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第30話 先輩、胃袋掴ませてもらいます2

「もぉ、先輩はイジワルです。私だって、怒る時は怒るんですからね!」


「ごめんって。ちょっとイジりたくなっただけだよ」


 ぷりぷりと不満を吐露しながらくまさん柄のエプロンを付けようとするえるに平謝りしながら、夏斗はリビングを眺める。


 一言で言うと、オシャレだった。ごちゃついておらず、かと言って簡素過ぎない。そういったちょうどいいバランスの家具や掛け時計など。放っておくとすぐに散らかしてしまう両親にも見習ってほしいくらいだ。


 と、一度辺りを見渡してからソファーに腰掛けると、「んん〜!!」と何やら可愛い声が背後から聞こえてきた。振り返ればそこでは彼女が、何やら手を後ろに伸ばして悪戦苦闘している。


「何してるんだ?」


「はっ……!? こ、これはなんでもありません! だから気にしないでください!!」


「……もしかして一人でエプロンの紐、結べないのか?」


「ギクリッ」


「はぁ。全く」


 ギギギ、と効果音がつきそうなほど伸ばされた両腕は、背中の紐を指先で摘んではいるが上手く結べないようで。なんとか一重結びまではできているようだが、片方で輪っかを作っているところを見るに蝶々結びまで進めずにいるのだろう。


「そのまま後ろ向いてろ」


「え? ひにゃっ!?」


 えるの細い指先に触れながら、紐を引き抜く。そして膝立ちになってからちょちょいと蝶々結びをしてやって、出来上がった二つの輪っかを左右の人差し指で軽く引っ張ることでちゃんと結べていることを確認する。


「ほら、できたぞ」


「あ、ありがとう……こざいましゅ……」


 恥ずかしかったのだろうか。ほんのりと顔が赤い。えるの赤面なんて日常茶飯事的に見ているのに、何度見ても可愛いうえに魅力的だから卑怯だ。


(先輩に、エプロンつけてもらうなんて……し、新婚さんみたい……えへへっ)


 頰を赤くしながらも。緩ませ、にやけが止まらない彼女の心境など知らずに。夏斗自身も少し恥ずかしくなり、目線を逸らす。


 だって、これは……


(エプロン姿のえる、なんかお嫁さんみたいだ……)


 将来。えると結婚して、一つ屋根の下で家族として暮らす。そんな理想を妄想するのに充分すぎる材料だったから。


 それは夢であり、目標。今彼が「こうなりたい」と一番願う未来であり、同時に想い人である彼女もまた日々夢想する理想。


 お互いに、お互いのことを「そうなりたい」対象として見ていることを隠しながら。えるは逃げるようにキッチンへ。夏斗はソファーへと戻る。


「……絶対、先輩は誰にも渡さないもん。胃袋を掴んで、私のものにするもん……!!」


 その言葉が、彼の耳に届けばその理想は簡単に現実となるというのに。普段ドジばかりで様々な気持ちや感情がダダ漏れに伝わってしまう彼女の、たった二文字で表せるその気持ちだけは届かない。隠すことに、成功してしまう。


 ぱちんっ、と小さな両手で柔らかな自分の頬を叩き、えるは気合を入れる。今日のこれは、その第一歩だと。彼を手に入れるのは、自分だと。


◇◇◇◇


 とんとんとんとんっ。まな板に、包丁の当たる音が響く。


 玉ねぎ、ピーマン、ウインナー。それらの素材があっという間にみじん切りや輪切りにされ、一つの皿にまとめられていく。


 そんな情景を、音だけで頭の中に思い浮かべるだけにするつもりだったのだが。気づけば彼女の手腕が気になり、立ち上がってキッチンへと向かっていた。


「先輩? ゆっくりしててくれていいんですよ?」


「いやぁ、その……なんだ。本当はこういう時手伝うって言えればいいんだけど、邪魔になるのは身に見えてるからな。シンプルに作ってるところ見ていたいからここにいていいか? あ、もちろん皿運びとかは手伝うよ」


「わ、私の料理なんて見ていて楽しいんですか?」


「楽しいと思う。たまにはえるのかっこいいところを見たいな」


「むっ。たまには、というのは余計ですが……。まあ、先輩がそこまで言うんだったら……」


「ありがと」


 一瞬むすっとしたえはすぐに機嫌が元に戻り、どこか自慢げになりながら手先に視線を落とす。


 包丁さばきはさながら。そこから具材を混ぜ合わせつつご飯を入れ、ケチャップライスを作るまでの手順もとてもスムーズで。あっという間に、あとは卵を巻くだけという状態になってしまった。


「すごいんだろうなと思ってたけど、改めて見ると本当にだな。なんか母さんが料理してた光景を思い出したよ」


「お母さん……今は出張でしたっけ?」


「そ。まあ今回のが落ち着いたらしばらくは落ち着くと思うって言ってた」


 夏斗の両親は、母親が建築デザイナー、父親が営業職という共働き。それに加え変に昇進してしまったがために仕事量が増え、家に帰れない日がここ数年で急増している。


 まあそれでも年末年始やゴールデンウィークなどの休暇期間はずっと家にいるし、それ以外の時もたまに早く帰ってくることもある。だから夏斗自身、今の家庭環境を寂しいと思うことはなかった。


「ふふっ。ナツ先輩のお母さん、一回しか会ったことはないですけど凄く美人さんで、そのうえしっかりした人でした。そんな人と重ねてもらえるなんて、なんだかとっても嬉しいです」


「本当に思ったからだよ。手際良すぎて少し見惚れてたくらいだし」


「えへへ、もっと見惚れてください。日頃から先輩にお弁当作るために頑張った甲斐がありました……」


 ここまでの手際。きっと、今まで相当な数の料理をこなしてきたのだろう。いや、だろうというか少なくとも、お弁当を作ってくれていた二ヶ月半くらい。週五換算してもかなりの数を自分のために作ってくれている訳だし。


 何より嬉しかったのが、彼女のその努力は自分に向けられていたということ。その過程で得られた力だと告げられたのが、なんだか妙に誇らしくて。ただ純粋に、嬉しかった。


「っと、そんなことを話している間に一つ目完成です! 先輩、これ運んでおいてもらいたいのと……あと、お茶お願いしてもいいですか? その間にパパッと私の分にも取り掛かっちゃうので!!」


「ん、分かった」


 それから、数分して。ホカホカの湯気を上げるオムライスとその横にお茶の入ったコップを並べ、二人で向かい合ってリビングの机に着く。


 とにかく美味しそうな見た目だ。ぷりっとした卵の表面に崩れや欠けは無く、とても丁寧にケチャップライスを包んでくれている。えるの心遣いも、ひしひしと伝わってくる一品。


「「いただきます!」」





 そんな極上の品を目の前にして、二人一緒に「ぐぅぅ」とお腹を鳴らしてから。見つめ合って、笑い合って。以心伝心するように両手を胸の前で揃え言った。

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