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第2話

 サキの朝は早い。

 派遣の話はあくまでメイド業務の一環であり、基本的に屋敷の業務を担当する。

 先輩メイドたちとの朝礼を済ませるとそれぞれ配置につく。

 流水の屋敷は広く、メイドの人数は10を超える。

 そんな中、サキのメイドとしての立ち位置は特別枠である。

 本来のメイド業務の他に流水の護衛として同行する機会がある。娘だからという理由で少々特別扱いをされているが、職場の人間はサキを疎む者はいない。むしろ尊敬されている。

 彼女が陰で人一倍努力をしている事をみんな知っているから。

 ただ、サキは表情が読みづらく接する際に壁があるため、仕事の同僚という立ち位置に止まるが。

 無表情な人。それがサキの印象だ。

 だが、最近は印象が変わりつつある。


「……ふふ」


 サキが仕事中に笑顔が増えたのだ。もともと無表情な彼女を知っている人たちからしたら大きな変化なのだ。

 だから最近、サキは職場の先輩メイドから声をかけられることが増えた。


「どうしたのサキ?最近いいことあった?」

「はい。最近楽しい遊びができまして」


 サキは聞かれるたびにそう返している。


「では、これから派遣に行ってまいります」


 サキは普段よりワントーン高い声音で挨拶してから連の元へ向かったのだった。








 半袖の濃紺のワンピースに身を包むサキは蓮の家に向かう。

 派遣に関して、流水からの指示で蓮の家には土日どちらか1日、平日の学校終わりに2日、計週3日派遣することが決まっている。他には流水からのお達しで蓮と食事を一緒に取るようにと言われた。

 派遣の日に関しては納得したが、何故一緒に食事をするのか疑問だったがサキは何も言わずに了承した。

 好きなものを作って食べられると考えるようにしたのだ。

 そもそもサキは流水の言葉は従順だ。

 サキにとって流水は父親の存在だが、雇い主でもある。

 どんなに私情が入ったとしても、命令されたらどんなことでも引き受ける。それがサキが誠実に仕事をするスタンスであった。

 派遣が始まった当初は足取りが重かったサキ。


「ふふふ」


 だが、最近は足取りも軽くよく笑うようになった。もちろんその理由も自覚している。

 蓮の家に派遣されることはサキにとって楽しみなのだ。蓮に対して好意は消失したものの主人とメイドという今の微妙な立ち位置は楽しい。

 サキは最近、行く途中も前回の蓮とのひと時を思い出して微笑んでしまうほどである。

 その笑みは横切った男が振り返ってしまうほど美しい。


「ちょっと?どこ見てんのよ?」

「え?ち、違うんだ!」


 だから、カップルにちょっとした亀裂を入れてしまうこともしばしば。

 そんな背後で揉めているカップルをよそにサキは歩き進む。


 エレベータで3階へ上がり、扉の前に立つとサキは大きく深呼吸をした。


ーーピンポーン。


 サキはインターホンを鳴らした。


「……あれ?もしかして不在だったり」


 今日は休日のため家にいるはずである。一応合鍵は預かっているものの、事前に用事はないと聞いているので家にいるはずである。


「ごめん、お待たせ」


 サキは首を傾げていると30秒後、扉が開く。

 慌てて蓮は出てきたのか、少し息が切れていた。

 そんな蓮にサキはニヤリと笑みを浮かべて。


「……すいません。お取り込み中でしたか?」

「ちょ?!違うから!変な勘違いしないでくれる?日課の筋トレしてただけだから。前にも言ったよね?」

「……私、初めから筋トレの話をしていたつもりですが。……何と勘違いされたのですか?」

「う……」


 蓮はやられたとわかると言葉を失う。そんな姿にサキは眉を顰める。


「ご主人様が普段どのようなことを考えられているのかわかりました」

「ち、違うからね!」

「ここで騒いでいいんですか?ただでさえメイドプレイを好む変態と噂が流れているのに」

「そ、それ知らないんだけど?どこ情報?」

「私情報です」

「……まさか、本当に流れてないよねそんな噂」

「さぁ?」

「う、嘘だよね。メイドさん?」

「では、入りますね。準備に取り掛かります」

「……はい」


 蓮はあしらわれているとわかると素直に従った。

 蓮もサキに勝てない自覚はしている。蓮はボソリと呟く。


「いつか、やり返すから」


 勝算があるかわからない蓮だった。だが、その呟きはサキに聞こえていたようで。


「へぇ。……楽しみにしてますね?」


 サキは作り笑を浮かべてそう返したのだった。

 蓮はこの日、いつかリベンジしてやると決意した。

 それからサキはいつも通り家事洗濯をこなす。夕食を二人で食べ終わると正面に座る蓮がふと思ったのか質問してきた。


「来てもらってしばらく経つから、本当に今更なんだけど……帰る時って1人で大丈夫なの?」

「……はい?」


 食器をまとめようとしたサキは蓮に視線を向ける。

 聞かれている内容が分からずサキは首を傾げた。


「……何か心配事でも?」

「ほら……休日はいいけど、平日だと帰りが5時すぎるじゃん。帰りとか危なくないのかなって。女の子1人で歩くのはね」

「そういうことですか」


 それは純粋な心配だったようだ。

 サキは視線を落として食器をまとめ、淡々と答える。


「護身術を嗜んでおりますので問題ございません」

「そ、そうなんだ。護身術」

「はい。その辺の暴漢に襲われたところで返り討ちにしますので」

「いやいや、護身術してるって言っても、1人の女の子。体もそんなに細いし、成人男性に捕まれたら危ないと思うけど。何ならじいさんに頼んで来てもらう日数減らすけど?」


 半信半疑の蓮は引かない。

 その心遣いにサキは嬉しく思うも本当に大丈夫なのでどう納得させるか悩んだ。


「私のことを心配してくれたことは嬉しく思いますが、本当に心配はご無用です。幼き頃から鍛錬を欠かしておりません。ご主人様程度なら軽くあしらえますのでご安心を」

「……そうなの?」


 蓮の表情はまだ曇っている。

 その視線に耐えかねたのか、サキはため息をする。


「ご主人様、少し実演に協力していただけますか?私の腕を両腕で掴んで下さるだけでいいので」

「……へ?」

「多分すぐに納得されると思います」


 蓮は訳がわからず固まってしまう。


「でも、触ったからセクハラって言われたり、大声を出されたりしたらたまったもんじゃないんだけど」

「そんなことしませんよ。約束します。ああ、ご主人様が私の腕を強く掴んだ瞬間、床に倒しますので、座布団敷かせてもらいますね」

「えぇ……」


 サキはテーブルから離れて空いているスペースに移動すると近くにあった座布団を足元にいくつか敷いていく。

 サキは信用されないなら実演すれば良いと結論づけた。

 蓮は半信半疑で、言われるがままにサキの片腕を両手で少し強めに握る。


 ーーその瞬間だった。


 サキは握られていない片手で掴まれた自分の手を上から握手するように握ると真上に抜く。


「あれ?」


 蓮は思いの外、簡単に拘束が外れたことに驚く。だが、サキの護身術はまだ終わらない。

 流れるようにサキは蓮の胸ぐらを掴むと真横に移動し、蓮は体勢を崩して床に倒れた。


「え……あ、あれ?」


 蓮は気がついたら床に倒れていた。

 その感覚に混乱する蓮だったが、一つわかることは。


「これで信用していただけましたか?もしも変な気を起こして襲ってきたら、返り討ちにしますから?」

「は、はい!」


 蓮はサキに絶対に勝てないなと思い知らされた。

 上から得意げな笑みを浮かべながら見下ろすサキに蓮は怖いと思ったが少しだけ見惚れてしまったのだった。



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