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第28話 先輩、私眠くないれす

 テスト当日がやってきた。朝、今日はテストが始まる前に最終確認をしたいので、えると事前に連絡を取り早めに登校する事を決めている。


 本当は一人で行くつもりだったのだが。先輩が行くなら私も、と聞かなかったのだ。まあ実際夏斗自体は朝が死ぬほど弱いので、もしも起きれなかった時にえるに起こしてもらえるとなれば頼もしくはあったが。


「おはよう、える。その……眠そうだな」


「眠くなんかないれす……しぇんぱぃの顔を見たら、眠気なんてふっとんじゃうんれすからぁ……」


 カクン、カクンと座っていない首を揺らしながら瞼を閉じ開きを繰り返している目の前の彼女を見ると、とても忍びない気持ちになった。


 どうやら、昨日は気合を入れて遅くまで勉強していたらしい。そこに加えてこの早起きで、身体が明らかな限界を示している。


(こんな状態で登校させても、仕方ないよな……)


 この朝勉強は本来であれば自分のためだが、こうしてえるを巻き込んだ以上彼女にとっても生産性のある時間でなければならない。であれば、少なくとも今すぐ学校に向けて歩き出すのは避けたほうがよさそうだ。


 勉強に身が入らないだけならまだしも、このままではテスト中にも影響が出るかもしれない。


 今の時刻は六時半。テストが始まるのが八時半だから、まだ二時間も時間がある。英単語やらなんやらの確認に一時間ちょっともあれば充分すぎるくらいだろう。


 出発は、遅らせよう。


「える、家上がってけ。コーヒーとか目が覚めるものでも飲みながら少しゆっくりするぞ」


「いいん、れすかぁ? 勉強しなきゃなのに……」


「するために、だよ。今の状態じゃ集中できないだろ?」


「うー……じゃぁお言葉に甘えて……」


 フラつく足取りで危なっかしいえるの暖かい手を握り、そっと引き寄せる。


 普段から体温が高い彼女だが、今日は余計にポカポカとしていた。寝ている時はいつもこんな感じなのか、なんて変な想像をしてしまい、自分の身体にも熱が篭るのを感じる。


「えへへ、先輩のお家だぁ〜」


「ソファー座っててくれー。コーヒー淹れてくるよ」


 普段から愛用しているインスタントの粉コーヒーの袋を取り出し、すかさず湯沸かし器のスイッチを入れる。二、三分も待てば親は沸くから、あとはそこに粉を入れて混ぜるだけだ。


(この一週間、早かったな……)


 湯沸かし器の中でお湯がゆっくりと沸騰していくのを眺めながら、この一週間のことを思い返す。


 勉強がしんどかったり、えるや紗奈に振り回されながらもそれなりに楽しい日々を送ることができた。これで結果も付いてくると言うのなら、万々歳だ。一人で必死に努力している悠里の事を思うと、逆にこんな事で結果が出てしまっていいのか、なんてことも思ってしまうが。


 しかし何よりも重要なのは、自分のテストの点数じゃない。勉強を教えた二人の女の子の点数次第で、自分には罰ゲームが課せられるのだから。


 紗奈が全教科赤点回避をすれば、苗字ではなく名前呼びを永続。えるが全教科五十点を取れば、なんでも一つ言う事を聞く。後者の方は逆にそれを達成できなければ、こちらから一つ言う事を聞かせることができるという権利を得ることができる。


 頭の中で並行して条件を並べてみると明らかに紗奈の方だけ自分に得がないかつ簡単な気がしたが、考えないことにした。


 何故ならば、かかっているものの重さが違うのだから。


(もし、えるが一教科でも五十点を下回れば……)


 何でも一つ、言う事を聞かせられる権利。強力な言霊だが、当然嫌がる事を強要するつもりはない。そして実は既に、何を言うのかは決めている。


「ま、こんな形じゃなくても……ちゃんと目標を達成してくれたら、ご褒美として渡すのが一番いいんだけどな」


 カチンッ。呟くと同時にスイッチの音が鳴る。お湯が沸いた証だ。


「お待たせ。コーヒー淹れて……って、オイ」


「しぇんぱぃ……しぇん、ぱいぃ……」


 リビングに戻ると、当の本人は幸せそうな顔をしながら、枕を抱き抱えて眠りに落ちていた。


 緊張感が無い、なんて言い方をしそうになるけれど、隣の家に住んでいるからこそ知っている。昨日……いや、今日の午前三時を過ぎる頃まで、彼女の部屋に電気がついていた事を。


 つまり、彼女の睡眠時間は二時間ちょっと。そんな状態で柔らかなソファーの上に座ってしまえば、こうなってしまうのも必然か。


「コーヒー、冷めちゃうだろ……ほんっと、仕方ない奴だな」


 そんな彼女の頑張りが報われる事を、強く願った。


◇◇◇◇


「うぃー!! お疲れ様ー!!」


「おーう。お疲れー」


 三限終了のチャイムが鳴り、テスト一日目が終了した。


 夏斗自陣の手応えとしては、中の上といったところ。全体的におおよそ予想通りの出題傾向で、前回のテストよりは充分高得点が取れたのではないかと自負している。


「柚木、どうだった? 後ろから見てる感じ数学の時間結構ペンが進んでるように見えたけど」


「ふふんっ! これは過去最高得点が望めますなぁ! 他の教科もいつも以上に頑張ったし、全教科赤点回避はすぐそこかもしれませんよぉ!!」


「おー、凄い自信。悠里、お前は?」


「はっ。余裕に決まってるだろ? 悪いけど今回はお前の金で肉を食うって決めてんだ。財布の準備して待ってやがれぃ」


「おっふ……」


 悠里曰く。特に英語はかなりの自信があるらしく、ざっと今教科書なんかと照らし合わせて自己採点したところ、九十にも届きうるとのことだ。いつも以上にやる気が限界突破していたし、流石と言うべきか。


「ねぇ早乙女っ。あの約束……忘れてないよね?」


「っ! あ、当たり前だろ」


「にししぃっ♪ テスト返却が楽しみですなぁ」


「ああ、本当に楽しみだ。どこの焼肉屋にすっかなぁ〜」


 両面から圧をかけられ萎縮する夏斗は、苦笑いで顔を引き攣らせる。


 紗奈との約束も、悠里との勝負も。どちらも自分が負ける未来しか見えなかった。


「ま、まあテストはまだ終わってないからな。何が起こるか分からないし、柚木は油断すんなよ? 悠里は……油断してくれ頼む」


「しないよっ。残りも本気で挑むからね!」


「油断なんざするわけないんだよなぁ! お前の財布を殺すためなら俺はなんだってやってやるぜ!!」


 勢いづいた悠里はそう叫ぶと、一人で颯爽と帰っていった。紗奈はというと鞄からおしるこの缶を取り出し、口をつける。


 何故この季節におしるこ? というか鞄の中から? と色々とツッコミどころは多かったが、何か言いたそうにしているのを感じ取ってもう一本を取り出してくると、そっと手渡された。


「もぉ、そんなに欲しそうな顔しないでよ。ちゃんと早乙女の分も用意してるよっ」


「え? 欲しくはなかったんだけど……」


「むむむ。私から貰ったものは飲めないって言うの?」


「……ありがたくいただきます」


「よろしいっ」


 缶は、ひんやりとしていて冷蔵庫で冷やされた後のように冷たかった。


 おしること言われればやっぱり暖かいイメージがあるのだが……冷たいおしるこは美味しいのだろうか。


 ぷしっ、とプルタブを引き、紫色の覗く飲み口を顔に近づける。


「……うまっ」


「でしょぉ? おしるこは年中不休の最強飲み物なのだよ!」


 思いの外美味しかった。なんだか新感覚というか、味はおしるこなのにおしることは全く別のものをなんてをいるような感覚。スイーツをミキサーにかけてドロドロにしてから冷やして飲む、みたいな感覚に似ているだろうか。


 少し困惑しながらも美味しそうにおしるこを飲むその姿を見て、紗奈は満足げに笑って残りを全て飲み干し、教室の端にあるゴミ箱にシュートする。


 美しい放物線を描いた空き缶は、吸い込まれるようにゴミ箱に消えていった。


「こんなに清々しいテスト終わりは初めてだよ。本当にありがとね、早乙女」


「はいはい、それはテストが返ってきてから言ってくれ。なんか死亡フラグみたいだぞ」


「ぶぅ。こんな美少女からありがとうを貰えたんだから、黙って受け取ればいいのに……」


「バカ」、と小さく呟きながら、紗奈は鞄を肩にかける。


 そろそろ、こちらもえるのところに行かなきゃならない時間だ。


「じゃあねっ」


「ああ。また明日」



 見送った背中。その少し上の健康的なうなじに視線を引かれそうになりつつも、咄嗟に目を逸らして。少し時間を空けてから、教室を出た。

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