかった。少しすると瞼もたまに閉じるようになり始め、「子供か」と思いつつも夏斗はその微笑ましい光景を見て静かに笑った。


「える? 一度寝るならもう部屋で寝てきたらどうだ?」


「ぅえっ!? 寝、寝てなんていませんよ!? ……じゅるっ」


「よだれよだれ。昨日夜遅くまで頑張ってたみたいだし、そんなんじゃあと二日持たないぞ」


「うぅ〜……でも、せっかく先輩がお家に来てくれたのに。そんなの、もったいなくて出来ないです……」


 毎日のように一緒に過ごしていると言うのに、そんな一日の数時間という短い時を失うことを「もったいない」と言ってくれる彼女に心の奥を打たれながらも、夏斗は皿を拭き終えてから机の前に戻り、言う。


「そんなこと言って、えるが体調崩したら元も子もないだろ。ちゃんと二時間くらい経ったら起こすから。俺はその間一旦家に戻るし、ゆっくり寝ててくれれば────」


「だ、ダメです! 先輩は絶対に帰しません!!」


 咄嗟に動いた身体は、夏斗の腕を掴んで引き止めようとして。……ふらっ、とよろけると、情けなくも彼の胸の内にもたれ込んだ。


「ほら、もう限界だろ。お腹もいっぱいになって、身体が寝ようとしてるんだよ。これ以上無理するようなら無理矢理にでも寝かせるからな」


「……分かり、ました」


 しゅん、と落ち込む彼女の顔を見て心が揺らぐが、ここは厳しく言っておかないと最終的に体調を崩して倒れる、なんて結末に繋がりかねない。一度きちんと休ませて、それからまた勉強に入ればいい。


「あの……私、先輩の言う通りちゃんと休みます。だから、その……」


「ん?」


 ぎゅっ。服を掴みながら、言う。


「ひ、膝枕……してくれませんか?」


 頰を紅潮させ、照れる動作を見せつつ、頼み込む。


 膝枕。なんでそんなものを頼んできたのか、夏斗には伝わらなかったけれど。


「お、俺の膝なんて柔らかくもなんともないぞ? 多分普通の枕で寝た方が……」


「ダメ、ですか? オムライスと勉強のご褒美……欲しいです」


「……分かったよ」


 確かに、えるが努力を続けていたのは事実だった。特に、目標を達成したら「なんでも一ついうことを聞く」というご褒美を設定してからは。まるで何かよっぽど聞いて欲しいお願いがあるのか、より一層その頑張りに磨きがかかっていた気がした。


 そんな彼女が、ささやかな頼み事で自分を頼ってくれたのだ。邪険にするわけにもいかないだろう。


「じゃあ、そこのソファーでいいか?」


「えへへ、先輩のお膝の上で眠れるなんて……なんだか、とっても幸せです」


「大袈裟だなぁ」


 にへぇ、と緩い笑顔を向けてくるえるのふらつく足取りを、そっと支えながら。目の前のソファーに腰掛けた。


「えへへぇ、先輩の膝枕だぁ……」


 ソファーに腰掛けた俺の膝に、コトンと倒れ込むえる。軽い頭が膝の上に乗り、じぃっと視線がこちらを向いた。


「頭も、撫でて欲しいです」


「はいはい。早く寝るんだぞ」


 そっと、紫色の綺麗な髪に触れる。


 頭のてっぺん辺りを手のひらで撫でてみたり、耳元の髪の毛を耳の後ろにかけさせてみたり。


 えるは嬉しそうに、膝に頬擦りして甘えていた。「にゃぅ」と猫撫で声をあげながら、ちょっとずつ瞼が閉じていって。やがて、小さな寝息と共に言葉が消えていく。


 どうやら、完全に寝てしまったようだ。


「世話の焼ける奴だな、ほんと」


 甘えん坊で、構ってちゃんで。しばらく放っておくと拗ねたり、ぐずり出してしまう。


 結局のところ彼女は、俺のことをどう思っているのだろうか。


 一緒に登校して、昼ごはんを食べて。部活の後には一緒に帰り、夜には通話したりもする。


 俺とえるの関係は、きっと他人から見れば「異常」とも取れると思う。何せただ家が隣になっただけで、恋人でも昔からの友達でもない二人の関係性が、これなのだから。


(えるは俺が好きだって言ったら、どう思うんだろう……)


 もし奇跡的に両想いだったら。きっと喜んでくれるはずだ。でも彼女にとって、俺がただ甘えたいだけの対象だったとしたら。むしろこれまでのような関係性を続けるわけにはいかなくなる。最悪の場合、俺達の縁はそこで……


『ごめんね。夏斗君のこと、そういう目で見たことないんだ。ただの友達じゃダメ……かな?』


「っ!!」


 過去のトラウマがフィードバックする。


 告白とは、勇気のいるものだ。そして断られたら、心の内を深く抉られるものだ。


 もしえるに、同じ台詞を言われたら。俺は正気でいられるだろうか。


 こんなに好きなのに、この想いは届かない。相手は自分のことなんて何とも思っていなくて、一方的な勘違いとして終着する。


 あんな経験はもう二度とごめんだ。


「しぇん、ぱぃ……胃袋、掴みましゅ……」


 怖い。怖い、けれど……


(えるを他の誰かに取られるなんて……嫌だ)


 えるが俺以外の男と歩いているところを、見たくない。


 ずっとこのまま、隣にいて欲しい。


 大好きだ。ずっと、ずっと一緒にいたい。


(なら、いい加減覚悟を決めないとな)


 俺はこのテスト期間に、えるにとあるプレゼントをすることを決めていた。


 それはえるが目標を達成したらそのご褒美として。もし失敗すれば、俺の手にする「何でということを聞いてもらえる権利」を使って。どちらにせよ、絶対に渡す気でいる。


 既に用意は出来ているのだ。あとは、俺が腹を括るだけ。


 いつまでも先輩後輩としての今の状態を平行線で繰り返すのか。それとも、たとえ失敗する危険性があったとしてもそれよりも親密な関係。「恋人」を目指して、告白をするのか。


 選ぶべき未来は、もう決めた。


「胃袋どころか、俺は心まで全部お前に掴まれてるよ。本当にいつもいつも……ドキドキさせやがって」




 俺は、このテストが終わったら告白する。

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