「確かに花乙女とは、花の女神に選ばれ、力を授けられる乙女……ここは面倒だから女としておこう。だから、周りがそう解釈をしてもおかしくはない」
「やっぱり……俺はてっきり、シルヴィがまた変なことを言ったんだ、と思って聞き流していたんですよ。花乙女の話も、その、曖昧に覚えていたので……」
けれど改めてレムリー公国の建国の話を聞いて、シルヴィ嬢の噂が確信に変わったのね。
「具体的にどのような噂だったのか、聞いてもいいかしら。私はその間、寮に引きこもっていたから知らないの」
「……シルヴィが、自分は花乙女になれるって勘違いしている女だと、嫌悪されたり、揶揄されたりしているんだ。さらに「花乙女って、もう公妃様気取りなのかしら」とか言ってくる奴も出てきてさ。もう何が何だかで。だから知りたくなった、というわけ。あとエミリアンの立場も悪くなったからかな」
「そう……だったの。まったく知らなかったわ」
フィデルは花乙女と公妃の関係を、まったく知らないようだったけれど。今、気にするところはそちらではない。
「ミュンヒ先生はその噂、当然ご存知でしたよね。どうして教えてくださらなかったのですか?」
「フィデルも言っていただろう。アペール嬢が「また変なことを言った」と。あの時は……オリアーヌもだが、尋常ではなかった。だから取るに足らないものだと――……」
「シルヴィ嬢に関することをですか!?」
彼女の出方は私の生死に直結する。しかも穏便に婚約解消をさせたいのに、エミリアン王子の立場を悪くするなんて……これではまた、シルヴィ嬢が何か仕掛けてくる可能性が大きかった。
ただでさえ、フィデルを私の護衛にしてしまったのよ。ミュンヒ先生を味方につけただけでも、苦情を言いに来たほどなんだから。ううん。それどころか、学園にいないのにもかかわらず、ジスランを召喚した手腕の持ち主。
乙女ゲーム『救国の花乙女』のヒロインは、悪役令嬢を踏み台にして伸し上がる、王道のシンデレラストーリーということもあり、この逆境をけして見逃さないだろう。だからこそ、恐ろしいのだ。とはいえ、それをミュンヒ先生に言えるはずもなかった。
けれど感情の昂ぶりを抑え切れず、私は机を叩き、その勢いを使って立ち上がった。
「え、何? 話には聞いていたけど、そんなにシルヴィと仲が悪いの?」
「……仲が悪いというよりも、一方的に突っかかって来るのよ。フィデル様が私の護衛をしている以上、一番注意するべき相手ともいえるわ」
「そ、そんなに!? あっ、だからこの間、俺とシルヴィの関係を聞いたのか」
「……もう一体、どんな説明を受けたのよ」
私に護衛が必要になった、ということは、危害を加える明確な相手がいる、ということだ。事前にその情報を知っていると思っていたのに……。
それをフィデルに、ちゃんと言わなかった人物へと、私は視線を向けた。
「俺にとってはアペール嬢よりも、警戒するべき相手が他にいたからだ」
「エミリアン王子、ですね。確かに彼も、要注意人物だとは思います。シルヴィ嬢の件で立場を悪くされたのですから、尚更そう思うのは無理もありません。けれどそれは、婚約解消が成立すれば済む話です」
「だからシルヴィの方が危険? 俺にはよく分からないんだけど」
隣に座るフィデルを見下ろしながら、机の上に乗せた手を握り締めた。これが乙女ゲームでオリアーヌが感じていた悔しさ。怒りなのだと思い知ったからだ。
別のクラスにいるフィデルは、私がシルヴィ嬢から執拗に絡まれている現場を目撃していない。元々評判の悪いオリアーヌが、孤児院出身のシルヴィ嬢を虐めたと聞けば、それを確認しなくても信じてしまうことだろう。
シルヴィ嬢がオリアーヌを悪役令嬢に仕立て上げる理由が、フィデルたちには分からないからだ。その目的が、自分たちだということも、想像すらしていないだろう。
だけど私とシルヴィ嬢にとっては、それが現実だ。ここが乙女ゲームである以上、ヒロインと悪役令嬢は表裏一体。向こうが共存を望まないのだから、やるかやられるか、のどちらかだった。
「花乙女といえば、あの時オリアーヌも、アペール嬢に似たようなことを言っていたな。確か、『レムリー公国を救う、可憐な花乙女が言うセリフとは思えない』だったか? まるでアペール嬢が花乙女になることを確信した言い方に、フィデルから噂を聞いても動じない態度。まさかとは思うが……」
「待ってください、待ってください! 私はただ――……」
「そういう筋書きで、婚約解消をしようとしていたのか?」
「え?」
筋書き? なんのことをおっしゃっているのですか?
「花乙女とは、レムリー公国の初代公妃が花乙女だったこともあり、表向きは公妃の代名詞として使われている。しかし裏では、『悪意』を鎮めた存在イコール『悪意』がなければ現れない存在だと言っている連中もいるのだ。つまり、災いを知らせる不吉な存在、だとな」
「どうしてですか? その功績を称えられて、公妃になったんですよね」
フィデルの言う通りだ。だから花乙女イコール公妃の図式が出来上がったのに、不吉だなんて……花の女神様に対しても不敬である。
「忘れたのか? 花乙女誕生の秘話を」
「えっと、確か花の女神様が少女に力を分け与えたのは、『悪意』を鎮めるため、でしたよね。なんの脅威もない平和な時代に、花の女神様が出てくる理由はないから……」
「そうだ。『悪意』ほどの脅威となる災いがくる前兆を表している、と言ってもおかしくはないだろう。だからアペール嬢を花乙女に仕立て上げようとしたのではないのか? 公妃の座を狙う不届き者であると同時に、厄災の証として」
ミュンヒ先生の言葉が、悪魔の囁きとなり、私の信仰心を大きく揺さぶった。
シルヴィ嬢が私を悪役令嬢に仕立て上げようとしていたのだから、私もシルヴィ嬢を不吉な存在に仕立ててもいいのではないか、と。