「なんでしょうか?」
ミュンヒ先生に呼ばれて、研究机に近づく。けれど私の質問には答えてくれず、代わりに腕を引っ張られた。
「素直なのはいいが、こうも無防備にやって来られると心配になるな」
「それを呼んだ人間が言いますか?」
「だから素直なところは可愛い、と言ったではないか」
「なっ!」
そんなすぐに分かるような嘘を! と言おうとしたが、先ほどの女子生徒たちとの会話を思い出し、私は顔を背けた。すると大きな窓が目に入り、今度はその奥に広がる景色に違和感を覚えた。
そこは一見、何気ない花壇に見えた。可愛らしい小さな青い花々に埋め尽くされる花壇。中央に黒い
「あっ」
その配置を見て、思わず私は右手で口元を隠した。
学園内にある花壇は数多く、ネモフィラやカモミールもありふれた植物である。しかし、あの二つの花壇には既視感を覚えた。花の種類はもちろんのこと、大きさも……間違いない。先月、庭師さんに頼んで、無理に植えさせてもらった花壇である。
ネモフィラはちょうど庭師さんが仕入れたのはいいが、どこに植えるか迷っていたところ、私が引き取らせてもらったのだ。小さくても青い花は、配置に困ってしまうらしい。
確かに学園の植物は、赤やオレンジ、白、黄色が多い。これはレムリー公国の国旗の色であるため、学園長が庭師さんに命じて、あえてそのようにしているのだそうだ。だから必然的に、青い花は少なくなってしまった、というわけである。
加えてネモフィラは、淡い色の花と合わせるには、少しだけ色が濃かった。
庭師の仕事は植物たちの面倒であるが、その配置を考え、見栄えをよくしてこそ、彼らの評価が付けられる。入荷のミスは多々あれど、このままというのも忍びない。
折角、学園に運ばれてきたのだ。余所に移る過程で、苗も弱ってしまうことだろう。そう思ったら「私に引き取らせてください」と、口と手が同時に動いていた。
なんだかんだで私は悪役令嬢である前に、公爵令嬢。そんな私が植えたとなれば、非難する者はいないだろうし、庭師さんへのお咎めもないと思ったのだ。
まさかここで、今の私の地位が役に立つとは、とほくそ笑んでいると、今度は庭師さんの方から、近くにカモミールを植えることをお勧めされた。
カモミールは前世でもお世話になったくらい、馴染み深い植物。花を乾燥させて、お茶としてよく活用させてもらった。カモミールティーは睡眠促進作用があるため、寝る前に飲むとちょうど良く、不安で寝不足だという信者の方にも、よくお出ししていたのだ。
ジャスミンティーなどのように、有名なハーブティーの一種だったこともあり、皆さん気軽に飲んでもらえたことも、より助けられた。
腰痛にも効くという話だから、お礼も兼ねて、庭師さんにお出ししようと、密かに計画していたから忘れもしない。あと、胃にも優しいということもあり、ミュンヒ先生にも、と思っていたのだ。
「もしかして、ご覧になっていたのですか? 私が植えているところを」
するとミュンヒ先生は、腕を掴んでいた手を解き、椅子から立ち上がった。そしてそのまま距離を詰められて、私は後退りするしかない。
分かっている。そうなれば、自然とどのような体勢になるのかなんて。
トンッと、私の背中に当たる窓枠。前にはミュンヒ先生。壁に手を置かれたら、前世での憧れのシチュエーション、壁ドンの完成だ。
なにせここは、乙女ゲーム。女の子の夢を集めたゲームなのだから、もちろんそんなシチュエーションが用意されていてもおかしくはない。けれど伸ばされた腕は、壁ではなく私の腰だった。
引き寄せられるわけではなく、そのまま体を反転させられた。
「あ、あの……」
「盗み見ていたわけではない。アペール嬢との会話を聞いてから、気になって見始めただけだ」
「……シルヴィ嬢と揉めたのは、ここの花壇ではなかったと思いますが」
目をつけられないように、人目が常にある校舎、つまり教師たちの研究棟の近くにある花壇を選んだのだ。まさかミュンヒ先生の研究室から、よく見えるとは思っていなかったけれど。
「そうだったか? だが、俺以外にも見ていた者はたくさんいる。さらに怪しいと感じた者もいたな」
「ど、どの辺が怪しかったのでしょうか?」
私とシルヴィ嬢は同じ転生者だから、それはもう、話しているだけで怪しいことだろう。昨日のことがいい例だ。それを知らないミュンヒ先生は、どう思ったのだろうか。
「う〜む。どこから突っ込んでいいのやら。一言でいうのなら、すべてだな」
「うっ!」
今後の対策も兼ねて聞いてみたものの、改めて言われると堪える。
ミュンヒ先生は私の顔が見えないのをいいことに、言葉を続けた。
「まず、公爵令嬢が花壇の世話をしていることだ。学園にも庭師がいるというのに、自ら手を汚すことを率先しているのが不思議だった」
「……は、花を愛でるのは、令嬢の
「土いじりをする令嬢は見たことがないが?」
「それは偏見です。人の趣味は十人十色なのですから、愛でるだけでなく、育てるところから始める令嬢がいてもおかしくはないと思います」
そんな令嬢が果たしているのかどうかは、定かではない。今重要なのは、ミュンヒ先生を納得させること。前に『独り身が長いから』と言っていたから、あまり詳しいとは思えなかった。
「仮にオリアーヌ嬢の言う通りの令嬢がいたとしても、だ。知らない者たちからしたら、何か企んでいるように見える」
「……シルヴィ嬢が、自分の教科書を花壇に埋めていたように、ですか?」
「そうだ。だからあのような愚策に出たのだろう。また罠にかけられたくなければ、覚えておいた方がいい」
「はい……」
つまり、怪しい行動一つでも命取りになる、ということだ。世知辛い……。
「そんなに気落ちするな。当時はまだ、お前さんの身分も相まって、声をかけたり、注意したりする者はいなかったが――……」
「シルヴィ嬢が声をかけたことで、また見方が変わったのですね」
「……王子の恋人が婚約者に接触、なんて格好のネタだからな」
まるで、不愉快だといわんばかりの声を発するミュンヒ先生。
ご自分の気持ちを静めたいのか、それとも私に対する気遣いなのか、そっとお腹に腕を回された。背中に感じる温かさに、思わず昨日のことを思い出した。