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第58話 約束したのに

 ワンルームの薄暗い部屋。夜の静寂が、壁越しにも濃く染み込んでいる。


「……ごめんね、シバ」


 湊音はベッドの端で、タオルケットに身を包みながら、消え入りそうな声で言った。


 その横で、同じく裸のシバが壁にもたれ、煙草をふかしている。煙がゆっくりと天井へ昇っていく。


「謝ることないさ。こっちも……男とするのは久しぶりだ」


「……男と、ね」


「そう。煙草、いるか?」


 湊音は首を横に振る。


「一年になるんだ。禁煙。李仁と一緒にやめた」


「……そっか。知らなかった」


 シバは短く答え、煙をふぅっと吐いた。空気の匂いが、少しだけ変わった。


 ――さっきまで、二人は近くの剣道場で子どもたちに指導していた。しかし今日はまっすぐ帰れなかった。更衣室で、シバに迫られた湊音が抗えず、気がつけばキスを交わしていた。あっけないほど簡単に歯止めが外れた。


 何ヶ月も避けてきた行為だった。李仁とは口約束で、「挿れることはしない」と決めたばかりだったのに。


「そんなんで……いいのか?」


 シバの声が、部屋の静けさを破る。


「……キスとハグと、たまに口や手で……それで、満足してる。今は」


「“今は”か」


 言葉をかぶせるように、シバが言った。湊音は黙って、膝を抱えるように身体を丸める。


「欲しがってたお前が……そんなふうに我慢できるはずがない」


 シバは煙草を灰皿に押し付け、灰と火を断ち切る。そしてベッドの上を這うように、湊音の前へ。頭を掴み、無理やり顔を上げさせた。


 その乱暴な仕草に、湊音の目が潤む。どこか嬉しそうに。


「シバ……」


 次の瞬間、激しいキス。舌がねじ込まれ、湊音も応じるように絡め返す。涙が頬を伝う。止めようのない感情が、あふれている。


「お願い……たくさん、愛して」


 その一言に、シバはわずかに目を細める。


「……して?」


 その鋭さに、湊音がハッと息を呑んだ。そして、かすかに笑って言い直す。


「……愛してください」


 シバはその言葉を聞くと、静かに、しかし深くうなずいた。


「わかった。会えなかった時間なんか、全部埋めてやる」


 そして再び、深く口づけた。


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