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第27話 早乙女、お話しよ?

「どうしたんだよ、こんな時間に」


『あはは、こんな時間ってまだ九時半だよ? 電話くらい普通だよ〜』


「そうか? まあ別にいいや」


 それよりも、と付け足して、話を続ける。


「分からないところでもあったか? まあ前日の夜に気付くのは遅すぎる気もするけど」


『……』


「?」


 彼女は、数秒間沈黙した。


 夜に電話をかけてくるなんて初めてのことだ。メッセージならよくあることだが、電話をしなければならないほど大事な要件があったのか。そう思い、聞いたのだが。


『……勉強のこと以外でかけちゃ、ダメ?』


「へっ!?」


 ビクンッ。急に囁かれた甘ったるい言葉遣いに、身体が跳ねた。


 いつも活発で、男勝りな彼女は女の子のような仕草を見せることがほとんどない。


 だと言うのに今の瞬間、確かに身体は「女の子だ」と反応してしまった。


「いや、いい……けど」


『えへへ、やったぁ』


 普段見せない、クラスメイトの裏の顔のようなものを見てしまった気持ちになりたじたじになりつつも。夏斗は一旦スマホを机の上に置き、コップに入れていたお茶を飲み干す。


 するとそれと同時に、紗奈のアイコンのみが表示されていたスマホ画面に「ビデオ通話申請が届きました」と文字が映される。


『おっ、早乙女ー! 見えてる?』


「ちょっ!?」


 二分化される画面。小さく映されたのは申請を許可すれば自分の顔が映る画面。大きく映されたのは……申請を送ってきた側である紗奈の、顔と服装が映された画面。


『寝巻き紗奈ちゃんだよ〜。ねぇ、早乙女もビデオ付けてよぉ〜』


「お、おう。分かった……」


 制服と陸上のユニフォームを着ているところしか見たことがない彼女の寝巻きに、目を惹きつけられる。


 薄く通気性の良さそうな白の無字Tシャツに、首元から覗く二本の黒い紐。白に対比した胸部の下着が、薄らと見え隠れしていた。


『あっ、早乙女の寝巻きはジャージなんだ。暑くないの?』


「ク、クーラー入れてるからな」


『ふぅん。私はこのかっこでクーラー入れてやっと涼しくなれるけどなぁ。体温高いのかな?』


 無防備だ。異性のただのクラスメイトに見せていい姿ではない。


 ブラ紐も、鎖骨も……少し小麦色に焼けた肌と真っ白な肌が混ざる日焼け痕も。非常に目のやり場に困るのだが、いざ目だけを見ていると不意の微笑みにドキッとしてしまい、思わず目を逸らしてしまう。


 彼女が本当に女の子なんだということを、改めて分からされた。


「そ、それでなんでいきなりビデオ通話なんだよ。これ、その……」


『んー? 早乙女恥ずかしいの?』


「そりゃ、柚木は……なんだ。女の子な、わけだし。恥ずかしいって言うか、目のやり場に困るって言うか……」


『ふふっ、早乙女のエッチ』


「揶揄うなよ……。そんな薄着なところ見せられたら、世の男子高校生はみんな固まるっての……」


 紗奈は、この状況を楽しんでいた。


 そして、同時に……


『私のこと……ちゃんと女の子として、見てくれてるんだ』


 夏斗が自分の″女の子″な姿を見て緊張してくれていることが、とても誇らしく、嬉しかった。夏斗に聞こえないほどの小さな声で、そう無意識に呟いてしまうほどに。


 本当はこの電話には別の、ちゃんとした目的があったのだが。それを一旦後回しにして、紗奈は言葉を続ける。


『ねぇ早乙女。少しだけ話そ? 勉強で疲れちゃったから、ちょっと休憩したいの』


「は、話すって何を?」


『何でもいいよっ。早乙女と何でもない話をしてる時間……私は結構好きだから、さ』


 テスト前日。お互いに忙しいのは分かっている。でも……少しでも長く、話していたかった。


◇◇◇◇


 それから三十分ほどが経っただろうか。学校の休み時間にするような、本当に何げない話を続けた。


 隣のクラスの奴が付き合って見せつけているだとか、数学の先生の毛量が明らかに減ってきて頭皮が見え始めたとか。


 くだらない話ばかりだ。でもそんな時間が楽しくて、ついつい話し込んでいた。


「そういえば柚木、最近はランニング行かずに家で篭って勉強してるのか?」


『ううん? 放課後のはもうしてないけど、毎朝日課で三キロ走ってるかな。高校で陸上部入ってから、ずっと続けてることだから』


「三キロ!? 凄いな……」


『ふふんっ。おかげで毎朝ちゃんと起きれる習慣もついたのだ〜』


 そして必然的に、部活の話にもつれ込んだ。


 紗奈は二年生でありながら陸上部のエース。種目は短距離走と長距離走で、どちらの大会でも負けたと言う話を聞かない。


 小学校、中学校から陸上を続けてきた周りも、高校生から始めた紗奈にあっという間に記録をぶち抜かれた。成長速度が異常で、何より「楽しそうに」走る彼女の事を、周りは天才と称えている。


────彼女が、裏で常人の数倍以上の努力をしている事も知らずに。


「本当に、凄いよ。俺、柚木にお近づきになりたいって後輩とかからたまに声かけられるけどさ。みんなお前の事「天才」って言うんだ。でも……才能だけで結果なんて、出せるわけないよな」


『お? 何々分かってるじゃん。そーなの。私、天才って言われるの嫌いなんだ……。なんか天才って言葉はさ、その裏に「努力しなくても才能でやっていける人」っていう皮肉も篭ってる気がして。頑張ってるから結果がついてきてるだけなのにねぇ』


 夏斗もバスケ部という運動部に所属しているからわかる。三キロ走る、なんてのは簡単な事じゃない。それを毎日毎朝続けるなんて、とてもじゃないが常人には叶わない。


 そう考えれば、ある意味「努力の天才」とも現せるのかもしれないが。天才という言葉を嫌っている彼女の手前、口にはしなかった。


『ねーねー、早乙女はバスケ部で何か面白い話ないの?』


「面白い、か? そう、だな……」


 なんだか心の内で、彼女と自分を差別化してしまった。


 中学で始めたバスケを、悠里と共にズルズルと続けてはいるが。陸上に対して″本気″で挑んでいる彼女の前で自分の周りの話をする気には、どうしてもなれなくて。


「特にない、な。チームとして強くないから試合もぜんっぜん勝てないし。まあそれなりに楽しんで、緩くやってるって感じだよ」


『緩く? そんなことないと思うけど……』


「え?」


『だってバスケットコートに立ってる時の早乙女、別人だもん。あれが緩く、なんて絶対嘘だよ』


 別人。自分ではその感覚は分からなかった。


 だってただ楽しくて、悪い言い方をしてしまえば趣味の延長でしているだけだから。プロになれると思っているわけでも、高校で結果を残せると思っているわけでもない。これが緩くなくて、なんだというのか。


『早乙女は、自分で思っている以上に本気だよ。プロとかを目指してなくても、少なくともコートに立っている時間だけは。好きなものをずっと続けられるって、一種の才能なんだよ?』


「で、でも。俺はお前みたいに結果を残せてるわけじゃ……」


『いいじゃん、弱小上等だよ。本人が楽しくて、本気でやれてるなら。それは……カッコいいことだよ』


「っっ!!」


『あ、今の名言出ちゃった? もぉ、早乙女が珍しく弱気な表情見せるから語っちゃったじゃんかぁ。恥ずかしいなぁ……』


 好きなものを、続けられる才能。


 弱くてもいい。本人が本気で楽しめたら、それでいい。


 スッと心が軽くなった。一瞬、沈んだ心が元に戻っていく。


 きっと純粋に嬉しかったのだ。結果という形では残せない自分の頑張りを、認めてもらえて。


 こんな自分を見続けてくれている人がいて。それを、結果を残している彼女に言ってもらえて。


「ありがと、な。嬉しいよ。柚木にそう言ってもらえると。やっぱり将来陸上選手になる人の言葉は違うな」


『ちょ、ちょっとやめてよ! 私には陸上なんかよりもっと叶えたい夢があるんだからさ!!』


「え? そうなのか?」


 陸上一本の彼女の事だ。てっきりその道へと進んでいくものだとばかり思っていた。まさか他に夢があったとは。


『陸上選手も、確かに目指すんだけどさ。でも自分の思えるように走れる期間って、きっとそう長くないんだよ。だから陸上をやめた後、何も残らない人生にしたくないんだ……』


「形になる何かを、残したいのか?」


『形っていうか……拠り所? 陸上を自分で一番走れたって思えるところまでやれたら、そこでキッパリやめてさ。その後は……』


 かぁ、と頬を赤面させながら。彼女は告げる。


『……好きな人の、お嫁さんになりたい……かな』


 笑ってやるつもりだった。揶揄い混じりに、「何女の子みたいなこと言ってるんだよ」って、いつもみたいに。


 でも……笑えなかった。それどころか「お嫁さん」という言葉が頭の中で反響して、体温が上がっていく。


『な、なんで黙るの……』


「あっ、ご、ごめん。なんかその……意外な夢だったから、動揺して」


『なんだよぉ。私だって女の子だもん。好きな人と結婚して、家庭を作って。そんな細やかな幸せを感じながら歳をとっていきたいって、そんな普通の女の子の夢を持ったっておかしくないでしょ?』


「そう……だな」


 心臓が、バクバクと激しく高鳴ってうるさい。こんな事、彼女と話している時は一切起こらなかったのに。


 ただの、クラスメイトだったのに。


【私のこと、紗奈って呼んでよ】


 女の子というのは、本当に罪深い存在だと思う。


 コイツも、えるも。……自分のことが好きなんじゃないかと思わせるのが、上手すぎる。


(何、変に意識してるんだ。柚木はただのクラスメイトで、友達だ。それ以上でも、それ以下でも……)


『あは、は。なんか恥ずかしくなってきちゃった。顔熱いし……ごめんね? なんかかれこれ一時間くらい付き合わせちゃって』


「き、気にしないでくれ。俺もその……いい息抜きになったから」


『本当? じゃあ、よかった』


 まだほんのりと赤い耳に横髪をかけながら。紗奈は最後に、とこの電話の本当の目的のことを話す。


『ねえ早乙女。私、あと二時間くらい頑張ってから寝るからさ。その間頑張れるように……お願い事、してもいい?』


「お願い、事?」


『そ。えっとね……? ご褒美を、一回だけ前借りさせて欲しいの。「紗奈、頑張れ」って……言って欲しい』


「は、はぁっ!? おま、何言って────」


『お願い。一回だけでいいから。そしたら、頑張れるから……』


「うっ……」


 女の子のこの表情が苦手だ。甘えて、求めて。じっと大きな瞳を向けながら、上目遣いでお願いしてくる時のこの表情が。


 断れるはずがない。こんか顔をされて断るなんて、俺にはできない。きっと……俺だけじゃなく、全男子は美少女のこれには逆らえないだろう。


「わ、分かった。でもその……流石に面と向かってビデオ通話しながらってのは、恥ずかしいからさ。普通の通話に戻してからでもいいか?」


『うん。じゃあ、切るね』


 音もなく、画面から彼女の姿が消える。それと同時に自分の顔も消え、ウサギのイラストアイコンだけが表示される。


 画面の向こうで、彼女はどんな表情をしてこちらの声を待っているのだろうか。緊張しているのか、それとも恥ずかしがっているのか。はたまたじっと、期待の眼差しで待っているのか。


 分からないけれど。俺はうるさい自分の心臓の音を聞きながら、言った。


「紗奈……頑張れ」


 返事は、無かった。こちらが言い終わると同時に静寂が訪れて、そこで通話が途切れる。


 何か間違えてしまったか、と心配になったが、真っ暗になったスマホの上部に、小さくメッセージが表示されて。


『ありがと』




 と、いう淡白な文字に既読を付けてから、ゆっくりとスマホを閉じて。勉強へと、戻った。

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