そんなわけで無事に私の護衛が決まり、フィデルのクラス替えの手続きも終えたことを、ミュンヒ先生から聞いた。少しばかりエミリアン王子とアシルの反発があったが、学園長が一蹴したという。
『カスタニエ嬢の護衛が必要になった理由は、エミリアン王子の方がよりご存知でしょうに』
さらにシルヴィ嬢の学園への復帰もチラつかせると、アシルも黙ってしまったらしい。
アシルって、そんなにチョロかったかしら。いや、それよりも事なかれ主義の学園長らしくない。これも裏でミュンヒ先生か、ジスランが何かやったのだろうか。
ともあれ、私もクラスに復帰する旨となった。これで何もかも元通り、という都合の良い展開は、乙女ゲームの悪役令嬢にはないらしい。
学園長より、引きこもっていた間の授業の遅れを取り戻す手段として、あるものを用意されてしまったのだ。
「え、補習ですか?」
「あぁ、これはフィデルのクラス替えとの交換条件だから、嫌でも従ってくれ」
「そんな、嫌だなんてっ! 私はむしろ、わざわざしていただけるなんて、と思っただけです」
逆に青ざめているのは、フィデルの方だった。
「なんで俺まで! 授業が遅れていたのは、カスタニエ嬢だけなのに、どうしてですか?」
「オリアーヌには、わざわざ補習を受けさせなくても、自力で取り戻せる。しかしお前は違うだろう!」
「えぇぇぇぇ! 俺は授業をサボっていないのに?」
露骨に言われると、グサッと刺さる。元シスターとして、学生の本分を全うしなかったのは、良心の呵責に耐えられない。
いや、それだけではない。無事に婚約解消された後、ミュンヒ先生が私に孤児院を任せてくれるとおっしゃったのだ。子どもたちに勉強を教える私が、授業をサボるだなんて……。
「足りない成績は免除してやると言ったが、補習までは契約外だ」
「嘘だろう?」
嘘である。そもそも足りない成績を免除することは、補習を受ける分がなくなるということ。つまり補習への道が消えてなくなるのだ。そのため、契約条件の文面にわざわざ書く必要はない、というわけである。
フィデルはショックのあまり、気づいていないようだけど。いや、本当に分かっていない可能性も……否定できなかった。
「それにこの補習は、オリアーヌのためというより、フィデルが受けるのならやる、と言っている教師たちで成り立っているのだ。当のお前が参加しなくてどうする?」
「し、知りませんよ、そんなこと」
「なんだと! 教師たちの善意を無下にする気か!」
「それは善意ではなく、悪意です!」
それをいうなら、お節介だと思うけど。まぁ、勉強嫌いなフィデルからすれば、そうよね。そろそろ助け舟を出してあげようかな。どっちに? それは勿論……。
「ミュンヒ先生。勉強が嫌いな者に、無理強いはいけませんわ」
「だが、フィデルに補習を受けさせることが、クラス替えの条件なのだ。だからそこは譲れない」
「う~ん。それではフィデル様が補習を拒否したら、私の護衛も中途半端になってしまいますね」
「っ! そうだ。護衛を途中で変えたことも、その変えた先も中途半端に護衛した、とバラデュール伯爵が知ったら、どう思うだろうな」
ミュンヒ先生は私の意図に気づくと、すぐに乗ってくれた。
「バラデュール伯爵様だけでなく、伯爵夫人もお嘆きになると思いますわ。しかも中途半端になった原因を知ったら、どう思うでしょうね」
「補習を受けたくない、と駄々を捏ねたことを伝えるのは、本当に忍びない」
これぞ悪役令嬢の本領発揮、とばかりに嘲笑って見せた。すると事の重大さに、フィデルは気づいたようだった。顔を青ざめると、私たち二人に頭を下げた。
「や、やめてくれ。いや、やめてください。それだけは!」
「ならば、大人しく補習を受けてくれるよな?」
「はい……」
「頑張りましょうね、フィデル様」
今度は優しく微笑んだのに、フィデルは今にも泣きそうな顔になっていた。本当に勉強が嫌いなのね。
***
褒めて伸ばすやり方は、前世で推奨されている教育方針である。乙女ゲームの世界は、それよりも昔の時代を設定しているため、そんな生易しいことはしない。
だから最初の授業は必然と、ミュンヒ先生が担当する歴史となった。理由は簡単だ。フィデルが逃げないための処置と、逃げないという確信を他の教師に植え付けるためである。
え、そこまでするの? というほどの徹底ぶりだった。しかし当の本人は……。
「こら、フィデル! 俺の授業から退屈そうにしているとは、いい度胸だな」
「あっ、いえ、これはそういうつもりでは……」
「それじゃぁ、どういうつもりで欠伸をしたか、聞いてみようじゃないか」
ミュンヒ先生を怒らせてどうするのよ。今回は補習ということもあり、空き教室で使用していた。とはいえ、生徒は私とフィデルだけだから、ミュンヒ先生も容赦がない。
「まぁまぁ、いきなりフィデル様が真面目になったらなったで、不審に感じませんか?」
「……確かにそうだな」
「ですから私に構わず、最初はフィデル様の関心がありそうなところからお話するのはいかがでしょうか。たとえば、レムリー公国の建国について、とか」
バラデュール伯爵家は、建国からあるのではないか、と言われているほど、古い家門である。いくらフィデルでも、自分の家に少なからず縁のある話ならば、退屈はしないだろう。
「オリアーヌにとっては、今更かもしれないが、そういうのなら」
「お願いします、ミュンヒ先生」
こういうおさらいは、何度しても退屈にはならない。私に構わず、どうぞお話しください。
ミュンヒ先生は頷くと、ゆっくり昔話をするように話し始めた。
「レムリー公国が建国される前のルティエール大陸は、無法地帯だったといわれている。だが、人や動物、魔物などそれ以外の種族たちとも上手く共存していたというのだから、平和だったのだろう。それを可能にしていたのは、それぞれの種族が互いのテリトリーを侵さなかったからだ――……」
しかしどの時代にも、輪を乱す者がいる。
自分の思い通りにならないからと、強引に相手のものを奪う者。
相手が自分にはないものを持っているというだけで、妬む者。
刺激を求めて、悪事を働く行為に魅了されてしまう者。
その者たちを煽り、さらなる悪事を企てて実行する者など、一人の悪意が、二人目を生み。三人四人と拡大していった。まるで、その悪意に魅了されたかのように。
「いや、手招きか。何をするにも、仲間がいれば大きなことができる。一人の主張よりも、大勢の方が通りやすいし、分担して根回しをすることで、さらに成功率を高める」
だから皆、群れたがるのだ。主張の強い方へと靡き、己を守る。それもまた、生き残るための手段だから、非難はできなかった。それは当時の者たちも同じだったのだろう。悪意に向かう者たちを止められなかったのだから。
「そうして悪意は種族の垣根を越えて、どんどん膨れ上がり……とうとう抑え切れなくなってしまったのだ」
「どうしてですか? 大昔とはいえ、自警団のような組織はあったはずです」
実にフィデルらしい解釈だった。
「勿論あったが、今の騎士団と同じだ。すべてを制圧することはできない。ましてや、悪意が自警団よりも力をつけていたらな」
だからどの時代も、人は力を求める。現状を打破するために、ある少女が大地に祈りを捧げた。
『お願いです、神様。どうか悪意を倒せる力を、私に授けてください。せめて、大切な人たちを守れるくらいの力を』
何日も何日も祈り続け、とうとう少女が力尽きようとした、まさにその時、ずっと静観していた大地母神が、ようやく彼女の前に姿を現したのだ。