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第39話

「サキ、俺と真剣勝負をしてほしい。条件は、一教科でも俺が勝ったら――」

「馬鹿ですか? 真剣勝負の意味、分かってます? 文化祭のテンションで頭お花畑になりました?」


 二学期の期末考査が近づいた、ある日の放課後。

 サキは学校が終わるとそのまま蓮の家へ向かい、いつものように家事をこなしていた。

 二人で夕食を終え、皿洗いをしている最中だった。


 正直、そろそろ来るだろうと思っていた。

 蓮はわかりやすい性格をしている。案の定、彼は勝負を仕掛けてきた。


 言わなくてもわかる。「お家メイドプレイ」が目的だ。

 ただ、今回の勝負の内容は明らかにサキに不利だった。

 ため息をつく前に、思わず強い口調で返してしまった。


 それでも蓮は、サキの反応など気にも留めず、真面目な表情で続ける。


「俺、思ったんだよ」

「何ですか、急に改まって」

「サキにまともに挑んだって、勝てるわけないなって」

「……はぁ」


 サキは皿を洗いながら、蓮の話を半分流しつつ聞いていた。

 水の音と、皿がカチンと当たる音だけが静かな空間に響いている。

 それでも蓮は言葉を続ける。


「だからもう、俺が勝つには手段を選んでられないって結論に至った」

「……その事情に私を巻き込まないでください、変態」

「……もしかしてサキ、俺に負けるのが――」

「怖くありませんよ」

「ですよねぇ」

「勝てる見込みもないのに、そんな馬鹿げた話しないでくださいよ。こっちだって忙しいんですから」


(何がしたいんですか、蓮くんは)


 手を止めることなく、サキは冷静にあしらう。

 最近、蓮はちょっとアホなんじゃないかと思い始めていた。

 いや、成績はいいからアホではない。けど、考えなしに勝負を仕掛けすぎている気がする。


 たぶん最初から断られる前提。あわよくば、程度の軽い気持ち。

 以前の蓮はもっと本気だった。イカサマにも全力で取り組み、中間考査も必死に勉強していたのに。


「じゃあ、あとは拭いておくので、あっち行っててください」

「辛辣だなぁ……」


 蓮は苦笑しながらその場を離れる。

 サキは、どこか期待外れだった。


(……なんかショックです)


 かつては、ちゃんとした勝負だった。蓮は準備をし、計画を立て、努力していた。

 だが、今はあの文化祭以降、彼は少しナイーブになっている気がする。


 必死になった結果、玉砕して、すっかり燃え尽きたのかもしれない。

 「お家メイドプレイ」への情熱も、諦めつつあるのだろう。


 サキはそんな蓮に、少しだけ寂しさを感じていた。

 勝負そのものは嫌いだったはず。でも、今では少し楽しみにしていた。

 勝って、命令して、蓮が悔しがる。それが新鮮で、どこか嬉しかったのだ。


「拍子抜けですよ」

「ん? 何が?」

「……いえ、別に。他にご用ですか?」

「いや、お茶を淹れようと思って。サキも飲む?」

「ありがとうございます」


 そう言って、蓮は後ろから電子ポットを手にやってきた。

 最近の蓮は、こういう優しさを自然に見せる。


 サキはその優しさに、少しだけ甘えることにした。

 皿洗いを終えると、蓮は椅子に腰を下ろし、二人分のお茶を用意していた。


 以前はすべてサキがこなしていた家事。けれど今では蓮も手伝ってくれるし、こうして一緒にお茶を飲む時間も当たり前になってきた。


「それで? 何が拍子抜けだったの?」

「聞いてたんですか? 盗み聞きとは最低ですね、この変態」

「たまたまだって! 俺の黒歴史をちょくちょく絡めるのやめてほしいなぁ……あと、もうちょっとオブラートに包んで……」

「蓮くん、豆腐メンタルですもんね。もちろん絹ごしの方で」

「なんで豆腐の種類まで指定されてるの……崩れやすい方じゃん」


 やっぱり聞かれていたか。

 まぁ、隠すような話でもない。サキは軽くからかいながらも、変わらぬ調子で話す。

 文化祭を経て、こんな風に他愛ない会話を交わせるようになったのは、少し嬉しい。


「最近の蓮くん、ちょっと腑抜けてるかと思いまして」

「……と言うと?」


 蓮はキョトンと目を丸くする。


「さっきの勝負の話です」


 サキはまっすぐにそう返した。

 正直、蓮と勝負するのが嫌じゃなくなっている自分がいる。むしろ、高め合うことに少し喜びを感じている。


「勝てる気がしないからなぁ」

「腑抜けですね」

「あはは……」


 蓮は言い返さず、静かに笑うだけだった。

 本人も、自分の今の状態を自覚しているのかもしれない。


 文化祭で燃え尽きたのだ。

 その頑張りがサキのためであったことは、サキはちゃんと知っている。蓮はそれに気づいていないけれど。


 今の蓮は少し覇気がない。

 けれどサキは、全力で何かに挑む蓮が好きだった。


 だから少しだけ、寂しいのだ。


「……あ、そうですよ。やる気がないなら、出るまで追い詰めればいいんです」

「……なんか不穏なワードが聞こえたんだけど」


 サキは思いついたように言った。蓮は少し目を細めて警戒する。


「蓮くん、たしか私に命令できる権利、二つありましたよね?」

「……うん、確かに」

「では、命令を下します」

「……は?」


 突然の展開に、蓮は首を傾げる。


 やる気がないなら、奮い立たせればいい。

 文化祭のときに手伝ったお礼として得た命令権を、ついに使うときが来た。


「今度の期末テスト、一教科でも蓮くんが勝てたら、あなたの勝ちでいいですよ。ただし、私が勝ったら……一生、私の言いなりですからね」

「なんでそうなるの!?」

「命令は絶対ですよね? 蓮くんに拒否権はありませんから」


 今の蓮に、拒否権などない。

 サキに不利な条件だが、負けても問題ないと判断している。


 蓮のことだから、追い詰められれば、きっとまた本気になる。

 むしろ、不利な条件ほどやる気になるタイプだ。


(……まぁ、私が負けても命令できないかもですしね)


 サキには、ちゃんとした思惑があった。

 蓮の性格を理解し、導き出した策。


 こうして、期末テストでの勝負が決まった。

 蓮はまだサキの狙いに気づいていなかったが、その夜から必死に勉強を始めた。

 勝ち目のある一教科古典に全振りすることを決めて。

 他の教科を少し犠牲にしてでも、彼は勝利を目指し、動き始めたのだった。




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