レムリー公国の建国と花乙女の誕生秘話は、切り離せない関係にある。
なぜならその少女が、レムリー公国の初代公妃となり、建国に貢献した人物だったからだ。大地母神の力を借りた少女……乙女。花の姿を模した大地母神、花の女神から、彼女を『花乙女』と人々は崇めた。
「ある意味、病原菌と化していた『悪意』を鎮めたことに対する敬意を表したのだ」
所謂、ファンタジー世界でいうところの聖女である。花乙女という言葉がピッタリだったため、そのような名称にならなかっただけで、役割は酷似していた。
「その『悪意』って結局、なんなんですか? 鎮めるほどっていうのが、よく分からないです」
「まぁ、『悪意』という言葉を当てているだけで、具体的に誰がばら撒いたのか、誰がそれを発生させたのかすらも分かっていない」
「さっきの話だと、凄く壮大なものって感じたのに、そんな曖昧なものなんですか?」
「『悪意』自体が自然現象だからな。たとえば、悪いことをしているのが一人だとする。その場合、別の誰かが止めに入れば、被害は最小限に抑えられる。このくらいは分かるな?」
「は、はい」
気まずそうに返事をするフィデル。もしかすると、似たようなことを体験したのだろうか。たとえば、悪いことをした側とか。
「止める側の数が多ければ、事前に防ぐこともできるだろう。多くの監視の目があれば可能だし、たった一人でできることにも限りがある。しかし、その比率が逆転したらどうなる?」
「誰にも止められないから……荒れる。治安が悪くなる?」
「お前らしい答えだが、正解だ。人間ならコミュニティ。動物や魔物、それ以外の種族なら群れ、もしくは集落だろうか。今まで築き上げてきた秩序を崩され、住みづらい場所へと変貌する。勿論、『悪意』に染まった者たちにとっては住み良い場所だがな」
「だから、自然現象……」
誰の心にもある小さな『悪意』が集まり、群れをなして、平和に過ごしているものたちを襲う。暴力や略奪行為に抗うものがいても、数で押し通されてしまえば、どんな強いものでも負けてしまう。
生きている限り、体力は有限だからだ。無限に増殖する『悪意』に染まったものたちを前に、どう立ち向かえというのだろうか。
「このように『悪意』という表現は、分かり易いために使用されている。誰の心にもあるものだから、『悪意』という言葉で抑止力を作っているのだ。しかしそれとは別に、『闇』と表現する学者もいる。俺はそっちの方がしっくりくるがな」
「なぜですか?」
「その『悪意』がスタンピードを誘発するからだ。まるで世界を滅ぼしたい、といっているように感じないか? あちこちでスタンピードを起こすなど、正気の沙汰ではない。『悪意』なんて軽々しい言葉よりも『闇』に染まった狂人の仕業だと、例える方が納得できる」
「確かに俺も、明確な敵の存在がいると分かり易いです」
「だろ? 『悪意』を鎮めた花乙女よりも、『闇』を倒した英雄の方が話の筋としてもいいしな」
けれどそれでは乙女ゲーム『救国の花乙女』の前提を覆してしまう。信仰心のないミュンヒ先生らしいけれど……。
「歴史の教師として、レムリー公国の建国に難癖をつけるのは、いかがかと思います」
私にとっては、花の女神様への冒涜だ。シルヴィ嬢とは、また違った意味で許せない行為だった。
「オリアーヌ、これはフィデル用に分かり易くだな」
「それなら英雄ではなく、花乙女と共に『悪意』を鎮めた者たちの説明をするべきです。騎士団の前身でもありますし、その中にはバラデュール伯爵家のご先祖様がいらっしゃいますから、その話を――……」
「ほ、本当か? カスタニエ嬢!」
「ミュンヒ先生に建国の話を勧めた時に、言ったはずだけど……」
言っていなかったかしら。
フィデルはさらに詳しく聞かせてほしい、とばかりに私に詰め寄った。すると教壇から、バン! と大きい音が聞こえてきた。
「フィデル。お前はこの補習の意味を分かっていないらしいな。各教師から及第点をもらわなければ、一生このままなのだぞ」
「だからこうして真面目に……」
「ならば質問は、オリアーヌではなく教師である俺にするべきだ。いくら護衛でも、関係のない接近をしてみろ。お前の成績など、どうとでもできるのだぞ」
それは職権乱用です、と言いたかったが、今のは私も困ってしまったから、黙ることにした。
フィデルの出方も気になるし。このままやられる、なんてさすがにないわよね。
「だったら教えてくださいよ。そんな『悪意』のことよりも、大事な話じゃないですか!」
「……お前なぁ。歴史のテストに、バラデュール伯爵家が出るとでも思っているのか?」
「出してくれないんですか?」
「どうして、そんな忖度をしなければならんのだ」
「建国の話に出てくるのなら、テストに出しても問題は……」
「あるに決まっているだろう! まったく、オリアーヌを見習え! カスタニエ公爵家も同じく出てくるが、一切そんなことは言っていないだろう?」
「うーん、それならカスタニエ嬢もミュンヒ先生に頼めば……」
「え? 私?」
急に話を振られて戸惑った。そもそも建国の話も、バラデュール伯爵家が出てくることもすべて、フィデルルートで知った話であり、カスタニエ公爵家のことなど私にとってはどうでもいいことだった。