「お待たせ、える」
「先輩っ!」
下足室で靴を履き替え正門前まで行くと、一人寂しそうに髪を弄りながら、えるが門にもたれながら俺のことを待っていた。
声をかけると、ぱあぁっと表情が明るくなる。それと同時に駆け寄ってきて、思いっきり抱きついてきたのでそっと頭を撫でた。
「テストどうだった?」
「バッチリです! 先輩に教えてもらったところがたくさん出ましたから!!」
それは良かった。
えるは元々壊滅的な点数を取る学力ではないけれど、苦手教科では赤点ギリギリに陥っている。そんな彼女がこうしてそのうちの一つを笑顔で終われたという事は、期待しても大丈夫なのだろう。
それ以上深く聞く事はせず、二人で学校を出る。
今日は、いつもような下校時間じゃない。テストだけで終わる三日間は、昼前には解放されるからまだ十二時にもなっていない。
「お昼ごはん、言ってた通りでいいですか?」
「うん。今日一日それを楽しみに頑張ってたまだあるから、マジで楽しみ」
「えへへ、腕によりをかけて御馳走作っちゃいます!」
だからこの三日間、お昼ごはんはえるに作ってもらう事になっていた。
そんなの悪いと一度は断ったのだが、本人が聞かなかったのだ。いつも冷めたお弁当しか食べてもらうことができないから、たまには暖かい作りたてのごはんを食べてもらいたい、と。こちらとしては嬉しいばかりだ。
加えて、今日明日明後日は俺の家じゃない。なんとえるの家にお呼ばれである。正直、少し緊張している。
(えるの家に、俺が……)
なんと言っても、好きな子の家だ。しかも初めてあがる、女の子の家だ。普段からいい匂いをさせている彼女の家は、きっと「女の子の香り」というやつがするのだろう。えるのこと、部屋にはぬいぐるみなんかもいっぱい置いていそうだ。
女子力全開な部屋を妄想する夏斗の手を握りながら、えるは先行する。
楽しみにしていたのは食べさせてもらう側だけではない。食べさせる側もなのだ。
(好きな人を手に入れるには、まず胃袋をつかむ! 「恋愛指南書高校生編」ってブログに書いてあったし、間違いないはず……!!)
普段からのお弁当作りで夏斗の好きな食べ物は完全に把握している。
卵料料理が好きであり、マヨかケチャップだとケチャップ派。お米かパンならお米派。そんな彼に振る舞うための、最高の料理がある。
(私のオムライスで、先輩をメロメロに!!!)
「ふふっ、楽しみにしていてくださいね。私の磨いた料理スキルで悩殺しちゃうんですから!」
「言われなくても、めちゃくちゃ楽しみにしてるよ。えるのごはんが美味しいのは……身をもって、知ってるからな」
相手が好きな人だから。好きな人が作ってくれるごはんだから。そんな理由でおいしいと決めつけられるレベルを、とうに超えている。
自分の好きな味付け、具材をふんだんに使い、元から高いスキルで完成される料理の味はもはや店に出せるレベルに到達している。しかも、家庭の味を使いいつ、だ。
よく家庭の味とお店の味は違うなんて言うし、どっちの方が好きかなんて派閥争いもあるけれど。結局のところ、その二つをバランスよく「両立」することができたなら。それが最強に決まっているのだ。
「ささ、早く行きましょう!」
「痛い、痛いですえるさん。散歩ではしゃぐ犬みたいになってる!」
「誰がワンちゃんですか!? 私は生粋の猫派ですよ!!」
「そういうことを言ってるんじゃ……ちょ、引っ張るなって!!」
若干駆け足気味になる彼女に、グイグイと弱い力(本人は全力のつもり)で引っ張られながら。仕方なく少しだけ歩く速度を速くして、家へと向かった。
◇◇◇◇
「ささ、先輩! どうぞ!」
「うん。お邪魔します……」
ガチャガチャ、と玄関の扉の鍵穴を回し、えるが笑顔で振り向く。少し開いたその先にはいくつもの写真立てとそれを彩る可愛いデコレーションが見えた。
「これ、えるの子供の頃の写真? へぇ……昔は髪の毛長かったのか」
「み、見ないでくださいよ恥ずかしい!? ちっちゃい時の話ですから!!」
「ふふふっ。そうよぉ。える、中学生までは一番長い時背中くらいまで髪の毛伸ばしてたんだからっ」
「そうだったのか……って、え!?」
「始めまして〜。ちゃんと話すのは初めてよねぇ」
それは、えるの少し高めな声とは違い落ち着いていて、どこから優しい声質。
思わず驚きながら顔を上げると、そこには奥からいつの間にか出てきたらしい超絶美人さんが立っていた。
背は低めだが、紫色の髪を結び、右側にまとめて肩からかけている。その毛先の先には二つのとてつもない巨山が聳え立っており、白い露出の少ないセーターが豊満なそれを掻き立てて色気を醸し出している。
「夢崎愛葉。えるのママですっ。君は隣に住んでる夏斗君よね? えるからいつも話は聞いてます」
「マ────お母さん!? なんで、今日いないって!!」
「えるが夏斗君連れてくるって聞いて、どうしても気になっちゃって。というか何よ、お母さんって。いつもはママ〜って可愛く呼んで────」
「にゃぁぁぁぁぁ!!!! もう余計なこと言わないで! お願い!!!!」
えるの奴、いつも母親のことをママと呼んでいるのか。
いや、それよりもいつも話は聞いてるって。自分の知らない間に自分のことを知られているって、なんだか変な感じだ。
えるが引っ越してきて、この人が家に挨拶に来ていたということは知っているのだが。その日はたまたま部活で家にいなくて、それからも会う機会はなくとくに気に留めていなかった。
それにしても美人だ。この人からなら、えるみたいな可愛い子が産まれてくるのも頷ける。たわわも遺伝みたいで、なんだか妙な安心感があるな。
「ふふふふっ。じゃあママはこの辺でお暇しようかしら。夏斗君、えるのことお願いね」
「えっ? は、はい……?」
「える、私はちょっと出掛けてくるわぁ。あ、流石に夜には帰ってくるからお泊まりはやめてね? その……二階からギシギシが聞こえてくるのは流石にお父さんも怒っちゃうと思うから……」
「本当に何言ってるの!? お願い、もうやめて! ナツ先輩の前で変なこと言わないで!! 早く出てってぇぇぇ!!!」
バタンっ。最後に「ごゆっくり〜」と言い残した愛葉さんは、えるに追い出され扉の向こうに消えて行った。
優しそうなだけじゃなく、中々ユーモアのあるお母さんだ。える、多分普段から色々と掻き乱されてるんだろうな……。
身体や可愛さは遺伝しているけれど、そういうところはあまり似ていないように思えた。えるは何かを企むとすぐ顔に出るし、死ぬほど分かりやすいけれど。あの人はなんというか、裏から支配したりするのが凄く得意そうなラスボスタイプだ。草むらのスライムレベルの攻撃しかできないえるとは似ても似つかない。
「うぅ……先輩の前で恥ずかしいところ見せちゃいました……」
「いやいや、全然恥ずかしくなんかないぞ。ただ、高校生の女の子がママ呼びはなんというかこう……キュンときた」
「っ!? か、揶揄わないでください! ほら、早く上がってくださいよ! 昼ごはん作りますから!!」
「ははは、耳真っ赤だぞ」
「うるさいですッッッ!!!」
キィッ、と威嚇して見せるも、耳まで真っ赤になっているその顔では逆効果。小動物の叫びでしかないそれに思わず吹き出してしまった。
「……ママ」
「引っぱたきますよ!!!!」
怒ってるえるも、最高に可愛い。だからこそ、こうしていじめたくなってしまうのである。